2001/12/30
新聞を開くと朝比奈隆死去の記事。そうか、ついに・・・と思った。朝比奈+大フィルの演奏会 は、結局一度聴いただけ。12年ぐらい前で、ブルックナーの9番だった。好きな曲で、当時所属していたアマオケの練習をひんしゅくを買いながらサボって聴 きに行ったのに、残念ながらほとんど印象に残らなかった。自分は朝比奈の芸術を理解するには未熟すぎたのだろうか?
2001/12/26
2001年最後の実験。無難に終了。
2001/12/15
Siボロメーターの手術を行い、1000cm-1フィルターを新品と交換。最近ボロメーター を開腹検査したところ破れていることが判明したため。いつから破れていたのかは不明。(レントゲンや内視鏡は使えないし、しょっちゅう開けるモノでもない し・・) 7万円のフィルターを丁重に取り付け、性能が向上することを祈りつつ手術完了。
2001/12/11
阪大強磁場へ。YbB12の強磁場光透過測定。45μmまで薄くした 試料だが、光が通るかどうか、不安を抱えながら阪大へ。が、うれしいことに波長185-513μmのFIRレーザーが、室温では全く透過しなかったが 4.2 Kではちゃんと透過してきた。(410μmで透過率約0.1%) 早速、最高54 Tの磁場をかけたところ、高磁場では透過強度がほとんどゼロになり、予想通り磁場誘起の半導体-金属転移を観測できた!・・・と言いたいところだが、ヒス テリシスが大きく、heatingの影響がある模様。本当に磁場効果なのか、eddy currentで暖められただけなのか、より詳しい実験が必要。だが、とにかく光は通るので、このユニークな実験が継続できそう。よかったよかった。
2001/12/8
今週も、水曜の学生実験以外はずっと実験室にこもった。低温測定の最中、温度コントローラーの温度設定ボタンを触ったとたん、びりっと指先に電気が飛んだ。ディスプレイがめちゃくちゃになり、温度コントローラーはそのまま意識不明に。 即入院。(意識不明になったのがこちらでなくて良かったけど) 体の静電気がコントローラーに飛んだのか、それともアースをちゃんと取らずに運転していた コントローラーの帯電が指先に飛んだのか、どちらだったのだろう? あんなのは初めてだ。(帯電防止機構のない、古いPCモニターのホコリをぬぐったとた ん、静電気がPC内部のビデオカードに飛んでおシャカになったことはあるけど) 実験はいいところで中断。当分は室温か冷やしっぱなしの測定しか出来な い。あーあ。
2001/12/1
11月もさっさと過ぎた。今年は10月まで大学ではほとんど実験出来なかったが、この1ヶ月ぐらいは久しぶりに多くの時間を大学の実験室で過ごした。試料 研磨、工作、実験、装置整備、など。しかし、実験を多くやったからと言って結果もじゃんじゃん、とは言っていないところがつらい。(小さく、かつ研磨して も平らにならない試料とずっと格闘中。)昨日、George Harrisonが世を去った。(John Lennonが亡くなったのも今ぐらいの時期だった) 同世代の人たちはショックだろう。
2001/11/22
ベル研のグループが、絶縁体であるCaCuO2に電極を付けて、ゲート電圧をかけてキャリヤードープし、89 Kの超伝導を出した。バルク超伝導ではないが、かなり高い。不純物散乱を避けるためにキャリヤを電場ドープする手法は、半導体物理では何10年も前からやっているが、強相関系でも今後はやるのだろうか。
2001/11/19-20
物性研短期研究会参加。「新しいコヒーレント光源の利用研究と将来の展望」という題で、レー ザー屋とSR屋が半々。ほとんどは時間分解実験の話で、ためになった。移転後の物性研は今回初めて。モダンできれいな新築の建物、周りにはがんセンターと 柏レイソルのスタジアム以外何もなく(ただしすぐ横にコンビニがある)六本木よりはずいぶん「物理をやるところらしく」なった。物性研の中には卓球室、エ クササイズ室、シャワー室、仮眠室、健康相談室、と何でもあり、ラウンジにはクラビノーバまであった。所内の宿泊施設「柏ロッジ」に宿泊。分子研の三島 ロッジIタイプを少し小ぎれいにしてTVを置いた感じ。SPring-8よりはだいぶ落ちるが1泊2500円と高い。(六本木の「物性研ホテル」よりは ずっと良くなったけど)
2001/11/13
Super Kamiokandeの事故。素粒子関係者でなくても、原因には興味が持たれる ところ。水圧だけで全部のPMTが同時に吹っ飛ぶというのは考えられない。やはり1個の破壊が衝撃波を作り出して、周囲のPMTを次々に破壊したという collective phenomenonなのだろうか。直径が50cmもある巨大な真空管が瞬時に壊れると、水中にどんなshock waveが立つのだろうか。(そういう事態を予測して破壊実験を行わなかったのだろうか?) いずれにしても、日本が世界に誇れる(あまり多くない)実験 の一つなので、早く立ち直って欲しい。
