2006/12/12
昨日のYbInCu4に続いて、今日はuniversal scaling論文のアクセプト通知が来た。これでやっと正月が迎えられる。とは言っても院生達が取った貴重なデータは蓄積していて、論文にまとめるべきネタがまだ多くある。後期は授業が多くて無理だから、来年度前期が勝負か。
2006/12/8-11
SPring-8出張。Yb金属の遠赤外再測定。この2年間SP8ではこればかり測っている。しかしいい加減なデータで論文を書くわけには行かないので再現性はしっかりチェックしたいし、かといってマシンタイムは限られている。時間がかかるのは仕方ないか。YbInCu4のへき開試料の論文がアクセプトされたとの知らせが来て、最近では珍しく良いニュースである。
2006/12/6
Billy Joelの コンサートに出かけた(大阪ドーム)。自分は中学生の頃からJoelの大ファンで、ライブに行くのは1984年、1987年に続いて3回目。「ピアノと歌 のうまいアニキ風」だった彼も今や58歳。一回り太って頭もすっかり涼しくおじいさん風になってしまった。ここ10年発売されるのはベスト盤やライブ盤ば かりだし、ドラッグで死にかけたとかいう噂もあって心配していたが、実際はめちゃめちゃ元気だった。休憩を入れずに全23曲を一気に演奏して、声もよかった。30年近く聴き込んだ曲が次々と目の前で本人によって演奏されていくのだから、2時間の間は日常を忘れて夢のようだった。これが最後の日本ツアーという噂もあるが、また帰ってきてほしい。
(2011追記) この前月に東京で行われたコンサートのTV放送がYouTubeにアップロードいたので、大阪での曲順に並べたプレイリストを 作ってみた。(初期の"Everybody loves you now"と"She's always a woman"は放映されなかったか東京では演奏されなかったらしい。一方大阪で演奏されなかった"Scenes from an Italian restaurant"は東京では演奏されたらしく、リストの最後に加えた) オリジナルと聞き比べると多くの曲でキーを下げて演奏している。さすがに 60近くなって若い頃と同じキーで歌うのはしんどいか。
2006/12/5
StanfordのJason Hancockが大学院生のGuillaumeと共に研究室を訪ねてきてくれた。(Jasonは元々赤外屋だが今はX線散乱をやっていて、SPring- 8で2週間実験した帰り道)あいにく授業が2コマある日であまり長く話せなかったが、色々議論して役に立った。(先週ぐらいにニュースが流れたO.J. Simpsonの話でも盛り上がった。無罪判決が出てからもう10年か。)
2006/11/29-12/2
UVSOR BL7Bマシンタイム。検出器のSi PDが焼けていて場所による感度ムラが大きく、けったいなスペクトルばかりが取れて困った。(感度が一様に下がるなら定数倍だけの問題だが、困ったことに 焼けたところの感度低下は波長依存が大きい)PDは交換してもらえることになったが、やはり自分のを買って、マシンタイムの度に取り付けるのがよさそう。 特殊なPDなので高いけど。
2006/11/17-20
SPring-8マシンタイム。40 GPaに到達した。(それ以外は特にパッとしないマシンタイムであった)
2006/11/15
松坂選手のMLB挑戦の話題で持ちきりだったこの1週間。入札の結果はレッドソックスと出た。レッドソックスのファンである自分には大ニュースである。 2004年に大逆転劇でヤンキースを下してアリーグを制し、カージナルスにも4連勝で68年ぶりにワールドシリーズを制覇したレッドソックス。しかし以後 は2005年は地区シリーズ敗退、2006年はレギュラーシーズン敗退と、落ち目のレッドソックス。形勢挽回のため大ばくちに出たのだろう。(入札だけ に$51Mというのは、MLBの基準でもすごい額である)これまでほとんどの日本人はヤンキースやマリナーズを応援していたから、レッドソックスが急に日 本でメジャーになるのは、何となく複雑な気持ちもするが、これまで日本でほとんど放映されなかったレッドソックスの試合が来年からは多く放映されるのはよ かった。甲子園や日本シリーズ、WBCなど、松坂選手がここ一番でプレッシャーに動じないことは証明されている。がんばってほしい。
