2021年01月の礼拝のメッセージ

わたしたちの教会では、

聖書は、「新共同訳聖書」

讃美歌は、第一週は讃美歌Ⅰ。第二週以降は讃美歌21を使用します。

聖書・讃美歌は、教会で用意しております。

*1月3日 「恵みと平和の神」

ガラテヤの信徒への手紙1章1~5節


主の年2021年を迎えました。

御言葉への思いを新たにし、「ガラテヤの信徒への手紙」を読んでいきます。

キリストの使徒パウロがガラテヤ地方の諸教会に宛てた手紙です。


ガラテヤ地方とは、今日の小アジア、トルコの中央部にあたります。

ローマ帝国のガラテヤ属州とされたのはかなり広い範囲で、その南部はパウロが、第一回目の伝道旅行の際にすでに伝道しています(南ガラテヤ説)。


使徒言行録13章、14章に記されている、ピシディアのアンティオキア、イコニオン、リストラ、デルベでの伝道です。

激しい迫害にも遭いながら、伝道が進められ、それぞれの町に教会ができました。


「ガラテヤ人」と呼ばれた人々が住んでいたのはこれらの町々よりももっと内陸の地域です。

その地域にはパウロが第二回目の伝道旅行の際に伝道しました(北ガラテヤ説)。


使徒言行録15章によると、当初の計画ではなかったのに、神の不思議な導きによりこの地域に来ることになりました。

パウロの手紙の宛先になったのがどちらの地域なのか、よくわかりません。

(現代の聖書学では北ガラテヤ説が有力ですが、南ガラテヤ説をとる学者もいます。)


どちらであったにせよ、困難を経験しながら、人の思いや力を超えて教会が建てられました。

その地を離れ、伝道旅行を先に進めながら、パウロはその地の教会を心にかけ、手紙を書きました。


パウロが挨拶として、いやむしろ祈りとして書き送るのは「恵みと平和」です。

ただの恵み、ただの平和ではありません。

「父である神と、主イエス・キリストの恵み」として「平和」です。

キリストによって救い出され、罪を赦され、神と共に満ち足りた祈りを生きることです。

この祈りがわたしたちにも向けられています。

*1月10日 「福音の重さ」

ガラテヤの信徒への手紙1章6~10節


手紙を書く際には、挨拶に続けて感謝の言葉を述べるのが、当時の作法でした。

聖書には使徒パウロが書いた手紙がいくつも収められていますが、どの手紙もこの作法に従っています。


ところが、このガラテヤ書だけは、作法を破って、感謝の言葉がありません。

ガラテヤの教会については、神に感謝するわけにはいかないという思いがあったのでしょう。

たいへんな問題が起きているので、すぐにも本題に入らなければならないと思ったからでもありましょう。


なにしろガラテヤの諸教会の人々は、パウロが伝えた福音から離れて、「ほかの福音」へと移ってしまったのでした。

パウロはそのことに驚き、あせり、そして途方に暮れています。

ガラテヤの人々が受け入れてしまった「ほかの福音」とはどのようなものであったかは、2章以下で少しずつ明らかになっていきます。


それは、律法を守ること、ユダヤ人のように生きることを求める教えでした。

わたしたちに引き寄せて言うと、キリストがしてくださったことに加えて、

わたしたちの行いもまた、救われるために必要だとする教えです。


パウロはこの教えを断固として退けます。

そのような教えは「呪われるがよい」とまで言います。

なぜならその教えは実は、神の「恵み」、神の「愛」から人を引き離す教えだからです。

*1月17日 「人を造り変える福音」

ガラテヤの信徒への手紙1章11~24節


使徒パウロが自分の回心と、キリストの使徒とされたいきさつについて語ります。

なぜなら、ガラテヤの人々が今陥っている生活は、パウロの回心以前の生活と同じだからです。

パウロはユダヤ人であり、ユダヤ教の中にいて、ユダヤ教徒としてたいへん優れてもおり、

また熱心でもありました。


しかし、その熱心さが行き着いた先は、教会を迫害し、荒らすことでした。

自分の行い、自分の正しさによって生きることは、神の教会とは相いれないのです。

パウロの回心も、パウロが伝道者となったことも、ユダヤ教徒としてのパウロとは何の関係もありません。


パウロの回心も、召命も、ただ神によることでした。

神がなさったことでした。

神がお決めになったことでした。


「信仰」とは、神が定め、神が成し遂げてくださったことを、ただ受け取ることです。

*1月24日 「無条件の救い」

ガラテヤの信徒への手紙2章1~10節


教会が生まれた当初、キリスト教はユダヤ教の一派とみなされていました。

ユダヤ教のナザレ派、イエス派というわけです。

ユダヤ教徒からそう見られていただけでなく、当のキリスト者自身もそう思っていました。


主イエスの弟子たちは皆ユダヤ人でした。

ペンテコステの日に誕生したエルサレム教会のメンバーもユダヤ人でした。

ほかのユダヤ人たちと同じように(旧約)聖書を読み、聖書の掟に従って生活し、聖書が約束するメシアを待ち望んでいました。

主イエスこそがそのメシアなのだと信じる点では、ほかのユダヤ人と違うけれども、それ以外は同じだと思っていました。


そのようなユダヤ人キリスト者にとっては、異邦人が信仰に入るときにも、割礼を受けてユダヤ人になることが必要であり、そのあとも聖書に掟に従って生活することが必要だとしか思えませんでした。

その考えが、ガラテヤの諸教会にも入ってきたわけです。


パウロは、この教えに断固として反対します。

掟に従うことを求める。とりわけ割礼を受けさせる。

これは、救いに条件を付けるということです。

だからこそパウロは、割礼問題をめぐって一歩も譲歩することができませんでした。


救いには何の条件もありません。

救いはただキリストによります。キリストの十字架によります。

このことが見失われたならば、福音は福音でなくなってしまいます。

*1月31日 「信じ抜いてくださる神」

ガラテヤの信徒への手紙2章11~16節


律法(旧約聖書の掟)を守ること。

とりわけ、割礼を受け、食物規定(汚れた動物を食べない)を守ること。

これが、ユダヤ人にとって、神の民であるしるしでした。


最初のキリスト者たちは皆ユダヤ人ですから、皆割礼を受けており、皆食物規定を守っていました。

それを当たり前だと思っていました。

ところが、異邦人の中からも主イエスを信じ、キリスト者となる者が出てきます。

彼らは割礼を受けていないし、食物規定を守ってもいません。

そもそも律法を知りません。

そこで混乱が生じました。


異邦人はまず割礼を受けてユダヤ人になるべきだという考えがありました。

その考えは退けられて、異邦人はユダヤ人になる必要はなく、

律法を守る必要もないことが確認されました。


しかし、ユダヤ人のキリスト者は、依然として律法に従って生きるべきである、という考えは残りました。

エルサレム教会の指導者ヤコブはそのように考えました。

それに対してパウロは、すべてのキリスト者が律法から自由にされていると教えました。


両者の間で揺れてしまったのがペトロです。

パウロと同じように異邦人と一緒に食事をしていたのに、エルサレム教会のヤコブのもとから人々が来たときに、身を引いてしまいました。

それを見たパウロはペトロを厳しくとがめなければなりませんでした。

この事件は「アンティアオキアの衝突」などと呼ばれます。

それほどに難しい問題をはらんでいます。


律法から自由になるというのは、神の言葉に従う生活をしないということではありません。

しかし、自分から目を離してしまうということです。

自分の行いからも、自分の信仰からさえ自由になって、ただひたすらに主イエスに頼るということです。

そこにこそ、ほんとうの自由があります。