2021年08月の礼拝のメッセージ
★わたしたちの教会では、
聖書は、「新共同訳聖書」
讃美歌は、第一週は讃美歌Ⅰ。第二週以降は讃美歌21を使用します。
聖書・讃美歌は、教会で用意しております。
*8月1日 「剣を打ち直して鋤(すき)に」 ※平和聖日
ミカ書4章1~4節
日本基督教団では、8月第一主日を「平和聖日」としています。
伝統的な教会の暦に含まれている日ではありません。
敗戦の日、原爆の日を覚えて、1962年に教団の行事暦に加えられました。
預言者ミカは戦争がなくなる「終わりの日」の姿を見ています。
「彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。」(3節)
もう武器がいらなくなるというのです。
実は、これと正反対の言葉が聖書の中に出てきます。
「お前たちの鋤を剣に、鎌を槍に打ち直せ。
弱い者も、わたしは勇士だと言え。」(ヨエル4:10)
戦争に備えるときのスローガンだったのだろうと思われます。
ミカが生きたのも、戦争の時代です。
当時の世界帝国であるアッシリアが攻めてきて、国が滅びかけていました。
ミカの周りでも、人々は「鋤を剣に」と言っていたのでしょう。
そのような中で、ミカは剣も槍もいらなくなり、戦うことを学ばなくなる終末の幻を見ました。
戦争は、国家間の紛争を解決するための、合法的な手段なのだと言われます。
しかし、いかなる戦争も紛争を解決することはないし、平和をもたらすこともありません。
戦争がなくなるのは、神ご自身が「多くの民の争いを裁き」解決を与えるからです。
この裁きは、ゴルゴタの十字架で行われました。
そこで裁かれてくださったのは、神の御子である主イエスでした。
十字架のもとに、そして十字架のもとにのみ、平和があります。
*8月8日 「自由の使い方」
ペトロの手紙一、2章13~17節
キリスト者は、神の国の市民です。
「わたしたちの本国は天にあります。」(フィリピ3:20)
ペトロの手紙はキリスト者を 「旅人であり、仮住まいの身」 だと言います(2:11)。
この世に属していません。
では、旅人としてどのように生きるか。
「従いなさい」「服従しなさい」と御言葉は語ります。
皇帝にさえ従え、と言われています。
旅人なのです。神のものであって、皇帝の支配のもとになど生きていません。自由です。
自由な人として、神のしもべとして、だからこそ、従いなさい。
御言葉が語るのは、自由の使い方です。
自由だからこそ、心から従い、仕えることができる。
傲慢な皇帝も、無慈悲な主人も、神は愛しておられるからです。
神の愛を映し出して、相手を生かすことを考えてごらん。
御言葉が打ち開く、神の国の生き方です。
*8月15日 「この足跡に続け」
ペトロの手紙一、2章18~25節
神を信じる者たちは、もはやこの地上では属していません。
地上では旅人です。
軽やかな足取りで、毎日を自由に生きることができます。
その自由な生き方の際立った特徴は「従う」ことにあります。
自由だから、だれともかかわらずに気ままに生きる、というのでなく、
自由だからこそ、すべての人を敬い、生かすことを考えるのだというのです。
今日の箇所は「召し使いたち」という呼びかけで始まっています。
しかし、いわゆる奴隷である人だけに向かって語られているのではありません。
神を信じる者たちは、だれもが他者に仕える召し使いなのだというのです。
相手が気に入らない人でも、本気で相手を重んじ、心から仕える。
苦しむこともあります。
しかし、他者を生かすために苦しむときに、わたしたちは主イエスの道を歩むことになります。
この道がどうなっていくのか、わたしたちにはわかりません。
しかし、羊飼いである主イエスの背中を見つめながら、その足跡に従っていくことができます。
*8月22日 「美しい生活」
ペトロの手紙一、3章1~7節
「あなたがたの装いは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。」(3、4節)
ここに出てくる「装い」という言葉は、もとの言葉(ギリシャ語)では「コスモス」という言葉です。
英語でコスモスというと、「宇宙」という意味の単語です。
実はギリシャ語でも同じで、「宇宙」とか「世界」という意味です。
しかしそれらに加えて、「装い」とか「飾り」という意味もあります。
なんだか不思議に思われますが、もともとは、「きちんと整っていること」「秩序」を指す言葉だったようです。
世界を見ると、見事な秩序を持っている。だから「コスモス」と呼びました。
しかし世界だけでなく、きれいに整い、飾られたものも「コスモス」だというわけです。
英語で「コスメティック」と言うと、「化粧品」とか「美容の」という意味です。
「コスメティック」もギリシャ語の「コスモス」に由来していて、「装い」「飾り」のほうの意味を受け継いでいるわけです。
*8月29日 「よい言葉を返す」
ペトロの手紙一、3章8~12節
「祝福を祈りなさい。」
祝福しなさい。
「祝福」は聖書全体を貫いている、とても大切な言葉です。
祝福してくださるのは、神です。
しかし、あなたがたは祝福を受け継いでいるのだから、他の人を祝福しなさい、と告げられています。
「祝福する」という言葉は、聖書のもとの言葉に立ち帰って調べてみると、「よい言葉を語る」という単語です。
悪く言われたら、言い返さずにはいられないわたしたちです。
でも、悪い言葉に対しても、よい言葉を返しなさい、祝福しなさい、というのです。
わたしたちに祝福する力があるわけではありません。
人を変える力もありません。
しかし、だれかが悪を働き、人を侮辱し、人を傷つけているなら、その人は神の赦しを、神の祝福を必要としています。
だから、神の赦しの言葉を、神の祝福の言葉を伝えられるように、努めてごらん。
それは、わたしたち自身が、神の赦しの言葉、祝福の言葉によって生かされているからです。