2006/10/31-11/2
SPring-8シンポジウムおよび固体分光研究会ミーティングに参加。
シンポジウムの夜、宿舎でネットを見ていると、兵庫県でも数校で履修逃れが発覚したとのニュース。そのうちの一つは何と我が母校、県立長田高校である。最 初に思ったのは「え?オレも履修漏れだったの?」ということ。しかしよく思い出してみると、受験で選択しなかった日本史、世界史とも確かに授業を受けた記 憶がある。(担当の先生が担任だったり個性的だったりで、ちゃんと思い出せた)大体、自分が通っていた頃の長田高校は超放任主義で、制服もない、補習もな い、受験指導も(面談以外は)無い、受験勉強したければ各自がやれ、そんな感じだった。(しかし体育の授業は厳しかった。これは今でも続いているらしい) いつの間にインチキしてまで受験実績を上げようという高校に変わってしまったのか。情けない。
2006/10/26
ここ数日ネットで気になるニュースが2つ。一つは高校が受験に必要ない科目を生徒に履修させず、虚偽申告していた事件。なんともやりきれないニュースであ る。高校生が受験で選択しない科目を受講したくない、と希望するのは自然なことである。しかしインチキで生徒の希望をかなえてやった大人たちのやったこと は、教育と言えるのか。昔より授業時間が減って、ただでさえ受験科目の指導が追いつかないから背に腹は代えられない、という事情もあったのだろう。高校の 実情を知らない者が偉そうなことを言うな、と言われるかも知れない。しかしその教師たちは、高校教育とは何か、ちゃんと考えているのだろうか。結局、諸悪 の根元は大学入試制度である。大学入試廃止論者の自分としては、やはり現行のような大学入試制度をやめるのが一番だと思う。センター試験をもっと簡単にし て年4回ぐらいやり、何度でも受験できる資格試験とする。そして各大学の個別試験はやめて、合格者の選抜は大学側の主観でやればよい。
もう一つは工学部の志願者が激減していると いう話。このデータを見ると、工学部、医師薬系、看護医療保健系の3分野で合計志願者は10年で15%減っている(これは少子化)。しかし医師薬が20% 増、看護医療保健は120%増に対して工学部は42%減になっている。工学部出身の自分としては、これも悲しい傾向である。理科好きでも「資格が取れない から」工学部を敬遠するのか、それとも理科離れの一環なのか。景気の悪さを反映した世の中の変化と言えばそれまでだが、景気が回復したらまた増えるのだろ うか。
2006/10/13-/16
SPring-8出張。30 GPaまでの高圧実験。2日続けて朝3時までの実験で、疲れ果てた。
2006/10/3
講義開始。2限が物理学科の熱統計、4限が医学部医学科の物理学B2.学部授業のダブルヘッダーは初めてで、やはり疲れる。しかし以前は1限だったB2が 4限になり、熱統計も2限なのは助かった。朝出勤していきなり授業するのと、2時間準備して2限に行くのでは、負担が全然違う。帰宅後、風呂からあがって ネットを見ていると、今年のノーベル物理学賞は宇宙背景放射の衛星観測という記事が出ていた。早速ノーベル財団HPのプレスリリースを読んでいると、息子 (5歳)がやってきた。
息子「何見てるん?」
自分「偉い先生がノーベル賞っていう賞を取った記事を見とるんや」
息子「パパが取ったん?」
自分「(苦笑)パパもいつか取れたらいいなと思ってがんばっとるんやけどな」
息子「ふうん」
ちょっと笑えるやりとりである。
2006/9/23-25
