2022年10月の礼拝のメッセージ
★わたしたちの教会では、
聖書は、「新共同訳聖書」
讃美歌は、第一週は讃美歌Ⅰ。第二週以降は讃美歌21を使用します。
聖書・讃美歌は、教会で用意しております。
*10月2日「平和の食卓」
コロサイの信徒への手紙3章12~17節
成瀬が丘教会は昨年度に引き続き今年度も「コロサイの信徒への手紙3章16節」を年間聖句にしています。
「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。
知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、
感謝して心から神をほめたたえなさい。」
年度の初め(5月頃)と半ば(10月頃)に、年間聖句に基づく説教をし、礼拝をささげることにしています。
年間聖句を改めて心に刻みましょう。
コロサイ書は、キリスト者は「キリストと共に復活させられた」のだと語ります(2:12)。
たいへんに大胆な言葉です。
すでに古い人は死んで、新しく生きています。
だから、この新しい命が、具体的な生活の中にますます現れ出るようにしなさいと勧めます。
「造り主の姿に倣う新しい人を身に着けなさい」(3:10)と言われています。
そのことをもっと細かく語るのが今日の個所です。
赦すこと。愛すること。そして平和に生きることです。
そのことが実現するために、年間聖句の言葉が告げられています。
「平和」という言葉が目に留まります。
ただの平和ではありません。「キリストの平和」です。
キリストが勝ち取ってくださった平和です。
「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい」(15節)。
平和は心の奥底にまで及ばなければなりません。
日本語では「平和」と「平安」は別の言葉です。
「平和」はわたしたちの外の世界のことであり、「平安」は心のことであるように聞こえます。
しかし、聖書の言葉では、「平和」と「平安」は一つの言葉です。
世界を覆う平安。心にある平和。
自分の心の中にも、人との関係にも、神との関係にも、平和が必要です。
平和であり、平安に満たされていたいです。
「この平和(平安)にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。」(15節)
主イエスと結び合わされ、一つにされてしまうこと。
主イエスにあって、お互いも一つの体にされること。
ここに、そしてここにだけ平和があり、平安があります。
*10月9日「世の罪を取り除く神の小羊」
ヨハネによる福音書1章19~34節
ヨハネによる福音書を読み始めました。
他の福音書と同じように、この福音書でも、最初に洗礼者ヨハネが登場します。
ところが、この福音書はヨハネを「洗礼者」と呼びません。ただの一度も呼びません。
わたしたちは「洗礼者ヨハネ」「バプテスマのヨハネ」という言い方に馴染んでいますが、これは、マタイ、マルコ、ルカの福音書はヨハネを呼ぶ時の言い方です。
ヨハネは、いわば「洗礼運動」を起こし、人々が悔い改め、そのしるしとして洗礼を受けることを求めました。
ですから、ヨハネのことを「洗礼者」「洗礼を授ける者」と呼ぶのはふさわしいことですし、実際しばしばそのように呼ばれていたのだろうと思います。
ところが、ヨハネによる福音書はそう呼びません。
ヨハネがしたことで、もっとも大切なことは、洗礼を授けたことではない、というはっきりとした思いがあって、あえて「洗礼者」という言い方を避けているのでしょう。
それならヨハネは何者なのか。何をした人なのか。
「彼は証しをするために来た」(1:7)。
「彼は、光について証しをするために来た」(1:8)。
「ヨハネは、この方について証しをした」(1:15)。
この福音書が一貫して語り続けるのは、ヨハネは証しをする人、証人だったのだということです。
主イエスとはどなたなのか。
主イエスについて証しをする人です。
それなら、ヨハネは主イエスのことをどなただと言って証しをしたのでしょう。
「ヨハネの証しはこうである」(1:19)と言って、今日の個所が始まります。
ヨハネは主イエスを指さして言いました。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(1:29)。
主イエスは神の御子であり、「世の罪を取り除く」救い主だと言いました。
それだけでもたいへんなことです。
しかし、もっとただならぬことは、「神の小羊」という言葉です。
「神の小羊」とはどういうことなのでしょうか。
「罪を取り除く」ことと「小羊」と「神」との結びつきですぐに思い起こされることは、罪を贖うためのいけにえとして、小羊が神に献げられたことです。
それ以外には考えにくいことです。
「見よ、この方は、世の罪を全部その身に負い、そうやって罪を取り除き、贖いとして自分を神に献げ尽くしてしまう小羊だ。」
これがヨハネの証言です。
主イエスはどなたなのか。