2001/11/12
共同研究の打ち合わせで久々に阪大豊中キャンパスへ。学生時代クラブの練習場だった学生会館 横の「白鳥の池」は、残念なことに埋め立てられ土砂置き場と化していた(白鳥はどこへ?)。 大学構内は新しい建物がたくさん建ってずいぶん雰囲気が変 わった。医療短大の跡地には巨大なバイク置き場が出来ていた。(キャンパス内にあふれる自転車の群れにびっくり) 帰り道、クラブのたまり場だった石橋駅 前の喫茶店に立ち寄ってみると、ここは昔と全く同じ。マスターも元気そうで、ひとしきり昔話をする。今の阪大生はあんたらの頃とはずいぶん変わった、との こと。しかし、これは何も阪大生に限ったことではないのである。
2001/11/3
透過測定用YbB12試料の研磨を再開。以前、100μmまで研磨し た所で端がぼろぼろ欠けだしたので中断していたけど、これでは厚すぎる。今回は、アロンアルファに加えて「スーパー液」を用いて試料をプレパラートグラス にしっかり接着。再研磨した所、今度は端が欠けてこない。試料に微小な凹凸があるためか、スーパー液が効いたらしい。適当な所ではがして厚みを測ると 45μm。もう少し薄く出来そうだけど、とりあえずこの辺で透過測定を検討することにする。
2001/10/31
Tl2Mn2O7の論文がやっと出版された。
また、Boston Globe Onlineを見ていると、ボストン交響楽団での小澤征爾の後任がジェイムズ・レヴァインに決定し たと報じられていた。2004年から5年間の契約で、メトロポリタン・オペラの監督と兼任(!)するらしい。(Air Shuttleで1時間だから地理的には近いけど、それにしても大変そう・・・) 過去たびたびBSOに客演しているレヴァインだが、僕がボストンで聴け たのは一度だけ。マーラーの「大地の歌」ですばらしかった。ここ数年、小澤/BSOの録音が全く出なくなってしまったが、レヴァイン/BSOならCDは売 れるだろうから、録音活動も活発になりそう。また最新のBSOサウンドが聴けそうで、今から楽しみ。
2001/10/19-30
週末に2週続けてSPring-8マシンタイム。その間、装置の不調を修理に出かけたり、急 用が出来たりして、10日間の間にSPring-8と神戸の間を4往復した。(しかもボロメーターやら分光器やらを持っていった) 実験結果は・・・やは り遠赤外では、ビーム輸送系、M3の改造にもかかわらず、時間分解分光で小さな変化を検出するのは難しい。(通常の吸収反射分光は良くなったけど) ナノ 秒、100cm-1以上の領域で、バルク反射率や透過率が0.5%も変化する対象があればいいのだけど、なかなかそうは行かない。ううん。
2001/10/10
今年のノーベル物理学賞が、BECに関する研究に対して、MIT, NISTの3人に授与された。アメリカの物理学会では最近の話題を独占していた感があるので、なるほど、という感じ。今回の受賞者はみな若く、研究が行われた時期と受賞の間も、とても短かかった。
受賞者の一人、MITのWolfgang Ketterleに関してひとつ思い出がある。MITのStudent Centerには、Museum Shopという店があって、そこで"Levitron"という、磁石の入ったコマを売っている。(僕も一つ買って、今でも持っている)磁石入りの専用台の 上で上手に回すと、空中に浮かびながら回り続ける。当時、自分はStudent Centerから歩いて5分ぐらいのMagnet Labで研究に励んでいたが、そこでオフィスをシェアしていた友人F氏が、ある日Ketterleと一緒にオフィスに入ってきた。何でもKetterle はLevitronを一つ買ったが、うまく回らないので欠陥品だと思って返品しようとしたらしい。ところがF君はその少し前このLevitronを購入し ていて、うまく回すにはコツがいることを知っていた。Museum Shopの店員がF君を覚えていて、「確か彼はMagnet Lab所属だと言っていた。彼に聞いてみな。」とKetterleに言ったらしい。彼はわざわざMagnet Labまで来てF君を捜し当て、めでたくLevitronに開眼したという。なんでも、彼はその後うまくLevitronを回す装置を開発(?)して、コ マが延々と空中で回り続ける様子を、MITでのBECに関するコロキウムで披露していたらしい。こういう無邪気さ、遊び心が、優れた研究に結びついたのだ ろうか。それにしても、ノーベル賞を取るのがわかっていたら、あのときサインの一つでももらっておけば良かったかも?
