<飛行機のセキュリティ>
同時テロ以後初めてのアメリカ訪問では、やはりセキュリティ関係が以前と全く違っていた。まずチェックインが機械化されていて、最初は訳がわからず戸惑っ た。パスポートを機械に通すと搭乗券と荷物に付けるシールが出る。しかしこれは慣れるとかえって楽である。その代わり窓側とか通路側とかは最初から決まっ ていて変更すると料金を取られるようだ。入国検査はすんなり行ったが、話に聞いていたとおり両手の指紋をとられた。次が荷物検査。靴も脱ぐ。おまけに自分 はadditional screeningに2度選ばれて、時間を食った。かばんのポケットや中のものを、白い紙でこすりまくって機械に入れる。爆発性の化学物質のセンサーのよ うだ。
<アクロン>
Akron市は関空からの飛行機の乗り継ぎ地であるデトロイトから飛行機で30分ぐらい。空港から乗った市バスの運転手はイヤホンで音楽を聴きながら運転 し、バス停でもないホテルの前でおろしてくれた。いくらアメリカでもボストンあたりでは考えられない。とてものんびりした田舎である。アクロンはかつてゴ ム・タイヤで世界一のシェアを誇ったGoodyear社が設立された所で、100年ぐらい前はものすごく栄えたそうである。今ではGoodyearは他へ 移転したけど、その伝統で今でもアクロン大学にはポリマー関係の独立した学部が2つもある。宿泊したホテルはアクロン大学の目の前にあり、大手食品会社Quaker Oatesが設立時に使っていた歴史的な穀物サイロを、そのままホテルに改造したというとてもユニークな建物。すべての客室が丸い、というふれこみ通り、自分が泊まった部屋も丸かった。広くて清潔で快適だった。
<ヒューストン>
アクロンから再びデトロイト経由でヒューストンへ飛ぶ。ヒューストンの空港からホテルまでシャトルに乗ったが、初めて聞く生のテキサス訛りで、運転手の 言ってることがよく判らない。Kobeから来たと言うと、Kobe Bryant(プロバスケットのスーパースター)知ってるかと聞くから、もちろん知ってる、やつの名前はオヤジがKobe Beefに感激したからKobeと付けたんだ、と教えると、へーと驚いていた。着いてみるとホテルはとんでもない所にあった。最寄のバス停まで歩いて15 分。ガレリア(ショッピング街)から近くて便利、という触れ込みは車があればの話。学会会場までは合計1時間もかかってしまう。しかもバスは30分に一 本。今回のホテル選定は完全に失敗。
到着翌日、ウェルカムパーティーが夕方なので、昼はヒューストン交響楽団の コンサートへ出かけた。迷ったため開始から10分遅れてホールに着き、まだチケットある?と聞くと、あるよ、とポンとチケットをくれた。いくら?と聞くと なんと無料。コンサートが始まってから残ってるのはタダらしい。日本では考えられない。(間に合ってたら定価だから、最初の序曲が聴けないだけで無料は ラッキーだった。しかもタダ券にしてはとても良い席だった) オール・ブラームス・プロで、久しぶりに聞く生オケはとてもよかった。(メインのブラームス2番を生で聴くのは、自分で演奏した以外では初めてだった)
SCESの会場はダウンタウンのHilton。会場の冷房が異様に強くて体が冷え、時差ボケが長引いたのも手伝って体調はずっと悪かった。ロビーで休 もうにも、冷房が強いのはここも同じ。ホテルが遠いからセッションの合間に部屋に帰れないし、バスは少なくて不便だし、バスを降りたら15分も歩くし、や はりよく考えずに安いホテルを取ったのが大間違い。今回はこれに尽きる。
NASAの見学ツアーは面白かった。ロケットの巨大さに驚く。本当に打ち上げるところを見てみたい。
自分の発表が済んだ日の夜、学会のオプションでアストロズ対ジャイアンツの試合へ。ボンズは不発。アストロズはエースのオズワルトが6回2アウトまでノーヒットノーランと好投したが、点が取れない上にエラーも出て、延長の末に負け。席は一塁側内野席で、球場はとてもきれいだっ た。(写真は岩手大のN氏提供。自分はカメラを充電し忘れて写真が撮れなかった。)神戸大の同僚M氏がファウルボールをゲット。近くで観戦していた Phil Andersonにサインしてもらったそうだ。自分は隣のドイツ人(学会参加者)が野球のルールを全く知らなくて、いちいち英語で説明するのが大変だっ た。自分はMLBが好きで英語の野球用語は大体知っているのだが、それでもかなり難しかった。(しかしこのドイツ人には大変感謝された)
<ニューオーリンズ>
ニューオーリンズでは、G君に何から何まで世話になった。市内の彼の家はハリケーン「カトリーナ」で浸水して以来、床を修理してないとのことで、ニュー オーリンズの北方、Covingtonにある彼のもう一つの家に1泊、翌日は市内の彼のお兄さんの家に泊めてもらった。(お兄さんといっても高齢で、85 歳ぐらい。太平洋戦争では急降下爆撃機の後方射撃手で64回出撃して生き残ったと言っていた)郊外の家は(アメリカ標準では)小さいが、森の中を流れる川 辺で広い芝生に囲まれ、田口選手が所属するセントルイス・カージナルスの名前にもなっている赤い鳥(cardinals とも、red birdsともよばれるらしい)が飛んでいて、本当に静かでのどかなところ。日曜はここでキャッチボールをしたりフリスビーを飛ばしたり、カヌーを漕いだ りしてのんびり過ごした。市内で泊めてもらったお兄さんの家は大きな邸宅で、キングサイズのベッドに一人で寝かせてもらった。居間に並んでいるブリタニカ の百科事典は、どうみても100年ぐらい前のエディションで手に取ると崩れそうだった。
カトリーナで浸水した跡がくっきり残る家がまだたくさんあった。決壊してPontchartrain湖の水が流れ込む原因になった堤防も、あちこちでまだ工事中。傾いた灯台や壊れて放置されたヨットハウスなどもたくさん残っていた。湖の真ん中を横切る橋は40 km近くあって、車で渡るのに30分ぐらいかかった。
ニューオーリンズは、魚貝類や"Cajun"とよばれる独特のスパイシーな料理で知られる。生まれて初めてザリガニを食べた(右 がザリガニ。養殖してるらしい)。ここではお祝いの時など大量に料理してもりもり食べるらしい。しかしとにかくザリガニなので、自分は最初かなり抵抗が あった。しかし味は普通のエビの味で、味付けがぴりっとしていて、ロブスターよりおいしいと思った。しかし小さいのでほじくるのが大変。他にもいろんなレ ストランに連れて行ってもらった。oysterも良かったが、turtle soupは特においしかった。あとCajun料理の定番Gambo Ya YaとJanbalayaを久しぶりに食べた。(今回はワニを食べ損ねたのが残念)また本場のBread Puddingに感動。本当においしかった。French QuarterにあるCafe Du Mondeの総本山にも行った。かつては神戸にもCafe Du Mondeがあったけど閉店してしまったので、これも久しぶりだった。名物のベニエ(揚げパン)は、日本のCafe Du Mondeのやつよりもずっとこってりしていて、砂糖が超大盛り。さすがアメリカである。