2017/12/15-18
SPring-8ビームタイム。高圧低温遠赤外。
2017/12/7-8
光物性研究会(京大宇治キャンパス)参加。院生2名発表。
最寄り駅はJR奈良線の黄檗(おうばく)駅で、キャンパスとJRを挟んだ反対側に、黄檗宗の総本山、黄檗山萬福寺がある。宇治キャンパスに来る度に一度訪れてみたいと思っていたので、2日目の昼休みに萬福寺を訪問。
厳かな雰囲気の本尊の頭上には「真空」の2文字。仏教では真に空な状態、つまりすべての煩悩から脱して、心が空になった状態を言うらしい。オレには絶対無理やな(いつも真空を使ってはいるが・・)。
2017/12/1-4
SPring-8ビームタイム。高圧低温遠赤外。
2017/11/8-10
高圧討論会・参加発表(名古屋大学)
2017/11/3-6
SPring-8ビームタイム。磁気光学実験の続き。
2017/10/16-17
日本赤外線学会研究発表会・参加発表(大阪市立大学)
2017/8/11-12
大学の吹奏楽団の同窓会が、みのお山荘という旅館に泊まり込みであった。場所は箕面の山の上にあり、大阪平野から西国街道沿いに京都方面へ続く平野が180°にわたって眺められて、とても良かった。大学卒業以来初めて会う人も多く、大いに盛り上がった。
翌日は参加者一同で阪大豊中キャンパスへ移動し、毎日楽器を練習してた学生会館、部室だったプレハブ小屋などを見て回った。豊中キャンパスは古い校舎がみな改装されて新しい建物も沢山できてずいぶん変わったのだが、学生会館から生協、明道館、待兼山へ続く道の辺りは全くと言っていいほど変わっていない。(学生会館とイ号館の間にあった白鳥の池はなくなったが)その後、医療短大の跡地にできた博物館へ移動。前から気になっていたのだが、初めて中に入った。建物は医短の建物をそのまま利用してあり、イ号館(今は阪大会館になってる)とならんで、豊中キャンパスでも由緒ある古い建物らしい。以前、吉永先生の「棺桶分光器」(回折格子型の巨大な遠赤外分光器)が阪大のどこかで保存されているという話を聞いたのでここに展示されているのかと思っていたが、残念ながら見あたらなかった。カフェや阪大グッズ(誰が買うんや?)を売るショップもあり、館内はとてもきれい。阪大には本当にカネがあるなあというのが率直な感想。
2017/7/18-24
SPring-8出張実験。最初の2日は高圧・遠赤外実験で、これは以前行った測定の再現性チェック。真空トラブルで少し遅れたが、目的はほぼ達成。あとの4日は再立ち上げされた磁気光学ステーションで、最近測っている層状物質2種類を試料として、中赤外の反射スペクトルを12 Tまで測ってみた。中赤じゃあエネルギー高すぎて何も出んやろ、と全く期待していなかったのだが、うち一つの物質で、非常に明確かつ特徴的な磁場変化が驚くほどきれいに出た。今後もしばらくは楽しめそうな感じ。
2017/7/15
見た目は(手術の跡以外は)、ほとんど普通の手になった。(指のむくみもほとんど消えた)
2017/7/1
左手の指がだいぶ動くようになり、身のまわりの事もそれなりに自分でできるようになったので、両親には帰ってもらった。まさかこの歳になって両親と3人暮らしをすることになるとは夢にも思わなかったので、本当に世の中は何が起きるかわからない。
2017/6/15
ギプスは取れて、シーネという添え木のようなやつ(これも水で硬化する繊維)を包帯で固定するようになった。自分で簡単に着脱できるので、シャワーも楽になった。(ギプスの間は長いビニール袋を被せてシャワーをしていた) しかし指はまだむくみが残っている。
2017/6/5
1か月ぶりに出勤。(連休を入れると5週間ぶり) 左手が使えないので当分自転車通勤はできない。バスが少ないので通勤は不便だし食事も大変、ということで両親が宿舎に一緒に住んでくれることになった。(世帯用の3LDKなのでスペースは十分) 朝と夜、職場との間を車で送迎してもらって、ご飯も作ってもらうという、殿様のような生活を送った(笑)。
この時点での状況。ギプスで固めてあるが、昔のように石膏のギプスではないので軽い。水で濡らすと10分ぐらいで固まる繊維材料(グラスファイバー系?)でできており、専用の回転カッターで簡単に切れる。指はまだあまり曲がらない。(特に親指はだめ)
2017/5/22
退院。2週間の入院中、授業は全部休講 or ほかの先生にお願いしていたが、通院もあるし、左手はギプス固定で身の回りのこともできないし、さらに2週間仕事を休んで神戸の自宅で療養することになった。