2001/10/8
先月買った新しいPCの立ち上げがやっと終了。 D社製で、CPUがPentium 4の1.5 GHz、RAMを256 MB積み、ビデオカードにも32MB積んでいる。前のはそれぞれ433 MHz, 128 MB, オンボード・ビデオチップだったので、ずいぶんパワフルになった。PDFの表示がとにかく早い。TeXの処理速度も2倍程度、K-K変換ソフトで同じファ イルを処理すると2.5倍速かった。モニターも液晶になって、チラツキ感が減った。快適。
2001/9/30-10/3
久しぶりに休暇を取って旅行。 某亜熱帯の島へ。観光シーズンではないことに加えて、例のテ ロ事件で海外旅行客が激減しているとかで、有名リゾート地であるにも関わらずホテル、レストラン、プール、ビーチ、すべてガラガラの貸し切り状態。帰りの 飛行機の乗車率も3割程度。ああいう所へ行くのは生まれて初めてでとても楽しかった。しかし南の島の紫外線を甘く見たため、文字通り痛い目にあった。
2001/9/22-24
SPring-8マシンタイムで出張。 今回は顕微ステーションでの実験で、久しぶりに徹夜実験になった。なかなか興味深い結果が出た。自分がBL43IRで取った、物理の話ができる初めてのデータかもしれない。(これまでは装置の性能評価実験ばかりだったので)
2001/9/17-19
日本物理学会秋季大会参加・発表(徳島)。 徳島大に勤める大学のクラブの同級生と久しぶりに飲みに行く。えらくカンロクが付いていた。
2001/9/14
Wall Street(テロのあったWTCの近く)で働く友人より無事とのメールが入る。よかった。が、これからが大変だろう。
2001/9/11-13
ORBITAL 2001国際シンポジウム参加・発表。(仙台) 前回仙台へ行ったときは大雪、今回は大型台風。仙台へ行くときは必ず何かが起きる。飛行機は何とか飛んだ(えらく揺れた)。加えて、アメ リカでのテロ。WTCにつっこんだ飛行機はボストン発だという。チェックの甘い空港を狙ったのではないか、とニュースで言っていたが、サンフランシスコ、 LA、NY、シカゴと比べてもそんなことは無かった。強いて言えばアメリカの空港全体が手荷物に関して甘いのかも。留学中はフルートを鞄に入れたまま手荷 物チェックを10度は通ったが、一度も引っかからなかった。仙台からの帰りの飛行機は、WTCにつっこんだのと同じB767だった。映像で見ても実感がわ かないが、実物で飛ぶと「これがつっこんだらどうなるか」よりリアルに想像できて恐かった。
2001/9/7
PRBへ再投稿したTl2Mn2O7の論文がアクセプトされた。結果的にはPRLからPRBへのtransferという形になり、新たなレフェリーへ行くことなく、そのまま出版されることになった。よかった。
2001/9/6
PCを注文した。ずっとG社のを愛用しているので、今回もG社で買うつもりで機種選定をして いた矢先に店じまいされてしまった。そこで今回はG社のライバルD社にした。確かに、同レベルの性能機種だと、D社の方が割安感がある。学会2つにマシン タイムと来週から当分忙しいので、届いてもしばらくはセットアップできそうにないが。
2001/8/23-24
1泊でSPring-8出張。1日目はひたすらレーザーをいじる。doubler/selectorがちゃんと動作することを確認した。外部トリガーによる、「リング周回時間との同期」もちゃんとできた。2日目は物理学会直後の顕微Stでのマシンタイムの打ち合わせ。
2001/8/22
Tl2Mn2O7に関する論文は結局PRLにrejectされたので、少し書き直してPRB Rapidsへ再投稿。今回はついていなかった。(まだPRBにはacceptされると決まったわけではないが)
2001/8/5-8/12