日本物理学会秋季大会参加(千葉大学)。データ処理に時間がかかって、新幹線の中でもずっとフィッティングを続け、前日、前々日もホテルで夜遅くまで準備 をし、スライドが完成したのは発表の30分前。データ処理を甘く見たのが間違いの元で、8月中にやっておけば良かった。2日目午後に高温超伝導、重い電子 系、テラヘルツのどのシンポジウムに出るか迷った末、テラヘルツに出てみた。江崎先生の講演も思ったより面白かったし、ブロッホ振動や量子カスケードレー ザーの現状がよくわかったのは収穫だった。「ノーベル賞受賞者だから話を聞いてみるか」という冷やかし連中は江崎先生の話が終わるとぞろぞろ出ていった が、江崎先生はシンポジウムの最後まで熱心に話を聞いておられた。それにしても量子カスケードレーザーの進歩は早い。近赤外からテラヘルツまでカバーして るし、パワーも上がっている。赤外放射光のライバルがますます増えてきているような。
2006/9/20
Universalityの論文の再々投稿とYbInCu4論文の投稿を一度にすませた。前者はレフェリーとのやりとりでずいぶん良くなったと思うが、これでだめならあきらめよう。いい加減出版しないと腐りそうである。
2006/9/14-9/17
SPring-8出張。来月のマシンタイムの準備と整備をかねて。
2006/9/4
PCの不調を何とかごまかしながら使ってきたが、国際会議も終わったし授業が始まる前の今のうちに、ということでWindowsの再インストール。しか し・・・ひどい目にあった。教訓:OS再インストールは、しっかりバックアップを取ってきれいさっぱりフォーマットしてから入れ直すに限る。修復モードや Windowsのみの更新は、結局よけいに時間がかかる。(この1週間でいったい何度再起動をかけただろうか)何日もかかってやっときれいに直った。さあ 仕事。
2006/8/26-8/29
ICMサテライト"Novel Pressure-induced Phenomena in Condensed Matter Systems"(福岡)参加。福岡はとにかく蒸し暑かった。会議はとても勉強になった。自分の発表はデータ処理が間に合わなくて、結局反射スペクトルの 話だけの発表になってしまった。ダイヤの屈折率を入れたDrude-Lorentz fittingは、原理的には簡単だが、実際にやるのは時間がかかってなかなか大変である。神戸以外にも、ジュネーブ大学の大学院生が高圧赤外の発表をし ていた。来年にはSwiss Light SourceでDACによる高圧の装置を立ち上げるらしい。うかうかしていられない。
2006/8/16-8/19
ICMサテライト"Research in High Magnetic Fields"(仙台)参加。Proceedingsは出さず、最近の強磁場の状況を見てみよう、という感じで参加。半導体ではない、強磁場何でもありの 国際会議に出るのは1993年以来である。今回にあってあのときになかった話は、SR施設+パルス磁石による実験である。赤外FEL施設の隣にパルス磁場 施設を作り、直径30cmのパイプで赤外レーザーを運ぶという話もあった。量子ホール関係の話が少なかったのが残念。2次元電子系の業界は今、どうなって いるのだろう。
2006/7/24
やっと再投稿完了。丸4日間ぐらいずっとかかり切ってやっと完成。さてレフェリーはどう出てくるか。
2006/7/14
エストニアの学会で仕入れた余談。
<その1>バンケットの後のinformal lecture(話題は20世紀前半の光電効果の研究について)で、Olivia Newton-JohnはMax Bornの孫だという話をしてた。ホンマかいなと思ってネット検索すると、確かにOliviaの母はMax Bornの娘だとあちこちに書いてある。しかもOliviaの父は第2次大戦中イギリスのMI5に所属し、ナチスの暗号解読やRudolf Hessの逮捕・拘留に関わったらしい。こんな血筋を引いて大歌手になったのは本当に不思議である。
