2002/12/31
カレンダー通りでも9連休ということで、今回は例年よりも気合いを入れて大掃除をした。子供が出来てモノが激増したため、本などを大学へ移動した。昔懐か しい本、写真、手紙、などが出てくる度にしげしげと見入ってしまうため、なかなか進まない。聴かなくなったCDも大幅リストラし、約30枚を中古ショップ で売却。(6200円ナリ)
2002/12/27
昨日は今年最後の講義(補講)。どれぐらい来るかなと思ったら、1/3ぐらい。(小テストは しないと予告していた)普段の宿題答案を見ていると、内容を全く考えずに人の答案を「機械的に丸写し」している連中が半分ぐらいはいる。間違った公式、単 位忘れなど、本当にそのまま写しているのが呆れる。昨日出てきた人たちが答案供給源で、来なかったのが写す連中なんだろうな。(講義が終わってほっとした ら、夕方の教室会議のことをすっかり忘れてしまった。)
今日、研究室のHPを古い内容のまま長期間放置していることを思い出す。いくら何でも古いので、新しい4年生リクルートの前に更新する必要があるが、時間がなかなか取れない。まあ、来年にしよう。今年はこれまで。
2002/12/20
年末恒例第9の時期になった。もうずいぶん長い間コンサートに行っていない。今年行きたかったのは何と言ってもポール・マッカートニーの来日コンサートで ある。直前まで空席があったので、時間さえあれば行けたのだけど。テレビに映ったポールの顔はもう立派なおじいさん。"All my loving"を歌うところが放映されていたので、一緒に歌ってみた。20年前に覚えた歌詞を今でもほぼ覚えていたのには自分でも驚いた。ウィントン・マ ルサリスのジャズ・オーケストラも行きたかったなあ。来年は何とか時間をこさえてコンサートに行きたい。
2002/12/12-16
SPring-8マシンタイム。実験はうまく行ったが、思った結果は出ず。やはり、現行の方法での時間分解は難しいか・・・。
2002/12/6-7
光物性研究会参加(大阪市立大学)。発表無しでの参加で、研究会を見るためと言うより、研究打ち合わせのための参加。
2002/11/20
先日のマシンタイムの時、測定待ち時間にボストン交響楽団のHPを見ていると、オーディション告知が出ていた。ティンパニとチューバを同時に募集してい る。ティンパニは小澤さんと同時に辞めたFirthさんの後任。ミュンシュ時代から50年勤めた大ベテランで、サイトウ・キネン・オケにも毎年のように客 演している。チューバはSchmittさんという、やはり数十年勤めて辞めた人の後任。コンサートの休憩時間にステージから聴こえて来る、この人のなめら かな半音階には「これでもチューバの音か」と何度も感動した。HPにはオーディション課題曲に加えてスコアの練習番号まで載っていて、見ているとなかなか 楽しい。
2002/11/13-14
分子研研究会「赤外放射光の現状と将来」参加。2件発表。初めてパワーポイントで講演をした。大変勉強になった研究会だった。
2002/11/5-10/8
SPring-8マシンタイム。今回は顕微ステーションでのスピンクロスオーバー錯体の実 験。直前にカゼを引いてマシンタイムに出かけたら、初日は準備のみ、2日目はカゼで完全にダウン、3日目は徹夜し、明け方に鼻血は出るわビームは落ちる わ、もう大騒ぎ。しかしデータは良いデータが取れた。体調が良くて3日とも実験していればさらに良いデータが出たはずなのに。やはり実験屋の基本は体力と 痛感。
2002/10/31
一昨日に科研費書類をやっと出し、今日は別の研究助成の書類2件を出した。この2週間ぐらい、頭の中は申請書作成と講義の準備ばかり。やっと終わったら、今度はマシンタイムと研究会。春に書き始めた論文はもう3ヶ月ぐらい全くの手つかず。どうなることやら。
2002/10/18-21
SPring-8マシンタイム。SrTiO3の紫外レーザー照射下での中赤外スペクトルを測ると、透過でも反射でもきれいに変化が出た。遠赤外も期待できそう。それにしても疲れた。
2002/10/3
最初の講義。医学部医学科の学生とはどんな連中なのか、と思っていたが、見た目は他の学部と 変わらなかった。女性の比率は物理よりもだいぶ高い。高校での理科選択科目のアンケートを採ると、一番多いのが物理+化学の組み合わせで、生物を選択せず に医学部に入った人たちである。まあ、高校の生物って暗記科目で、自分も全くつまらなかった記憶があるので、大学に入ってからちゃんと勉強すれば良いので しょう。物理を教える側にしてみれば楽である。次に多いのが生物+化学の組み合わせ。この人達は物理で苦労しているようだ。科目を書くように言っただけな のに、物理はさっぱりわからない、苦手なのでよろしく、などのメッセージが多かった。
2002/10/1
辞令をもらった。
2002/9/27
