1999/11/15
SPring-8赤外ビームラインの紹介ページを研究室のHPに追加。
1999/11/2
科研費奨励と特定の書類を締め切り日にやっと提出。今年はWord版の科研費マクロを使おうと思ってやり始めたけど、実際の書式と違う所が多かったりし て、結局TeXマクロに逆戻り。(TeXマクロはサポート体制もしっかりしてるし)先月末に出した科研費以外の申請2件と合わせて、合計4件。当たります ように。
1999/10/31
豊中市民管弦楽団第21回定期演奏会を聴く。
かつての仲間たちは今でも年に2回の定演をがんばっている。メインはブラ1。熱気のこもったいい演奏でした。管のトップの人たちも気合い入ってた。
1999/10/25-28
SPring-8出張。初めて泊まりでの作業。時間分解のエレクトロニクス関係(CFD, TAC, マルチャンなど)を立ち上げ、また放射光を初めて分光器に入れて赤外光を検出した。今は0.5 mmのアパーチャーを入れて内部光源の4倍ぐらいの強度。調整が進めばもっと強くなるはず。
1999/10/19
(Fe1-xVx)3Alの論文をやっと投稿。
先週は学生実験I, IIIの準備と組分け、科研費下書きの締め切り、SPring-8ワークショップ準備、などで目が回る忙しさ。おかげで糟谷先生の集中講義は全く聴けな かった。(もっとも、院生によると講義というよりも独り言のようだったらしい。) この間、ノーベル賞の発表があった。やっぱりというか、3年続けて凝縮 系から出た(He3, レーザー冷却、分数量子ホール)から、今年は素粒子だった。
1999/10/4
ソニーの盛田昭夫氏死去の知らせ。阪大の物理出身の盛田氏が10年ほど前、阪大工学部へ講演に訪れたのを思い出す。その年のうち、その日1日だけが他に何も予定が無く、また、てっきり自分の出身である理学部からの依頼だと思いこんで承諾したとい う。6年間の阪大生活で、工学部の大講義室が学生で埋まって立ち見が出たのを見たのはこのときだけだった。
1999/9/23-27
日本物理学会分科会(岩手大学)に参加、発表。
盛岡は関西よりずいぶん涼しかった。(というより、今年の関西の9月が暑すぎたというべきか)
1999/8/30
ヴォルフガング・シュルツ&大嶋義実フルートデュオ・リサイタルを聴く。
1999/8/23-28
「強相関電子系の物理」国際会議(於:長野)に出席。
長野オリンピックの会場となったBIG HATに隣接する会議場での学会。昨年パリで開かれた時は半分(というかほとんど)観光気分だったけど、今回はしっかり勉強した。パラレルセッションも無 いし、会場も丁度良い大きさ、ゆったりとしたロビー、など、昨年よりずいぶん良かった。回りが2000m級の山々に囲まれているというのは、ずいぶん変 わった感じがした。
1999/7/3
佐渡裕指揮、大阪フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴く。
1999/6
分子研UVSORへ2週間の出張。(BL7Bマシンタイム)
1999/6/24
出張中に音楽仲間よりメールがあって、小澤征爾氏が2002年の9月よりウィーン国立歌劇場の総監督に就任するとの知らせ。Boston Globe誌をインターネットで見ると、この関連ニュースが多く流れていた。2002年夏のタングルウッド音楽祭を最後にボストン交響楽団の音楽監督を辞 任するらしく、後任についてはこの夏に選考委員会を設置とのこと。長続きしないことで有名なウィーン国立歌劇場総監督の難しいポジションを小澤さんがどう こなすか、今後が楽しみ。それにしても、ウィーンオペラの総監督といえば、クラシック音楽界でもっとも輝かしい地位の一つと言える。歴代の総監督はマー ラー、ベーム、カラヤン、などなど、すごい人たち。色々批判もある小澤さんだけど、こういうポジションをオファーされると言うことはすごいことだと思う。 ボストンでのレギュラーシーズンはあと3年。2001-2002シーズンの終わりまでには絶対にボストンまで小澤・BSOのコンサートを聴き納めに行かな いといけない。
1999/6/14
NiSの金属-非金属転移の論文が、やっと正式にアクセプトされた。試料提供を受けてからほとんど3年。ほっと一息。
1999/6/10
NEC基礎研究所の今井氏から提供された、巨大磁気抵抗を示すマンガン酸化物Tl2Mn2O7試料の反射率の温度変化を測定した。強磁性転移温度の前後で、反射スペクトルに巨大な変化が現れた。今後の測定が楽しみ。
1999/5/21
最近、研究室のHPにやっとアクセスカウンターとアクセスログを付けた。入門本に載っていたやつをそのまま乗せるだけなのに、エラーが出て結構時間がかかった。
1999/5/17
ヴォルフガング・サバリッシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団のコンサートを聴く。
1999/5/16
豊中市民管弦楽団第20回定期演奏会を聴く。
1999/5/11-12