<余談その2>Smith-Purcell放射を使ったテラヘルツ光源を製造・販売する会社があると聞いた。確かにあった。世の中にはいろんな会社があるもんだ。
2006/7/10
時差ボケが取れないうちに宝塚市内の県立高校で出前授業。時間配分が少しまずくて50分に収まらず。もうちょっと工夫が必要だな。
2006/7/1-7/6
Low-Energy Electrodynamics in Solids 2006(エストニア)に参加。
初めて訪れるエストニアでは、滞在中ずっと快晴。夜間は少しひんやりしていたが、日中は寒くなく熱くなく、湿度も低くて快適だった。緯度が高い上に夏時間 で、夜は11時ぐらいまで日が沈まないし、やっと沈んだ後もしばらく空は明るい。体内時計は狂いっぱなしだった。学会会場は首都タリンの中心部から西へ約 35 kmの海岸に面したリゾートホテル。周りには本当に何もなく、缶詰で物理の学会をやるにはうってつけの場所。(夜のホテルロビーでのワールドカップ観戦で も盛り上がっていたが。イタリア-ドイツ戦の夜は特に盛り上がっていた。)参加者100人ぐらいのこぢんまりした学会で、自分以外は全員が全員を知ってい るような雰囲気だった。メインは高温超伝導体で赤外、光電子、トンネル分光など。この業界の人はとてもオタクな議論をするので、自分にはよく判らなかっ た。赤外では拡張ドルーデモデルによる議論が幅を利かせていた。(自分は未だに拡張ドルーデの本質が良くわからないけど)重い電子系の口頭発表は自分を含 めて2件だけ。発表では結構かんでしまったので、70点ぐらいの出来かな。(発表の最後にWIRMS2007の宣伝も入れた)この学会が面白いのは、セッ ションが終わるとそのセッションの発表者が全員前に出て、発表者と聴衆によるディスカッションが始まることだ。自分のセッションの座長はTimuskだっ た。これまで色々論文を読んできたTimuskに初めて会った上に自分のセッションの座長だったのは感激した。その後バンケットでも隣に座って色々質問を した。ラピッドスキャンのFT-IRを自作する凄い先生であるが、今はBruker 66vを使っている、こいつはすばらしいと絶賛しておられた。とても充実した学会で、次回(2年後、バンクーバー)も是非行きたい。
写真1:集合写真。
写真2:学会が行われたホテル。
写真3:ホテル前のビーチ。正面がバルト海。2人の人は何を取っていたのだろう?(撮影は夜の11時ぐらい)
写真4:首都タリンの中心部に残る城壁。
写真5:城壁内の教会は西欧の教会とはだいぶ雰囲気が違う。ロシア正教の影響らしい。
写真6:城壁の中の丘から眺めるタリン市中心部。
写真7:旧市庁舎。1300年ぐらいに立てられて現存しているらしい。
写真8:市庁舎最上階の議会室の床。左側のガラスで保護されている部分が建設当時のオリジナルのタイルらしい。色は殆ど落ちていない。
写真9:エク スカージョンで夕食を食べたレストランの案内。中世のハンザ同盟都市だった頃を再現したレストランで、内部は電灯がなくろうそくのみ。料理も当時の再現 で、ハチミツやシナモンの入ったビールなど、他では味わえないものが多かった。途中で入った生演奏も、バイオリンとギターを足して2で割ったような変わっ た民族楽器で、とても良かった。(室内が暗いので安物デジカメでは写らなかった)
2006/6/22
レフェリーコメントに関連してこの1週間悩んだ問題が解決。理論屋の書く式は独自のconventionが多いので、実験と比較するのは大変である。ご ちゃごちゃ計算し続けて何とか一致した。理論屋のconventionに加えて、理論屋の言う状態密度と実験(比熱係数)から求まる状態密度の違いも誤解 していた。
2006/6/17