物性物理の世界を騒がせたベル研のデータねつ造疑惑。調査委員会の報告結果はクロと出た。 何とも後味の悪い結末である。データねつ造の方法が極めて幼稚なケースもあり、権威ある学術雑誌がそのまま出版したのが不思議である。かく言う自分も酸化 物の電場ドープ超伝導の話を去年の日記に載せてしまったけど。みんな、やはりベル研のブランドで、かつバトログのような有名人が共著者だから、何となく信 じてしまったのだろうか。
2002/9/13
新しく提供された単結晶試料の研磨に明け暮れる。フラックス法で出来た試料は、あまり大きく ない上に固まり状でぼろっと崩れやすく、広い平らな面を出すのが難しい。研磨というのは原始的な作業だが、実に奥が深い。研磨紙の規格にしても、日本、ア メリカ、ヨーロッパで異なる。(日本の1000番と海外のP1000は目の粗さが違う)少し削っては顕微鏡をのぞき、の繰り返しで疲れ果てたが、何とか測 定可能な光沢面が出せた。
2002/9/6-9
日本物理学会秋季大会参加(中部大学)。ポスターとオーラルが各1件。今回は多くの人とさまざまな議論をし、3件の商談が成立。(新しいサンプルを供給してもらえることになった) 実り多い学会だった。
2002/8/24
いろいろ設計段階でまごついた高温測定装置だが、院生たちの努力で組み上がってみると、温度 はあっさり600 K以上まで上がった。しかも所要時間は10分ぐらい。(問題は冷えるのにえらく時間がかかることだが、まあこれはOK。)どこまで上がるのか、とことん上 げてみたいが、怖い気もする。これで当分楽しめそうだ。
2002/8/5-6
月曜の昼から高校生見学会。実験室を案内し、真空を破ると赤外スペクトルにCO2やH2Oの分子振動による吸収が現れる様子をデモする。同じ事を5つのグループに話して疲れた。その後都立大で開かれたスクッテルダイト化合物に関する研究会に出席。
2002/7/25
連日の猛暑の中、理学部の引っ越しが進んでいる。モノを運ぶ人たちは本当に汗だくである。う ちの引っ越しも大変だったが、春でしかも1度で済んだのは本当に良かった。それにしても廃棄されているがらくたの量はハンバじゃない。A棟の南北に植えら れていた大きなキンモクセイの木たちも、無惨にひっこ抜かれてしまった。改修のじゃまとはいえ、花の咲く季節を毎年楽しみにしていたので、とても残念。
2002/7/19
ポーランドから帰ってみると、息子は少し大きくなったような気がした。すごい汗かきで、かつ髪の量が多いので、すぐに頭がびしょぬれになる。思い切って丸 刈りにしてみたら、さっぱりして涼しげだし、入浴後もすぐ乾くし、とても良い。(本人がどう思っているのかは不明) 帰国した翌日から出かけたマシンタイムは時差ボケで最悪だった。
2002/7/10-7/13
強相関電子系国際会議出席。場所はポーランド南部のクラクフと言うところ。中世にポーランド の首都だったところで、戦火を免れて古い建物が多数残っているところは京都と共通している。しかし町はこぢんまりとしていて、あまり見るところもない。む しろ郊外にあるアウシュビッツや塩鉱山に行ってみたかったが、そんな時間は無かった。発表はマイクが壊れるというハプニングがあったけど、結構うまくいっ た。クラコフで撮った写真その1(学会会場へ行く途中),その2(Wawel城の前で).ワルシャワの旧市街も美しかった。城壁の中の町並みは、プラハ、ブダペストのそれと何となく似ていた。
2002/6/29
来月の国際会議で発表するYbAl3の低エネルギーデータは先週やっとうまく取れた。今週処理してK-K変換してみたが、メタリッ クなモノはやはり難しい。反射率でたった0.3%ぐらいのノイズが乗っていると光学伝導度はすごいギザギザになってしまう。現状の測定S/Nでは smoothingせざるを得なかった。これでやっとOHP&発表準備開始。結局今回も「直前に大騒ぎ」モードに突入。 データ処理の合間に久々にニコレ の演奏したCDを聞いて感動した。
2002/5/21
久しぶりに履歴書を書いた。生協前の機械で写真を撮ったが、デジカメを使った最近の機械は実に良くできていて、感心した。仕上がりも良い。(以前はたいてい、機械で撮ると陰の付いた怪しい顔になったけど)
それにしても、日本ではなぜ履歴書に写真を貼るのだろう? 当たり前だと思われているようだ が、例えばアメリカでは履歴書に写真は貼らない。アメリカ留学中、日本に送る履歴書の写真を撮りに近所の写真屋へ行ったら「パスポート用か?」と聞くから 「履歴書に貼るからハンサムに撮ってくれ」と言うと、「まかせとけ。でも何で履歴書に写真が要るんだ? 日本では見た目で人の能力を決めるのか?」と尋ね られて返事に困って以来、答は疑問のままである。ルックスが関係ない職種に応募するときでも、なぜ写真が必要なんだろう? 韓国や中国ではどうなんだろ う?(誰か知ってる人、教えて下さい) とりあえず今回は、ワープロで作った自作の履歴書に写真を貼った。手書きよりこの方がよっぽど見やすいのに、なぜ みんな用紙を買って手書きするのだろう?
