2020年08月の礼拝のメッセージ

わたしたちの教会では、

聖書は、「新共同訳聖書」

讃美歌は、第一週は讃美歌Ⅰ。第二週以降は讃美歌21を使用します。

聖書・讃美歌は、教会で用意しております。

*8月2日「隠された神」

創世記37章1~4節、23~36節


ヨセフ物語を読み始めます。

ヨセフ物語は創世記37章から50章まで続きます。

聖書の中でもっとも長い物語であるとも言えます。

その全体で一つの物語なのですけれども、一章ずつ、十数回に分けて読んでいきたいと思います。


ヨセフ物語の土台をなしているのは、家族の苦しみ、家族の悲劇です。

ヨセフの父はヤコブと言います。

ヤコブには双子の兄がいました。

ヤコブの父は兄を愛し、母はヤコブを愛しました。親の偏愛に苦しんだのです。


そんなヤコブは若いころ、兄になりすまして父をだまし、

兄が受け継ぐはずだった神の祝福をだまし取ることさえしました。

その結果、兄のもとから逃げ出し、長く異邦の地で暮らさなければなりませんでした。


親の愛を受けられない苦しみ、兄弟に対する妬み、家族の中での悩みをいやというほど味わったはずです。

ところがヤコブは自分が父親になったとき、ヨセフを偏愛し、ヨセフにだけ晴れ着を与えました。

ヨセフは兄たちの妬みを買い、ついには兄たちの手で奴隷として売り飛ばされてしまいました。


いったいこの物語のどこに神がおられるのでしょうか。

いったいどこに福音があるのでしょうか。

*8月9日「人生の支え」

創世記39章1~23節


奴隷として売り飛ばされたヨセフは、エジプトに連れてこられ、ポティファルという役人に買い取られます。

ヨセフは誠実に働き、次第に主人の信頼を得るようになりました。


ところが、主人の妻がヨセフに言い寄るようになってしまいました。

そして、言うことを聞かないヨセフを逆恨みし、今度はヨセフが乱暴をしようとしたと訴えでるに至りました。


ヨセフは捕らえられ、監獄に入れられます。

エジプトはこの時代の先進国、文明大国です。

その国のエリートの家庭で、ヨセフは奴隷であるとはいえ、胸を張ってよい仕事をして生きていました。


しかし、またしても家族の悲劇が襲いかかりました。

家のことも妻のことも顧みず、仕事にかかりきりの主人ポティファル。

どこかで歯車がずれてしまって、ヨセフへの態度がおかしくなってしまった主人の妻。

この家庭の歪みがヨセフに押しつけられ、ヨセフには何の落ち度もないのに、彼は監獄に入れられ、

囚人たちの奴隷として働かなければならなくなりました。


ポティファルやポティファルの妻の人生を突き崩してしまったものは何だったのでしょうか。

どこまでも転落することになり、

全部を投げ出したくなっても仕方のないヨセフの人生をなおも支えたものは何だったのでしょうか。

*8月16日「神からの贈り物」

創世記40章1~23節


監獄にいるヨセフは、やはり監獄にとらわれている二人の人たちの夢を解き明かすことになりました。

彼らの夢は、彼らがこれからどうなるのかを教えるために神が見せてくださった夢でした。

ヨセフは夢を解くことによって、将来は神が備えていてくださるのであり、

人生に意味を与えてくださるのも神なのだということを、彼らに示すことにもなりました。


それは、ヨセフが自分自身についても信じるようになったことではなかったでしょうか。

将来を神の御手から受け取る姿勢がなければ、

神が将来を示しておられる夢を理解することはできなかったでしょう。


自分の将来を神にゆだねる信仰がなければ、

ほかの人のも神がご計画を持っていてくださると信じることはできなかったでしょう。


夢で示されたとおりに、二人の人たちはやがて監獄を出て行きます。

ヨセフはその一人に執り成しを願いましたが、彼はヨセフのことを忘れ果ててしまいました。


監獄でのヨセフの苦しみはまだ続きます。

だれからも忘れられて、監獄にとり残されています。

しかし、神はお忘れになりません。

そしてヨセフの将来は、神の大きな御心の中にあります。

*8月23日「今日のパンを」

創世記41章1~16節、25~36節


監獄で人の夢を解き明かしたことがきっかけとなり、

ヨセフはエジプトの王ファラオの夢を解き明かすことになりました。

しかしそれは容易ならぬ夢でした。


ファラオ個人の将来ではなく、エジプトの国全体、さらには世界全体の将来を予告する夢だったからです。

すなわち、これから七年間の飢饉が続くので、手をこまねいていれば、国が滅びることになるというのです。


神が夢を見せて、将来を予告してくださったのは、命を望んでいてくださるからです。

迫りくる飢饉と戦うようにと求めておられるからです。


ヨセフが立てたのは、まだ豊作が続いているうちに、徹底的に食糧を備蓄しておくという計画経済でした。

そしてヨセフ自身が責任者となって、命を救うための計画を進めていくことになりました。


わたしたち一人一人の人生に対して、神が備えておられる計画があります。

神が託していてくださる使命があります。

自分がしていることの意味を、わたしたちは十分に知ることはできないでしょう。

しかしそれは、命を救うための神のご計画の一部なのです。

*8月30日「成熟していく心」

創世記42章1~28節


飢饉がエジプトだけでなく世界に広がったために、ヨセフの兄たちも飢えに苦しめられています。

彼らはエジプトには食糧があると聞いて、食糧を買いにやってきます。


ヨセフは、実に二十数年ぶりに兄たちと再会することになりました。

ヨセフがまた兄たちと一緒に暮らしていた子どものころ、ヨセフは夢を見ました。

父も母も兄たちも、自分をひれ伏して拝むという夢でした。

ヨセフは子ども心に有頂天になったかもしれません。


しかし、ヨセフが自分のために夢の実現を願っていた間は、この夢が実現することはありませんでした。

ヨセフは王になるどころか、奴隷として売り飛ばされました。


今、あの夢が実現しています。

兄たちがヨセフをひれ伏して拝んでいます。

エジプトの支配者だと思っているのです。

このようになったのは、兄たちに対して力をふるうためではありませんでした。

兄たちを救うためでした。