大学近くの六甲川にホタルがいると聞いたので、見に行った。確かにいた。乱舞と言っていいぐらいだった。子供の頃は実家の回りにホタルはたくさんいたけ ど、水路が全部コンクリートになった後は姿を消したので、見たのは多分25年ぶりぐらい。六甲川は川底も両側も石垣になっているけど、草がたくさん生えて いる場所にはホタルが生息できるらしい。初めてホタルを見た息子に「何で虫が光るん?」と聞かれたが、たしかに微小なエネルギーであんなにきれいに発光す るのはすごい。黒体輻射光源と違って変換効率が高いんだろうな。
2006/6/14
指揮者の岩城宏之氏が亡くなった。73歳はバーンスタインとほぼ同じで若すぎた。9月にオーケストラアンサンブル金沢と大阪シンフォニーホールに来演予定 で楽しみにしていたのだけど、残念。医者がやめろと言うのを振り切ってベートーヴェンの交響曲全曲演奏を2年続けてやったとのことで、無理がたたったのか も知れないが、まあ指揮者の本望だろう。音楽もさることながら、自分は岩城氏の書くエッセーが好きだった。合掌。
レフェリーコメントが帰ってきた。厳しい。しかし多くのコメントはごもっともで、こちらの原稿に穴が多すぎた。またやり直しやな。
2006/6/1-3
科研費特定領域研究会(仙台)。議論が盛り上がって良い研究会だった。糟谷先生はびっくりするぐらいお元気だったが、対策はしていたのであまり被害は無かった。久しぶりに食べた牛タンがおいしかった。(以前より5割ぐらい値上がりしていた)
2006/5/27-29
SPring-8マシンタイム。遠赤外で36 GPaまで測定。
2006/5/17-19
高圧ガス講習会受講。時間のムダとしか言いようが無い。(国試部分免除のために仕方ないけど)
2006/5/5
気候も良くなったので六甲山に登る。自宅-->六甲ケーブル下-->油コブシ-->六甲ケーブル山上駅-->六甲ガーデンテラス というコースを往復した。(自宅との標高差は約700m) ケーブル下から山上駅まではケーブルだと所用時間10分のところ、1時間半かかった。ケーブル のコースとほぼ平行に上るので、結構急だったけど、翌日の筋肉痛は思ったほどではなかった。(まだ捨てたモンじゃないな。毎日鶴甲と3号館の間を上り下り してるし)快晴でとても気持ち良くて、眺めも最高だった。次は芦屋川からロックガーデンを経て六甲山頂を目指す予定。
山上駅から見た神戸大付近。 手前が発達科学部グラウンド。右手の緑色の屋根のマンションが自宅。。
ガーデンテラスより。 右がポーアイで左が六アイ。霞んでいたので神戸空港はよく見えない。
2006/5/3
WIRMS 2007国際会議の下見をかねて、淡路夢舞台へ。天気も良く、淡路SAにできたばかりの観覧車からの橋と海峡の眺めは本当にすばらしかった。(写真1 写真2)夢舞台はチューリップが満開でとてもきれいだったが、橋と海峡は見えないことが判明した。SAにレストランだけでなくホテルがあれば、とても流行ると思うのだが。(本州側では高台に舞子ビラという老舗ホテルがちゃんとある。眺めは最高だが、結婚式場はあっても国際会議ができるようなホールはない・・・と思ってたのだけど、ちゃんとホールができてた。 音楽用ホールのようだが、一度行ってみよう。)
2006/4/27
というわけで、やっと投稿完了。 本格的に取りかかってからやっぱり4ヶ月かかった。共著者の先生方、有用なコメントありがとうございました。アクセプトされることを一緒に祈って下さい。(祈るだけではアカンか。レフェリーに何言われても今回は徹底抗戦するぞ)
2006/4/19
LEES 2006に申し込んでいたアブストがオーラルで採択された。良かった。国際会議でのオーラルは2003年のIRMMW以来なので、ちゃんと練習せなあかん。(その前に早く論文にまとめて投稿しないと)
2006/4/14-18
SPring-8マシンタイム。(山の上はまだ桜が満開だった)