2002/5/8
お気楽モードだったはずの今年の強相関電子系国際会議。しかし、申し込んでいた発表がオーラルで受理されたとのメールが今日来た。原稿締切は3週間後なのに、低エネルギーのデータが全然出ていない・・・。とりあえず今のまま出して、学会で差し替えるしか無さそう。それにしても、3週間はきつい。
2002/4/24
物理学者 Victor Weisskopf氏が死去。 93歳。
ウィーンで生まれ、Schrodinger, Bohr, Pauliらの助手、共同研究者を経てナチスを逃れて渡米し、原爆開発に加わり、戦後MITの教授になった氏の専門は核物理や量子電磁気学である。学生時代に彼の自伝"The Joy of Insight"が本屋でふと目にとまって購入して以来、彼のファンになった。上の3人以外にも多くの重要な物理学者と交友を持ち、Manhattan Projectで重要な役割を果たした彼の自伝には、物理以外にも20世紀初頭のウィーンの雰囲気、革命後のソ連の様子、ナチスが台頭してきた時代のベルリンの雰囲気、戦後アメリカの発展、発足直後のCERN、冷戦と軍拡、などが生き生きと描かれていて、実におもしろい。(今でも時々取り出しては読んでいる。) 彼の話を聴いたこともあって、Fermiの核分裂制御50周年のシンポジウムで、50年前の出来事を遠い目で思い出しながら語る姿がとても印象的だった。杖は使っていたが 表情は若く感じられた。自伝の最終章は"Mozart, quantum mechanics, and a better world"というタイトルで、熱烈な音楽好きでもあった。合掌。
2002/4/22
先週、小沢征爾さんがボストン交響楽団の音楽監督として、シンフォニーホールでの最後の週ということで、地元ボストンのBoston Globe誌に多くの関連記事が載った。 やはり、色々あったけど良くやったという論調と、コンサート以外ではボストンにとけ込まなかった小澤さんを批判する論調と、両方ある。しかし、他人が何を 言おうと、29年間も一つのオケの指揮者を勤めた後で引退するのは、本当に感慨深いに違いない。最後の2週間の演奏曲はマーラーの9番、そして小澤さんが 最も得意にされている曲の一つ、ベルリオーズの幻想交響曲。幸い、地元ラジオ局のインターネット放送でどちらも聴くことが出来た。ウィーンでもがんばって 下さい。
2002/4/17
学生実験開始。
実験TAの院生より、実験テキスト中の「マイケルソン」のスペルがおかしいと指摘を受ける。今までずっと"Michaelson"だと思いこんでいたが、調べてみると確かに"Michelson"が正しい! おもしろいことに、Googleで"Michaelson interferometer"を検索すると、同じ間違いが何百も英語圏のサイトから引っかかってくる。(例えばNASAのここでも間違っている・・・) 調査の過程で約100年前のMichelsonによるNobel lectureにたどり着いたが、もし彼が今、自分の発明した干渉計が人工衛星に載って宇宙空間で稼働しているのを見たら、何と言っただろうか?
