★わたしたちの教会では、
聖書は、「新共同訳聖書」
讃美歌は、第一週は讃美歌Ⅰ。第二週以降は讃美歌21を使用します。
聖書・讃美歌は、教会で用意しております。
創世記8章1~12節
ノアの箱舟の物語です。
人が神の前に堕落し、世に不法が満ちたために、神は人を造ったことを後悔し、
洪水によって人を滅ぼすことを決意されます。
しかし神はノアを御心に留め、ノアに箱舟を造らせて、ノアとその家族、
また一つがいずつの動物を洪水から救い出してくださいました。
洪水の物語は、世界の破滅の物語です。
命の不確かさや世界の破局を思わずにはいられない今、改めて洪水の物語に聞きましょう。
洪水の後、ノアが箱舟から放ち、水が引いたしるしにオリーブの葉をくわえて戻って来た鳩は、
平和のシンボルとなりました。
箱舟から出た後、神は二度と洪水によって地を滅ぼすことをしないと約束してくださり、
契約のしるしとして虹を置いてくださったこともよく知られています。
それなら、箱舟はわたしたちにとってどういう意味を持っているのでしょう。
創世記11章1~9節
バベルの塔の物語です。
バベルの人々は、「天にまで届く塔のある町」を建てようとしました。
それは、大きく、高くなりたいためであるとともに、「散らされることのない」ためでもありました。
わたしたちの世界は現代のバベルです。
技術や文明の力によって大きくなり、高くなり、豊かになり、快適になろうとし続けます。
自分を大きくし、強くしようとし続けます。
そこで語られる言葉は、独り言の言葉、自分のための言葉、相手を押さえつける言葉でした。
自分の体重がかかっていない言葉、相手を思う心のない言葉が、
どれほど相手を傷つけ、自分を損ねていることでしょうか。
言葉の問題によって、バベルは行き詰まり、塔の建設は挫折することになりました。
しかし、神の言葉は、自分のすべてを相手に与え尽くしてしまう言葉、命そのものである言葉です。
ヨハネによる福音書3章16~18節
特別な説教者として、東京女子大学で聖書を教えておられる矢田洋子先生が説教をしてくださいます。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3章16節)
この言葉は、「聖書の中の聖書」と呼ばれる大切な言葉です。
ここで、「信じる者は永遠の命を得る」、信じる者が救われる、と言われています。
それなら、信じる者だけが救われるのでしょうか。信じない者は滅びるのでしょうか。
そもそも「信じる」とは、「救われる」とは、どういうことなのでしょうか。
聖書の中心にあるメッセージを受け取りましょう。
創世記16章1~14節
神がおられるのだとしても、どこにおられるのだろうかと思うことがあります。
神はわたしのことなどは見ておられず、心に留めてなどいないのだと思うことがあります。
むしろ、わたしは忘れられ、見捨てられているのだと。
ハガルという女性もそうでした。
主人にうとまれ、つらい仕打ちを受けるようになり、とうとう主人のもとを逃げ出しました。
逃げても、どこに行く当てもありません。荒れ野をさまようだけです。
自分の味方はだれもいない。だれも自分のことなど気にしていない。
深い嘆きの底で、ハガルは神に出会い、思いがけない言葉を聞くことになりました。
ハガルは神に名前を付けます。「エル・ロイ」という名前です。
それは、「わたしを顧みられる神」という意味です。