2018年02月の礼拝のメッセージ

★わたしたちの教会では、

聖書は、「新共同訳聖書」、

讃美歌は、第一週は、讃美歌Ⅰ。第二週以降は讃美歌21を使用。

聖書・讃美歌は、教会で用意しております。

*2月4日

ルカによる福音書4章14~30節

説教「今日、救いは実現する」

「今日、神の救いの言葉が、あなたがたの耳の中で実現した。」

主イエスがお告げになった言葉です。

教会は、この言葉を聞くために集まります。

しかし、主イエスからこの言葉を聞いた人々は腹を立て、

主イエスを殺そうとしました。

神の恵みを告げたのにです。

どうしてでしょう。

「恵み」を告げるとは、相手に対して、

「あなたは一方的に恵まれることなしには救われない、みじめな罪人だ」と

告げることです。

聞いた人たちは、それを受け入れられなかったのです。

それでも主イエスは恵みを語り続けます。

それは、わたしたちのかたくなさ、

救われがたさを打ち破って救ってしまう恵みです。

*2月11日

ルカによる福音書4章31~44節

説教「いつも主をわたしの前に」

汚れた悪霊が主イエスに向かって、

「あなたは神の聖者だ」と告白します。

しかし主イエスは叱りつけ、「黙れ」とお命じになりました。

悪霊は、主イエスがどなたであるかを正しく認めています。

けれども主イエスは、悪霊によって認められ、

ほめたたえられることをお求めになりませんでした。

主イエスが望んでおられたのは、

わたしたち人間によって認められることでした。

わたしたちが喜んで、

心から「あなたこそ神の子キリストです」と

告白することを心待ちにしてくださいます。

神に顔をあげて、神をほめたたえる。

主イエスを神の子キリストと告白して礼拝する。

そのようにして初めて味わうことのできる喜びがあります。

そのようにして初めて得ることのできる癒しと安息があります。

その幸いに、ご一緒にあずかりましょう。

*2月18日

ルカによる福音書22章1~13節

説教「人の喜びと神の喜び」

今年の復活祭は4月1日(日)に祝われます。

教会は、復活祭までの40日間、キリストが苦しまれ、

十字架にかけられて死なれたことを思い起こし、

自分の罪を悲しみながら悔い改めるときを過ごしてきました。

この期間を「受難節」と言います。

復活祭の40日前(日曜日を除く)、2月14日を「灰の水曜日」と言います。

この日から受難節が始まります。

受難節になりましたので、

礼拝の中でも、主イエスのご受難を語る箇所を読みます。

ルカによる福音書では、19章の途中から、

主イエスの最後の一週間が始まります。

22章はすでに木曜日。

主イエスが十字架にかけられる前の日です。

イスカリオテのユダは主イエスを裏切る決心をし、

どのようにして主イエスを引き渡そうかと相談しています。

ちょうどそのころ、

主イエスは弟子たちと共に特別な食事をするための準備をしていました。

いわゆる最後の晩餐です。

ご自分の死の意味を弟子たちに伝えるための食事です。

ご自分の愛のしるしを弟子たちに手渡すための食事です。

ユダのためにも、主イエスはこの食事を用意なさったのでした。

*2月25日

ヨハネによる福音書11章38~45節

説教「主イエスの大きな声に福音を聞く」

※説教者:近藤 勝彦 牧師(東京神学大学名誉教授)

特別な説教者として近藤勝彦先生をお迎えします。

近藤先生は日本を代表する神学者であるとともに、

すぐれた説教者として、すでに多くの説教集を公にしておられます。

教会に仕え、説教することによって神学の思索を深め、

また、神学の営みの成果を説教に注ぎ込み、

そのようにして教会と神学校のために大きな働きをしてきてくださいました。

聖書が語るのは、墓の前での主イエスのお姿です。

ラザロという若者が死んで、墓に葬られ、すでに4日たっていました。

主イエスは、人々が悲しみ、

死の現実に打ちのめされているのを見て、お怒りになります。

墓の前に立ち、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれました。

すると、死んでいた人が出てきました。

これは、わたしたちにも起こることです。

主イエスは救い主であり、わたしたちの命の主でいてくださいます。