観光旅行ではなく仕事(学会参加、発表)なので、あまり時間は取れない、ということで、美術館の類はいっさい行かず、学会の空き時間にせっせと以下の所へ行った。
・ムジークフェライン見学ツアー
英語の見学ツアーに参加(有料。ベルリンのフィルハーモニーは無料だったのに)。ウィーンフィルのコンサート実況で見慣れた大ホールに初めて入った。確かに、至る所金箔で、天井下に窓があって、外の明かりが差し込んでくる。
ホールの歴史や構造、有名な音響の良さなどについて、ガイドの若い男性からいろいろ説明があった。特に面白かったのは、なぜ音響がよいのか、という話。実 際の所、なぜこんなに音響がよいのか、誰にも確かなことは判らないと言うのである。設計を担当した建築家は、箱形ホールで無用なエコーの干渉が起きないよ うに、壁や天井に突起物をたくさん作って音が拡散するように意図はしたが、音響学には素人だったらしい。天井が柱の上にふわっと乗っているだけだから、天 井が音楽に共鳴している、という説や、床下の倉庫(舞踏会の時に座席を納めるが、コンサートの時は空っぽ)が弦楽器の胴体と同じように音楽に共鳴して響き を豊かにする、という説もあるらしい。では実際の音響はどうか、は後日のコンサートに持ち越し。
アン・デア・ウィーン劇場
ベートーヴェンがかつて住み込み、オペラ「フィデリオ」、交響曲「運命」「田園」などを初演した劇場である。戦災を免れ、ほとんど当時の姿が保存されているらしい。外見は周りの建物と何ら違わず、とても劇場には見えない。(この劇場に関係した楽曲のリスト)1Fのチケット売り場横には、ベートーヴェンのアパートの様子が再現してある。本当に机とベッドとピアノだけの粗末な部屋である。学会期間中、ここへ2度コンサートに行った。
一つ目は古楽器オーケストラによるバロック演奏会。ソプラノ、トランペット、リコーダーをソロとするカンタータや協奏曲など。リコーダー奏者の Maurice Stegerさんがすごかった。短髪にすらっとした容姿で、リコーダーの演奏でここまでアクションをするか、というほど全身で表現していたが、演奏自身も すごく上手かった。(一つもキーが付いていないリコーダーで、なぜあんなに吹けるのだろう)場内はやんやの拍手大喝采。それにしても、音楽のシーズンオフ 期間に、有名ソリストでもオケでもなく、バロックの渋い曲目ばかりのこのコンサートを聴きに来ていた地元の人たちは、本当に音楽の好きな人たちだと思っ た。
2つ目はピアノトリオの室内楽コンサート。ピアノがブッフビンダーさん、バイオリンがキュッヒルさんにチェロがバルトロメイさん。ウィーンの顔みたいな3 人の出演で、客席はほぼ満席。3人は黒ズボンに白カッターシャツ、ノーネクタイ、楽譜めくりのお姉さんはTシャツという、リラックスしたコンサート。曲は ベートーヴェンのピアノトリオが2曲。弦楽器の演奏をこのように近々と聴くことはほとんど無いので、とても良い経験だった。(あれだけ弾けて、ウィーン フィルのコンマスや首席として日々を過ごすのは、本当に楽しいだろうなあ)客席は白髪のお年寄りが多かった。この人たちの先祖を全部集めると、シューベル トやベートーヴェン、モーツァルト自身の生演奏を聴いたことのある人がたくさん居るんだろうなと思った。
ムジークフェラインでのコンサート
今回のウィーン滞在中、ムジークフェラインでコンサートをしていたのは、唯一「ウィーン・モーツァルト・オーケストラ」である。モーツァルト時代の衣装を 着て、観光客相手にコンサートを開いて儲けている団体である。(入場料は結構高い。日本へもツアーをする)しかし、これしかコンサートが無いので、やはり 生の音が聴きたくて出かけた。会場では日本の学会関係者に何人も出会った。 自分が取った席はいつも通り正面の2階席。客は100%観光客である。一曲目 「フィガロ」序曲の序奏が、客席のざわつきに埋もれながら鳴り始めたときは、金の無駄遣いだったかな、と思った。しかし直後に主題がtuttiでホールに 響いたとき、「おお、これか・・・」と全身に電気が走ったような気がした。音響は本当にすばらしかったのである。オケの演奏はかなり大ざっぱなのだが、そ んなことよりとにかく響きの良さに感動するばかりだった。特にホルンの音がホール全体にふわっと響くのはなぜだろう。アマオケが市民ホールとかでやると、 ステージのどこにホルンを置けば一番良く響くか、などと頭を悩ませるけど、ここではそんな心配は無用だと思った。ホルンの和音がオケ全体を本当に心地よく 包む。やはり行って良かった。次はあそこで是非ともマーラーやブルックナー、リヒャルト・シュトラウスが聴きたくなった。
マーラーの墓参り