2002/4/12
引っ越し後、連日の立ち上げ作業。モノ探し&整理、配線、ハンダ付け、配管、などに明け暮れる日々。研究時間まったく無し。ようやく低温測定ができるとこまでたどり着いた、と思ったらもう授業開始である。しばらくは実験できそうにない。
2002/4/8
2年前にベルリンフィルを退団したフルート奏者のパユが、この4月から復帰したらしい。(NHKでインタビューをやっていた) もっと自分の時間が持ちた いと退団したが、退団後はあまりにも暇で退屈になったという。こういう感じ方にも奏者の個性が出ておもしろい。同様の理由でカラヤンの慰留を振り切って退 団したゴールウェイは2度と戻らなかった。まだ無名の学生だったパユが神戸国際フルートコンクールで優勝したとき、2次予選、入賞者披露演奏会の両方でパ ユの演奏を聴いた。今はハンサム奏者として知られているが、コンクールのプログラムに載っていた写真は、ふてくされた顔に大きな野暮ったいメガネ。こんな 有名人になるとは思わなかった。
2002/4/2
院生M君の尽力により、物理学科ホストへの接続回復。
この間、物理学会から帰って体調を崩してしまい、最悪。息子は生まれて以来、熱一つ出したこと無かったのが、1歳の誕生日前夜、鼻がずるずると出てきて、夜中に39.5度の高熱。とんだ誕生日になった。病院へ行って、誕生日のごちそうは一切ナシ。
2002/3/15
強相関電子系国際会議のアブストを、締め切り日にやっと提出。去年は3年間に渡る研究の集大 成で絶対にオーラルを当てるぞ、と意気込んで書いて、見事当てることが出来た。しかし今年のネタは測り始めた物質で、そういう気負いは無くお気楽モード。 しかしながら、短い文章で要点をきちっと述べ、主張をするのはやはり自分にとっては難しい。結局3日かかった。さあ、パソコンを箱詰めして引っ越しさせよ う。(新棟ではSAMBAがうまくいかないらしいので、HPの更新は当分お休み。)
2002/3/14
元旦の小澤征爾指揮ウィーンフィルによるニューイヤー・コンサートのライブ録音がCDで発売 され、爆発的に売れて話題を呼んでいたが、ついにゴールドディスク賞のクラシック部門を受賞したらしい。なんでも、1/19発売から1/31までの2週間 弱で、過去1年間のクラシック部門の最高売り上げを記録したという。-クラシック音楽としては異例の売れ行きである。小澤+ウィーンフィルによるCDは、 これまでにもいくつか出ているが、大きな話題にならなかった。なぜ今回だけ売れたのか? おそらく、普段はクラシックを聴かない人たちがたくさん買ったの だろう。自分はBSの生放送を聴いただけだが、楽員達のとても楽しそうな表情が印象的だった。あちらの批評家にも大変評判が良かったらしく、「小澤は日本 人? 違う、ウィーン人だ」という記事まで現地の新聞に載ったらしい。
2002/3/7
自然科学新棟への引っ越し。パッキングは大変だったが、運ぶのは業者が来るのであっと言うまである。が、実験装置など、研究室の共通物品のパッキングに時間を取られてしまい、自分のパソコンは間に合わず、A棟に残留。他のものが運び出された部屋は、文字通りゴミだめのようである。
2002/2/26-28
某公務で連日缶詰め状態。あー疲れた。
2002/2/20
自宅にブロードバンド導入後、1ヶ月が経過したが、今までの56 kb/s接続とは天と地の差で快適。1.5 MB/sだから知れてるかと思っていたが、大学でやるのとほとんど変わらない。大学での学外接続は10 MB/sのはずだけど、実際は1.5 MB/s程度しか無いようだ。それにしても、デジタル化の世の中で、逆にアナログ回線を使って高速ネット接続をするというのは、よく考えたものだ。しか し、今後は逆に何でこんな高い電話料金を払う必要があるのかという気がする。電話もすべてインターネットに組み込んで、相手もネット接続の場合は時間・距 離無制限で月いくらという時代がすぐに来そうな気がする。
2002/2/19
2月前半の2週間がUVSORマシンタイム。その最中に4年の卒研発表、直後にM2の修論発表で、超多忙。来週からは入試業務、引っ越し、学会と続いていく。当分は気が休まる暇はナシ。
2002/1/21-24
SPring-8マシンタイム。今回はバルクGaAsで、照射するレーザーの波長を色々変えながらFIR透過スペクトルを取った。波長を変えるとFIR透過スペクトルにも系統的に変化が出ておもしろかったが、残念ながら時間変化は検出できなかった。光源強度がやはりあと一桁欲しい。
2002/1/20
2日間に渡る週末の某公務終了。あー疲れた。休む暇なく、明日からSP8マシンタイムである。
2002/1/17
阪大強磁場でYbB12の2回目の実験。今回は温度を色々変えたら、FIRレーザー光透過強度はころころ変わる。磁場をかけたときの応答も大きく変化する。今後の実験がますます楽しみになった。
2002/1/11-13
日本放射光学会年会(於東大物性研)参加。例年放射光学会の頃は冷え込むので着込んでいったが、今年はえらく暖かかった。
2002/1/4
2002年の実験初め。いきなりトラブルに見舞われ、縁起の悪いスタートとなった。(先が思いやられる・・・)