そのもっとも大切なことをズバリと語りきった言葉です。
*10月16日「太陽は彼の上に昇った」※伊藤多香子先生
創世記32章23~33節
特別な説教者として、伊藤多香子先生をお迎えします。
伊藤先生は関東学院六浦中学高等学校の宗教主任として、中高生たちに聖書を教え、また、中高生たち、保護者たち、教職員たちの魂のケアにあたっておられます。
ヤコブの物語です。
ヤコブは兄エサウが受けるべき祝福を奪ったために兄の恨みを買い、家族の住む家から逃げ出さなければなりませんでした。
遠い外国に住む伯父のもとに身を寄せ、そこで結婚し、子どもが生まれ、財産を持つようになりました。
今ヤコブは20年ぶりに故郷に帰るところです。
兄エサウとの再会が近づいています。翌日には出会おうとしています。
ヤコブは兄と会うことを恐れています。神にこう祈りました。
「わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません」(32:12)。
兄の攻撃に備えて、考えられる限りの対策を講じます。
夜が来ます。恐れが深まります。
その時、何者かがヤコブに襲いかかり、夜明けまでヤコブと格闘しました。
だれが、なぜヤコブと戦ったのでしょうか。
この戦いを通して、ヤコブは何を失い、何を得たのでしょうか。
ヤコブはどのように次の日の朝を迎えるのでしょうか。
御言葉に聞きましょう。
*10月23日「来なさい。そして見なさい」
ヨハネによる福音書1章35~42節
主イエスが登場するよりも少し前に、ヨハネという人物が世に出て、人々が神に立ち帰ることを求めました。
そして、悔い改めのしるしとして洗礼を授けました。
他の福音書では「洗礼者」ヨハネと呼ばれています。
ヨハネの働きは大きな反響を呼び、たくさんの人々がヨハネのもとに来ました。
そのままヨハネの弟子になった人たちもいました。
ヨハネが起こした働きを「洗礼運動」と呼んだりします。
ヨハネはこの洗礼運動の指導者であるように見えました。
もしかすると、このヨハネこそがメシアではないかと期待する人たちもいました。
しかしヨハネはメシアではなく、メシアを指さし、メシアを証しするために来たのでした。
ヨハネは主イエスが来られるのを見て、「見よ、神の小羊だ」と言います。
そして、自分の弟子たちも、主イエスのもとに送ってしまいます。
ヨハネの弟子であった者たちは、主イエスに従っていくようになりました。
ヨハネの教えがあったにせよ、ヨハネの弟子であった者たちは、どうやって主イエスを信じるようになったのでしょうか。
主イエスとどんな話をし、主イエスから何を聞いたのでしょうか。
とても気になるところですが、それは聖書に語られていません。
そこは大切なポイントではないようです。
主イエスは「来なさい。そして見なさい」とおっしゃいました。
ヨハネの弟子であった者たちは、主イエスについていって、主イエスのもとにとどまりました。
わかるよりも先に、信じるよりも先に、主イエスと共に歩き出しました。
そして、それこそが大切なことでした。
主イエスに「出会う」こと。主イエスのもとに「とどまる」こと。
それによって主イエスを知り、主イエスを喜び、主イエスを愛するようにされます。
*10月30日「私の名も呼んでください」※伊藤悟先生
ルカによる福音書19章1~10節
特別な説教者として、伊藤悟(いとう・さとる)先生をお迎えします。
伊藤先生は青山学院全体の宗教部長、青山学院大学の宗教主任、そして教育人間科学部の教授です。
キリスト教学校の牧師として学生、生徒たちの魂のための配慮をし、学校伝道にあたっています。
また、キリスト教教育学の専門家であり、日本キリスト教教育学会の理事長の重責も担っておられます。
ザアカイという人物が登場します。
ユダヤ人です。
しかし、ユダヤ人を支配しているローマ帝国の徴税請負人として働いています。
税金を取り立てることは人々の反感を買うことです。
ローマ人たちは自分たちが憎まれないで済むように、支配されている民族の中から徴税請負人を立てて、税金を取り立てさせました。
徴税請負人には給料はなく、税金を余分に取り立てて、自分の生活の資にもしなければなりませんでした。
当然のことながら、徴税請負人は人々から嫌われ、恨まれました。
ザアカイはその頭だったというのですから、なおさらのことだったに違いありません。
そのザアカイが住む町に主イエスが来ました。
ザアカイは主イエスを見たかったけれど、「群衆に遮られて」見ることができませんでした。
「背が低かったので」ともありますが、それだけではなく、群衆はザアカイのために場所を空ける気にはならなかったのではないでしょうか。
それでもザアカイは主イエスを見たくて、走って先回りをします。さらに木に登ります。
主イエスはどうなさるでしょうか。
主イエスはザアカイがいる木の前で立ち止まり、上を見上げて、口を開きます…。
ザアカイの物語は、わたしたちの物語です。
ザアカイの物語の中に入り込んでいきましょう。