前回のウィーン訪問時に続いて、今回もグリンツィング墓地へ。平日の朝、墓地はひっそりとしていて虫の鳴き声しか聞こえない。マーラーのお墓が墓地の中のどこだったか、完全に忘れていて、さんざん迷ったが、やっと見つけると入り口のすぐ近くだった。(入り口に地図はなく、有名人の墓のリストが あるだけ。)今回初めて知ったのは、アルマ・マーラーの墓もすぐ近くにあったこと。しかし、近くであっても隣ではない。(5つぐらい離れていた) 生前 マーラーはアルマの浮気について悩んでいたという話を聞いたことがあるが、死後ぐらいは隣合わせになりたかっただろうな。(アルマの希望だろうか? マー ラーの墓の右隣は通路になっていてスペースはある)たたずんでいると、もう一人中年の男性がやってきて、マーラーの墓の前で写真を撮ってくれ、と頼んでき たので、お互いに写真を撮りあった。
写真その1。中央がマーラーの墓。周りにとけ込んで全然目立たない。
写真その2。正面より。
写真その3。お墓をバックに撮影。
アルマ・マーラーのお墓。アルマはマーラーよりだいぶ若かったのは知っていたが、墓石には没年1964年とある。自分の生まれる前年までアルマが生きたのだから、マーラーもそんなに過去の人では無いという気がしてきた。
中央墓地のユダヤ人区画
ウィーンに関する本の中で読んだことのある、中央墓地のユダヤ人区画を見学に行った。(中央入り口を入って右側の奥) 確かにすごい。おびただしい数の墓 石が割れたり崩れたりしたまま放置してある。中央入り口あたりのよく手入れされた区画とは全くの別世界である。(家族や子孫が大戦中に死亡・離散したため と考えられている。)通路や壁沿いには大きな立派なお墓が多く、すごいお金持ちだったのだろうが、その多くも荒れて、崩れている。通路から内側へ入り込ん だら、もうこんな感じ。 墓地の区画の中に木や草が茂って、荒れ放題。たまに手入れされたお墓があると、すごく目立つ。中には「J」と故人の名前の上にでっかく落書きされている墓 石もあった。ネオナチの仕業か、それとも戦前に本当にナチが書いたものだろうか? あれだけ荒れていて、墓地を管理する当局は何もしないのだろうか? 終 戦から60年経つのに、ここは時間が永遠に止まったみたいで、歴史について色々考えさせられた。
Haus der Musik
前回来たときには無かった「音楽館」なる博物館が出来ていた。早速入場。5階建てぐ らいの建物の2階がウィーンフィルの歴史に関する展示。歴代の指揮者がウィーンフィルの演奏会で実際に使った指揮棒が展示されていた。リヒャルト・シュト ラウスのも長めだったが、一番長かったのはクナッパーツブッシュの棒で50cmぐらいあった。カラヤンのは短くて握りが太く、ベームのは細く鋭く、トスカ ニーニのは太いのに途中で折れていた(納得!)。3Fから上も、音響に対する人間の感覚についての科学的なアトラクション、ウィーンに縁の深い作曲家 (モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、マーラー)に関する展示、そしてヴァーチャル指揮者(ウィーンフィルを擬似的に指揮するというもの。 LEDか何かが付いた棒を振ると、目の前のスクリーンでウィーンフィルの演奏が付いてくる。下手だと演奏が途中で止まり、オケの連中が文句を言ってくる。 自分もやられた)など。とても良かった。
グリーヒェンバイスル
ウィーンで最古のレストランで、500年前から営業しているという。(ホームページもある)ここで名物のヴィーナー・シュニッツェルをいただく。(日本人には特においしい料理だと思うが、あっさりしているので、半分食べるとトンカツソースをかけたくなった)ここで食事をした歴史的人物のサインが残されている部屋を 見せてもらえた。(この時部屋に客が居なくてよかった)自分で探して判ったのはベートーヴェンのサインだけ。店員に尋ねると棒で指しながら「これがワグ ナー、これがビスマルク、これがモーツァルト、これがマーク・トウェイン、これがヨハン・シュラウス、これが・・・」と教えてくれるのだが、ついていけな い。かなり高いので、サインをするには何かに乗らないと届かない。目の前にモーツァルトやベートーヴェンが立って壁にサインする様子を想像するのはとても 楽しかった。(日本の芸能人のサインがあるのが興ざめ)
モーツァルトやベートーヴェンのサインは、200年前のものとは思えないぐらい鮮明だった。200年間に渡って壁が今の状態に保存されるとは考えられない ので、補修・再現(上書き?)をしているのだと思う。(他にも例えば、その2でMark TwainのMarkの直ぐ上に確かにBarry Manilowと読めるのだが、まだ生きているManilowの一部分を上塗りしてTwainが書かれたようになっている。またモーツァルトとトウェイン にまたがるように白く汚れているのは、剥離した壁を埋めたもの。どうせならもっと上手く修理すればよいのに)