2019年04月の礼拝のメッセージ

★わたしたちの教会では、

聖書は、「新共同訳聖書」、

讃美歌は、第一週は、讃美歌Ⅰ。第二週以降は讃美歌21を使用。

聖書・讃美歌は、教会で用意しております。

*4月7日

ルカによる福音書23章32~49節

説教「わたしの呼吸を神の御手に」

主イエスが十字架につけられた時、

他に二人の犯罪人が主イエスの右と左で十字架につけられました。

彼らは、十字架につけられても仕方がないほどの重い罪を犯した者たちでした。

そのうちの一人が、すでに十字架にかけられ、

死んでいきながら主イエスに願います。

「わたしを思い出してください。」

主イエスは、ご自分は何も悪いことをしていないのに、

苦しく、みじめな死の最後の最後まで、

わたしと一緒にいてくださるのだと信じました。

そして願います。

終わりまで、わたしを覚えていてください。

わたしのために祈ってください。

すると主イエスは言われます。

あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。

死は、あなたとわたしの関係の終わりでない。

あなたは死を超えて、わたしと一緒にいることになる。

この約束は、最悪の犯罪人にも、だれにでも与えられます。

この約束は、いつでも、死の間際であっても与えられます。

*4月14日

ルカによる福音書23章50~56節

説教「沈黙の日」

今日から始まる一週間を教会では「受難週」と呼びます。

主イエスが主に活動なさったガリラヤ地方を出て、

旅をして来られた主イエスは、日曜日、エルサレムの都に入城されました。

ロバの子に乗り、柔和な王として入城されました。

月曜日、主イエスはまず神殿に行かれます。

そして、その境内で商売をしていた人々を追い出してしまわれました。

「宮清め」です。

火曜日、宗教的な指導者たちは、

主イエスが神殿の権威に逆らっていると考えて憤慨し、

論争を仕掛けて主イエスの言葉尻を捕らえようとします。

水曜日、主イエスがエルサレム近郊のべタニアという村で食事をしていたとき、

一人の女が主イエスに油を注ぎました。

できる限りの愛の行為でした。

木曜日(洗足の木曜日)、主イエスは弟子たちと過越の食事をなさいます。

これが最後の晩餐となりました。

食事の後、主イエスは園に出て行って祈られます。

そこに群衆が押しかけてきて主イエスを捕らえ、

そのまま大祭司の屋敷でユダヤ人の最高法院による裁判が行われます。

判決は死刑です。

金曜日(受難日)、夜が明けるとすぐ、主イエスは総督ピラトに引き渡され、

そこでも死刑の判決が下され、主イエスは十字架につけるために引き渡されます。

すぐさま刑が執行され、午後三時、主イエスは息を引き取られます。

日が沈むと安息日が始まってしまうので、あわただしく埋葬が行われます。

そして土曜日、主イエスは墓に横たえられておられます。

教会はこの日を「沈黙の日」と呼んできました。

この日にはどんな集会もしません。

たとえばローマ・カトリック教会の教会法では、

この日だけはミサをあげることが禁じられています。

沈黙の日。この日には口を開かずに、ただ深く自らの心を見つめます。

わたしたちと共に歩んでくださる主イエスは、墓の中にもいてくださいます。

わたしたちの救いに必要なことをすべて成し遂げて、

ここでもわたしたちの先頭に立ち、死から命へと過ぎ越していってくださいます。

*4月21日 キリスト復活祭(イースター)

ルカによる福音書22章47~62節

説教「復活の喜び」

イースターはイエス・キリストの復活を祝う祭りです。

教会にとってもっとも大切な祭りです。

聖書をすぐれた書物だと考えたり、

主イエスを人類の立派な教師だとみなしたりする人は少なくありません。

しかし復活となると、話は違ってきます。

復活はありえないことに思われるからです。

しかし、わたしたちが自分の経験や知識や考察に照らして

「ありえない」と考える復活と、キリストの復活とは、

おそらくまったく違ったものでしょう。

聖書が語る復活は、

わたしたちが「ありえる」とか「ありえない」とか考えることができるような、

わたしたちに捕らえることのできる出来事のことではありません。

わたしたちの理解を超えた、神の聖なる出来事が起きたのです。

それは、一人の人が死んだのに甦った、という話ではありません。

罪が打ち負かされた。

死が命に飲み込まれた。

わたしたちが神のみもとに至る道が開かれた。

新しい命と新しい世界とが始まった。

すべてを変えてしまう神の救いの出来事です。

復活されて、今生きておられる主イエスが、ご自身を現し、

復活の信仰を与えてくださいます。

*4月28日

ルカによる福音書24章36~49節

説教「神の答え」

死ぬことへの恐れがあり、生きることへの不安があります。

復活祭(イースター)の知らせは、

そのようなわたしたちに対する神の答えです。

「神は、わたしたちを新たに生まれさせ、

死者の中からのイエス・キリストの復活によって、

生き生きとした希望を与えてくださいました。」

復活された主イエスは、聖書の言葉によってご自分のことをお語りになりました。

聖書がわかるように、弟子たちの心の目を開いてくださいました。

教会は、復活された主イエスがなさったことを引き継いで、同じことをしています。

聖書の言葉によって主イエスがどなたなのか、

わたしたちのために何をしてくださったのかを知らされます。

神がわたしたちの心を開いて、

聖書が語ろうとしていることを聞きとらせてくださいます。

それによってわたしたちは主イエスを喜びながら生きることができます。

生き生きとした希望を持って生きることができます。