<物理も音楽もできる、すごい人の話>
「末は博士か大臣か」という言葉があるが、今では博士になるのは大臣になるよりもずっと簡単になった。しかし世の中にはサイエンスで博士になり、かつ一流の音楽家になる人がいる。かつてボストン交響楽団(BSO)の主席ホルン奏者だったチャールズ・カヴァロフスキ(Kavalovski)さんは、核物理で博士の学位を取って研究者になり、35歳でテニュア付きのFull Professorになった。その間地元のオーケストラで趣味としてホルンを吹いていたが、ホルンの可能性も試したくなり、1年間サバティカルを取ってオーディションを受けて合格したという。若い頃(音楽で食えなかった時のために)practicalな分野を勉強するのは音楽家には良くある話だが、物理の研究者をやった後で、というのは他に聞いたことがない。(BSOではビオラの主席奏者も化学のPh.D.を持っていた)
自分もボストンに住んだ5年間の間にカヴァロフスキさんのソロを何度も聴いた。アマチュアの下手な(失礼!)ホルンを聞き慣れた耳には、信じられない音だった。マーラー、ブルックナーなどのホルンソロは本当に美しかった。彼はコンサート中間の休憩時間によくステージの上に残って(あるいは早く出てきて)練習していたので、その音にも良く耳を傾けた。(アメリカのオケのコンサートでは、日本やヨーロッパと違い楽員が揃って出てこず、三々五々出てきて各自が勝手に練習している。今からやる曲のソロや難しいパッセージをさらっていたりして、かなり面白い。)
最近(2011年)、このカヴァロフスキさんのソロ演奏やインタビューをネットで見つけたので以下に紹介します。
一つ目はチャイコフスキーの交響曲5番。
第2楽章、17:25あたりからカバロフスキさんのホルン・ソロが聴ける。(ボリューム上げてできればヘッドフォンで聴いて下さい) 指揮はバーンスタイン、1974年のタングルウッド音楽祭より。
(ちなみにこのコンサートは観客の入ったライブ演奏だが、TV番組のために収録されたものであり、通常のコンサートではなかったそうだ。途中で暗くなってホルンにスポットが当たるのはそのためである。)
これだけ吹けたら、演奏は本当に楽しいだろうな。壮年期のバーンスタインとオケの演奏も良い。また往年のBSOの名奏者も多く映っている。フルートのDoriot Anthony Dwyerさんは、アメリカのメジャーオケで初の女性首席奏者になった人(彼女を採用したのはシャルル・ミュンシュ)。ティンパニのVic Firthさんは、後にサイトウキネンオケのメンバーとして何度も来日している。(Vic Firthというドラムスティックのメーカーの設立者でもある)BSOに50年近く在籍した後、小澤さんと同じ年に一緒に勇退した。オーボエ主席のRalph Gombergさんは、お兄さんのHaroldもニューヨークフィルのオーボエ主席だった。そしてファゴット主席がSherman Waltさん, クラリネット主席がHarold Wrightさん、そしてコンマスは指揮者でもあったJoseph Silversteinさん。
二つ目はラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。カヴァロフスキさんのホルンソロ、小澤さん指揮BSO。(これも音量を上げてできればヘッドフォンで)。ホルンソロだけでなく、曲全体の演奏もとてもよい。(ビデオには最近の小澤さんの写真が出てくるけど録音は1970年代中頃)
こちらはカバロフスキさんのインタビュー。(途中で上のパヴァーヌもかかる) 高校でホルンを始めて、大学院で物理を勉強しながら毎日3時間練習したと言っているが、音楽の専門的なトレーニングを受けたわけでもないのに、これだけ吹けるようになるのだから、天が授けた才能としか言いようがない。世の中には本当にすごい人がいるものだと思う。彼は1997年に、まだ61歳でBSOをリタイヤした。
(追記)村上春樹著「小澤征爾さんと、音楽について話をする」の中での小澤さんの話によると、このカバロフスキさん、相当偏屈な人だったらしい。ブラームスの交響曲1番終楽章には「ミーレドーソー」という有名なホルンのソロがあるが、スコアでは1番ホルンと2番ホルンで「ソー」の吹きのばしを重ねて、1番の息継ぎがばれないようにしてある。ところが彼は、それは不自然だから自分1人で吹くと言い張って、その通りにしたらしい。(2番は休んでいたようだ)しかし物理屋でもあったことから、この偏屈さ(理屈っぽさ)は何となく判るような気もする。