2020年04月の礼拝のメッセージ
★わたしたちの教会では、
聖書は、「新共同訳聖書」
讃美歌は、第一週は讃美歌Ⅰ。第二週以降は讃美歌21を使用します。
聖書・讃美歌は、教会で用意しております。
*4月5日
マタイによる福音書27章32~54節
説教「天に届く叫び」
主イエスは十字架にかけられました。
そこを通りかかった人々は、主イエスをののしって言いました。
「神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」
「神の子なら」という言い方は、主イエスが公の活動を始める前に、
荒れ野で悪魔から言われた言葉と同じです。
神の子なのだから、もっと大きなことができる。すばらしいことができる。
十字架から降りて、十字架の道をたどることをやめて、別の道を行ったらいい。
初めから終わりまで、悪魔はそう言って主イエスを十字架から引き離そうとしました。
しかし主イエスは十字架への道を歩み、十字架から降りないでくださいました。
主イエスが十字架の上で苦しみ、死なれること。
それ以外に、わたしたちの救いはないからです。
主イエスは十字架の上で叫ばれました。
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」
わたしたちはこのように絶望することを知りません。
絶望することを知らないので、ほんとうに祈ることも知りません。
主イエスはほんとうに絶望し、絶望の中でほんとうに祈ってくださいました。
わたしたちに代わって祈ってくださいました。
*4月12日
マタイによる福音書28章1~10節
説教「喜びのおとずれ」
キリスト復活祭を迎えました。
「イースターおめでとう!」
主イエスのご復活を共に喜び、共に祝いましょう。
教会学校の礼拝も、この日は特別に10時30分からの礼拝に合流します。
(9時30分からの礼拝は行いません。)
大人も子どもも一緒にになって、ご復活の命のお祝いをいたしましょう。
なお、例年は午後にイースターの愛餐会をしていますが、
今年は新型コロナウイルスの感染防止のため、愛餐会は行いません。
主イエスが十字架にかけられて殺され、墓に葬られてから三日目、日曜日の朝です。
二人の女性が墓を見に行きます。
主イエスをしのび、泣くためでありましたでしょうか。
しかし、墓のふたをしていた大きな石はわきに転がされ、墓は空になっていました。
もう墓は必要なくなったというのです。
ここで何が起きたのかを解き明かすのは、天使の言葉です。
わたしたちの理解を超えたことですから、どうしても天からの言葉が必要です。
「恐れることはない。
十字架につけられたイエスを探しているのだろうが、
あの方は、ここにはおられない。
かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」
主イエスは死者の中から復活された!
これが復活祭の喜ばしい知らせです。
これがあらゆる説教の土台にある言葉です。
主イエスは復活された! 今生きておられる! わたしの前を歩いていてくださる!
わたしたちは復活された主イエスと共に歩みます。
わたしたちも復活の命を与えられて歩みます。
*4月19日
マタイによる福音書28章16~20節
説教「すべての力を込めた願い」
主イエスの弟子たちは、主イエスを裏切り、主イエスを捨てて逃げてしまいました。
主イエスが十字架にかけられたとき、そこには男の弟子たちの姿はありませんでした。
彼らはもはや弟子ではないと言われても仕方のないところです。
しかし主イエスは彼らを「わたしの兄弟たち」と呼ばれます。
そして、以前に与えたよりも、もっと大きな使命をお与えになります。
彼らを赦し、彼らを信頼し、彼らに期待してくださるのです。
主イエスは死に、そして復活することによって、
「天と地の一切の権能」をお受けになりました。
あらゆるものを従わせることのできる力、権力、権威です。
すべてのものを従わせる力を持つお方は、その力を何に使うのでしょうか。
主イエスは、すべてのものを従わせる力をもって、弟子たちにお命じになります。
「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」
主イエスの力は、わたしたちを救うためにふるわれます。
主イエスの力は、伝道する弟子たちを助けるためにふるわれます。
主イエスの力は、教会を建てるためにふるわれます。
どんな力も、わたしたちを主イエスの愛から引き離すことはできず、
伝道を妨げることはできず、神の国を破壊することはできません。
*4月26日
ルカによる福音書12章49~53節
「地上に火を投ずる」
「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。」
主イエスの言葉です。
厳しい言葉です。
火によってうわべの飾りは焼け落ちてしまいます。
火によって不純物は燃えカスとなってしまいます。
火によってわたしたちがしたことが本物なのかどうかが吟味されます。
主イエスの火のもとでは、今のままでいることができなくなります。
しかし、主イエスが投ずる火は、わたしたちを滅ぼす火ではありません。
わたしたちを生かす火です。わたしたちをきよめ、精錬する火です。
何よりもわたしたちの罪を焼き尽くしてくださる火です。
この火の中に身投げしてしまいたいと願います。