不具合が直って帰ってきたキュレット径0.4 mmの新DACで初めての実験。中赤外の反射率測定で38 GPaに到達した。ガスケットはまだ十分耐えていたし、40 GPaまで行けそうだったが、30 GPaを超えたあたりで赤外スペクトルの変化がほとんど無くなってしまったので、38 GPaで止めておいた。次のマシンタイムは遠赤外で同じ圧力に挑戦。
2006/3/27-30
日本物理学会参加。(愛媛大学)
高速バス(明石海峡経由)で行ったが、四国の高速道路が良く整備されていることに驚いた。また四国には高い山がとても多いことも初めて知った。
2006/3/21-25
SPring-8 BL43IRマシンタイム。
先週の続きで遠赤外の実験。結果はイマイチ。
2006/3/13-18
SPring-8 BL43IRマシンタイム。
使用予定だった0.4mm culetのアンビルとセルに不具合が見つかり、40 GPaは断念。仕方なく従来通り0.6 mm culetのDACで18 GPaまでの実験を行う。反射率が1を超える問題は解決。それにしても3月とは思えない寒さで参った。(初日の夜、宿に帰る時の外気温はマイナス4度だっ た)
2006/2/28
連日缶詰の公務終了。
最近物忘れがひどくて、春の物理学会に次いでICMもアブスト締め切りを忘れてしまい、出し損ねた。(出すネタはいくらでも有ったのに)まあ、ICMのよ うなマンモス会議よりもう少し小規模学会の方が、ということで、高圧(福岡)と強磁場(仙台)のサテライトに出席予定。神戸-仙台路線でさっそく飛べそ う。(スクッテルダイトの研究会も仙台)
2006/2/18
やっと卒研、修論発表が終わった。院生のがんばりにより、PrFe4P12はかなり面白いデータが出た。(というか、出ていたことが判った)2 Kまで冷えればさらに面白そうだし、f2系のc-f混成は、理論的にはほとんど判っていないことも知った。フロー型の装置作りと低温測定は今度の4年生の 卒研かな。
2006/1/30-2/4
UVSOR BL7Bマシンタイム。f電子系の試料と共に、その場蒸着した金属Ybの反射率を測った。真空は6x10-9 Torrぐらい。スライドガラス上に目視で向こうが見えなくなるまで蒸着して測ったら、G1領域(60-100 nmあたり)できれいな干渉縞が出た。プラズマ端より高振動数では金属は透明になるという、教科書に書いてあることを実体験できて感動した。干渉縞から膜 厚dを見積もると、nd=500 nmぐらい。n>1だからdはもうすこし薄いだろうが、縞が出ると言うことは光が膜を往復して外に出たのだから、G1領域の侵入長は500 nmぐらいはあるだろう。幸いYbがまだ残っていたので無くなるまで上積みすると、縞はもちろん消えた。蒸着装置を持って行くのは重かったが、良いデータ が取れたので良かった。
2006/1/16-1/21
UVSOR BL6Bマシンタイム第2週。PrFe4P12のミリ波領域の測定。
2006/1/9-1/14
UVSOR BL6Bマシンタイム第1週。SrTiO3のソフトモードの再測定。
2006/1/7-9
日本放射光学会年会参加、発表。
初めて名大へ行った。キャンパスのど真ん中に地下鉄駅があって便利だし、キャンパスもきれいだと思った。面白かったのは、この名大駅がある名城線の「左回 り」「右回り」という表示。金山で環状路線だと知らずにホームに駆け下りて、発車寸前の「右回り」電車に飛び乗ったら、逆方向(西)へ行ってしまった。名 大は東(北東)に有るのは知っていたので、当然「右」だと思ったのだが、よそ者には不親切な表示である。ところが後から見た英語表示にはちゃんと 「clockwise」「counterclockwise」と書いてある。これなら方向と同時に環状であることも判って間違えないし、大阪環状線「内回 り」「外回り」も明瞭である。(電車が左側通行と言うことさえ知っていれば) しかし「名城線」と聞いても環状とは判らないので、右回り左回りが何を意味 するかはよそ者には判りにくい。(おかげでUVSOR利用者懇談会に遅刻していなければこんな文句も言わないのだが。)