アメリカ出張第2週目は強相関電子系の国際会議SCES2001。場所はDetroit郊外 のAnn ArborにあるMichigan大学。今回は口頭1,ポスター2の3つの発表で、準備が大変だった。大きな国際会議で口頭発表をするのは初めてで、準備 段階では緊張していたが、当日の発表は落ち着いて出来た。しかし15分の持ち時間という案内を見て、かってに発表10分、質疑応答5分と思い込んで内容を 絞ったため「データを見せるだけ」の発表になったのが残念。座長のtime keepingはいい加減で、みんな15分以上話していた。そうと分かっていれば、もっとつっこんだ議論をしたのに・・。Ann Arborは実に退屈な、何もないところ。ミシガン湖へ続く森に囲まれた、緑あふれるキャンパスを想像していたので、全くの期待はずれ。(勝手に都合の良 い想像をする方が悪いんだけど)しかしexcursionで訪れたHenry Ford Museumは実に楽しかった。巨大な蒸気機関車、蒸気機関、蒸気自動車、古い電話、飛行機、クラシックカー、JFKが暗殺時に乗っていたオープンカー、 すべて実物。すごいコレクションだった。
2001/7/30-8/5
アメリカ出張の第1週目。Bostonを訪れ、元ボスとの研究打ち合わせ。留学当時研究に励 んだFrancis Bitter Magnet Labの強磁場部門は閉鎖され、彼は私の母校Northeastern Univへ移り、今はGaMnAsのMBE成長、光学測定をやっている。MBE装置を見せてもらい、いろいろ議論をする。同グループのメンバーだった友人 もNew Orleansから来てくれた。現在の自分の研究内容に関してセミナーを行う。食事に出かけたときは、元秘書さん(彼女は今MITでPatrick Leeの秘書をしている)、他にも色々な人が来て、ちょっとした同窓会になった。時間が無くN.U.周辺以外にはほとんど行けなかったのが残念。MITにも行けなかったが、新しいビルが多く建ち、様変わりしているらしい。
ボストン滞在中に1泊でNew Yorkへ。Brookhaven Nat'l Labの放射光施設NSLSを見学す るため。New Yorkへアメリカ版新幹線Acelaで移動。車内はモダンで快適だが、なにせトロい。日本の新幹線とは比べるべくもない。Brookhavenは Long Islandにあるのだが、N.U.でのクラスメート2名がLong Islandに住んでいる。J君はWall Streetで有名な投資会社に勤務し、F君はある病院で計算医学(?)をやっている。昔話で盛り上がった。J君のアパートに泊めてもらい、翌朝NSLSへ。電車とタクシーで行ったのだが、これが大変。元軍事基地だったというBrookhavenはとんでもない所にある上、とてつもなくデカイ。NSLSの装置は見るからに古いという印象だが、マンパワーが豊富で装置の世話が行き届いていると思った。赤外BLを見学する。(時間分解(右側、Bruker 66)と顕微(左側),および ミリ波M-P分光器BL) ドイツからのビジターが丁度fluorescent proteinのレーザー励起時間分解分光をやっていた。Bostonへの帰りは迷わず飛行機で。(2社が1時間毎にシャトルを飛ばしている。夕方でほぼ満席。)
2001/7/21
秋の物理学会アブスト作成。後期のSPring-8マシンタイムが出たが、4つあるマシンタイムのうち、なんと3つが週末で日曜にかかっていて、連休がまるまるつぶれる所もある。マシンタイム後は平日でも休みを取らないと倒れそうだ。
2001/7/15-20
UVSOR BL7Bマシンタイムで出張。日曜に出発し、祭日に帰ってくるというマシンタイムだった。この間、レフェリーコメントへの反論と共に論文を再投稿。レフェリーBの批判が手強いので、こちらもかなり強気に出た。さあ、どう出るか。
2001/7/9-10
仲間内の研究会参加(理研和光)。理研の食堂がとても良かった。おいしい割に、値段はえらく安い。内装も明るくて小ぎれい。理研がかなり補助を出して充実させているらしい。(某大型放射光施設の食堂も、施設から補助を受けているはずなのだが・・・何であんなにひどいの?)