2週間お世話になった中央市民病院は、ポーアイ2期区域に新築移転してまだ5~6年しか経っておらず、院内はとても明るくきれいだった。コンビニやタリーズもある。病室もきれいで、窓の外からは和田岬と和田防波堤、その向こうの三菱重工の工場などが見渡せた。
2017/5/17
入院初日に1回目の手術。その後10日間、入院したまま感染が収まるのを待ち、5/17に2回目の手術。経過は以下の通り。
<図1(上図)>第1回手術前のCT画像。前腕部の2本の骨、橈骨(とうこつ、写真で手前)と尺骨(しゃっこつ、写真で奥)のうち、橈骨が折れた上に先端が欠けて短くなり、尺骨は折れていないが関節から完全にはずれている。担当医に、ここまでひどいのは珍しい、どこまで手の機能が回復するかはやってみないとわからないと言われた。
<図2>第1回手術後の様子。ぐちゃぐちゃになった骨折部分、手首関節をクリーニング+整理整頓して、骨折箇所を仮固定した状態。橈骨と、手の甲にそれぞれステンレスのボルトを入れ、体外で両者を接続・支持している。そして橈骨の骨折箇所と尺骨の関節部はそれぞれ細い針でつないである。解放骨折で体内の組織が外にさらされて土にまみれる状況だったため感染を起こしており、鎮静するまで待つ必要があるとのことで、このまま10日間待って、第2回手術。
<図3>第2回手術の後。欠けて短くなった橈骨には腰の骨(腸骨)を一部削って継ぎ足して、チタンの金具で保持している。尺骨と手首の接合部は針と針金が入ったまま。仮固定のボルトが入っていた橈骨と甲の穴も見えている。(穴は今後もふさがることはなく開いたままだが、強度には問題ないらしい)
2017/5/7
連休最後の日に六甲登山。裏六甲の白石谷を遡上中、斜面をよじ登って写真を撮ろうとした際、誤って転倒、滑落。滑落した高さは1.5m程度だったが、足を取られて上半身から落ち、全体重が左手に集中する形となった。我に返って起き上がると、手首の少し手前から折れた骨が1 cmぐらい突き出た状態。(これを「解放骨折」と呼ぶことは後から知った。初めて見た自分の骨は不気味なぐらい青白かった。)急ではあるが、何でもないただの斜面。右肩に掛けたカメラに気を取られたのと油断があった。場所は電波の届かない山中の、無人の谷底。うろたえそうな状況だが、ここでうろたえてはやばい、となると意外と冷静だった。すぐに、
出血は大したことない→
動脈は切れてない→
すぐ意識を失うようなことはなさそう→
とにかく人の通るハイキング道まで降りる。
と考えがまとまり、持ってたタオルで傷を巻いて骨折箇所を右手で支え、ハイキング道まで自力で出て、通りがかりの登山者に助けを求めた。すぐに3人ぐらいの方が通りがかり、電波の入る所を探してくれて、119番通報してくださった。座り込んだ場所が「白石第2堰堤」という看板の横でわかりやすかったのでヘリは結構すぐに上空へ到着。しかし着陸はできないのでホバリングしながら救急隊員がロープで降下してきてくれて、吊り上げられてヘリ収容→ポーアイの中央市民Hへ→手術→入院。というわけで、1日のうちに生まれて初めてヘリ搭乗と手術と入院を体験する事になった。
2017/3/24-25
「高圧力と量子ビームのマリアージュによる新規物性分野開拓の物質科学研究会」参加(茨城大学水戸キャンパス)
なんちゅうマニアックなタイトルの研究会や、と思いながら、高圧赤外の話をしてきた。懇親会でFiskからいろいろ面白い話を聞けたのがよかった。Fiskの恩師だったMatthiasの話が特に面白かった。
どうでもいいことだが、大阪の茨木は「いばらき」で茨城県の茨城は「いばらぎ」だと、なぜか昔から信じていた。しかし今回の出張で後者は自分の思い違いで、両方とも「いばらき」が正しいことを初めて知った。(これも今回の収穫の一つである・笑)
2017/3/17
日本物理学会年次大会(阪大豊中キャンパス)
発表は無しで、エキシトニック相のシンポジウムを聞くため、一日だけ参加。
2017/3/5
久々にポーアイのリンクでのんびりスケート。・・・のはずが、5時の整氷が終わって、6時まで滑って帰ろうと思っているうちに、医務室で横になって気がついた。転倒して頭を強打して気を失ってたらしいのだが、全く思い出せない。救急車で中央市民Hの救急外来へ。CT取って帰され、その後MRIも取られたが、幸い特に大きな異常はなし。しかし1週間ぐらいはやはり調子が悪かった。
2017/2/26
姫路城マラソン出走。ネットタイム3時間28分59秒の自己ベストで、やっとサブ3.5達成。
2017/2/11
大雪のハチ北でスキー。滑ってる間もじゃんじゃん積もって、えらいことになっていた。
2017/1/7-1/9
日本放射光学会年会(神戸芸術センター)参加、発表。