SPring-8 赤外物性BL報告会に参加。初めてSPring-8 の実験ホールとリング室に入った。それにしてもでかい。でかいくせに一つ一つの部品が凝ってる。総アルミ製のUHVチェンバー(ベローズまでアルミ製)な んて始めて見た。曲率半径がでっかいので、かなり遠くまで見渡さないと「リング」であることがわからない。
1999/5/10
小沢征爾指揮ボストン交響楽団のコンサートを4年ぶりで聴く。
1999/5/1-3
夫婦で串本へ2泊3日で出かけた。潮岬灯台から太平洋の水平線を眺めると、「地球は丸い」ことが本当に実感できて感激。普段は神戸から大阪湾を眺めるだけだからこんな体験はできない。
1999/4/22
電磁気学演習(学部2年生)のクラスで、アンケートを採った。ごく個人的な興味でとった無記名のアンケートだが、「あなたが特に興味をもっている物理の分野を一つ選んで下さい。」という質問に対しては、
a. 物性実験: 1人
b. 物性理論: 2人
c. 高エネルギー実験: 5人
d. 高エネルギー理論: 10人
e. まだ特定の分野に興味をもっていない: 10人
というショッキングな結果が出た。彼らはまだ学部2年生で何も分からないから何となく素粒子がかっこいいと思っているだけさ、と楽観する気には到底なれな い。なんでかなあ・・・(もっとも、状況はどこの大学でも同じらしいけど。) あと、28人中16人が「インターネットをやる」と答えた。全アンケートの内容と結果はこちら。
1999/4/15
電磁気学 I 演習開始。
2年前は、合格基準などが曖昧で学期末に混乱を来したので、今回は第1回にガイダンスをし、演習6割、試験4割の配分に最初から決めた。ついでに、「電磁気学I演習のホームページ」を作り、問題などを全部入れていくことにした。
1999/4/14
物理学実験 II 開始。
今日は組分け&第1回目の実験を行う。学生数を10人ぐらいも under-estimate していたことが判明。ほとんど満員で、これ以上増えたら来年からはヤバイかも。
1999/4/12
新学期開始。
今年度の教育関係 duty は物理学実験の世話人、物理学実験で「レーザー」に代わる新実験「分光」の立ち上げ、そして電磁気学演習担当の3つ。(分光実験の立ち上げは自分から提案 して引き受けたものだから義務とは言えないけど) 世話人は大して時間をとらないからいいけど、新実験の立ち上げと演習は結構時間がかかる(特に採点)。 去年よりは研究時間が大分減りそう。
1999/4/6
音楽のページを久々にすこし更新。
1999/3/28-31
日本物理学会年会(広島大学)に参加、発表。
この間、飲み会が3つも有ったが、情報収集・交換が大いに進んだ有意義な学会だった。広島大学・高畠研究室のすばらしい結晶成長装置を見学させてもらい感動。
1999/3/22
研究室のホームページを久々に更新。
(A127号室の装置の写真と説明を追加)
1999/3/19
新4年生の配属会議終了。
難波研への新4年生の配属は3人に決定。今年も少なかった。物性の中でも不人気だったけど、さらに物性全体も、素粒子よりは不人気だと感じた。これはこの3年ほどずっと続いている傾向だ。教官送別会の2次会で、なぜ物性よりも素粒子の方が物理の学生に人気が有るのかについていろいろ議論。
1999/3/15
新しいパソコンが届く。
3年間使ったPentium 133 MHzマシンからPentium 400 MHzマシンへ移行、やっと世間並みに。ファイルのコピーや設定、ソフトのダウンロードに終日かかる。新しいPCはとにかく速くて快適!(今までが遅すぎ たと言うべきか)。特に今までいらいらし続けたPDFファイルの表示と印刷はずいぶん早くなった。
1999/3/4
「SPring-8利用技術に関するワークショップ」参加。
我々の赤外ビームラインのセッションとは別の会場で、阪大吹奏楽団の後輩に10年ぶりぐらいでばったり出会う。阪大の助手をやってて、ポリマーの構造解析が専門とのこと。赤外も使うらしいので、うちのBLも使いに来てね、と宣伝する。
1999/3/3
新4年生の研究室配属のためのガイダンス。
ボスは新4年生たちに、「うちの研究室は体力勝負」みたいなことを何度も言った。あれじゃ学生が逃げるに決まってる。オレのせいじゃないからな、と思いつつ「新4年生のための研究室紹介」を研究室のホームページに追加。
1999/2月末
NiSの論文の再投稿用原稿がやっとできた。うぅ、すでにレフェリーレポートを受け取ってから4ヶ月経っている。ちゃんと受け取ってもらえるだろうか。
1999/2
修論発表、卒研発表がやっと終了。直接指導するM2が3人いて、修論の原稿に目を通すだけでも大変なのに、SPring-8の仕様書作成が重なって大変だった。でも、3人とも良いデータが出ているので、結果オーライ。
1999/1
新年早々、SPring-8赤外ビームラインの仕様書作成に追われる。来る日も来る日もワープロ、CAD、業者へ電話して見積もり請求に明け暮れる。