2001/6/29-30
SPring-8・赤外ビームラインBL43IR検討会出席。2日目に、投稿中の論文に対するレフェリーレポートがやっと届いた。レフェリーBがかなり手強い。これは長期戦になりそうだ・・・。
2001/6/18-23
UVSOR BL7Bマシンタイムで出張。分光器の制御系が更新されて測定時間が1/6ぐらいになった。また試料槽、排気系も更新されて真空の立ち上げもずっと早く楽になった。全体として格段に使いやすくなり、かつデータの再現性も向上した。
2001/6/15
ノートPCが入院先から元気になって帰ってきた。強相関電子系国際会議のProceedings原稿を3つとも提出完了。結局また締め切り日だった。
2001/6/12-14
SPring-8マシンタイムで出張。ビーム輸送系改造後の評価測定を行う。ICF152規格の太いSUS管がニョキっと伸びた眺めはなかなかのものだ。光強度は改造前に比べて中赤外で約2倍、遠赤外で約5倍。しかし集光鏡の焦点距離が1028と長いため、あまり絞れていない(2000cm-1で0.4x0.8mm2程度)。 将来的にはf=400程度、90゜のミラーに代えたい。必用経費を取るためにも、まずは今の装置を使ってちゃんと成果を出さなくては。
2001/6/7
日帰りでSPring-8出張。ビーム輸送系の改造作業を行う。
2001/6/5
去年の春に購入したノートPCが意識不明の重体。保証期限を過ぎると同時に壊れるなんてふざけている。販売店にごねてみた所、無償で入院治療してもらえることになった。今月は出張と原稿締切が重なるのに、ノートPCが無いのは痛い。
2001/5/28-30
SPring-8マシンタイムで出張。406バンチ運転での高分解能測定などを行う。分解能 を高くして、固定鏡からの光と可動鏡からの光が時間的にずれて検出器に到着する状態でも、得られたスペクトルには、低分解能では見えないガスの鋭い吸収が 出た。なぜだろう? 色々議論するが、完全には納得できず。どうも気持ちが悪いので、再度挑戦する予定。
2001/5/19
大学時代の恩師の還暦記念講演会&パーティーに出席。講演会ではSPring-8赤外ビーム ラインの宣伝をする。他の講演は有機デバイス、燃料電池、クリーンルーム技術、など。企業に勤める人たちのモノ作り、製品開発に関する話を聞くと、いつも 「やっぱり企業に就職すべきだったかな」と思ってしまう。(基礎研究よりもずっと面白そうに見える。) パーティーでは懐かしい面々が集まり、学生時代に 戻ってバカ騒ぎ。
2001/5/12
研究室ハイキングで布引の滝->布引貯水池->神戸ハーブ園へ。一度行きたかったコースで、しかも最高のハイキング日和で、とても良かった。登山道は、思っていたよりもずっと急で、息が切れそうだった。学生達はもちろんスタスタ上っていく。運動不足を痛感。
2001/5/9
Tl2Mn2O7に関する論文をやっと投稿。疲れた。この原稿も結局、約半年間こねくり回した。後から読むと、何でこんなのが1ヶ月でさっと書けないかな、と思ってしまう。
2001/5/1
先週、物理学科サーバーとそのネットワーク設定が更新された。メールはすぐに復活したが、どういうわけか学外のウェブが見えなくなった。あと、SAMBA 経由のsv01も見えなくなった。無くなって有り難みを痛感するのは昔は親とカネだったが、今はそれに加えてネットワークである。数日間の不自由の後、今 日やっと完全復活。やれやれ。(ウェブはDNSをサーバー更新前の設定に戻すと見えるようになった。なぜ?)
2001/4/25
学生実験マニュアルの改訂版がやっと完成。
2001/4/18-22
SPring-8マシンタイム。山の上はえらく寒かった。うぐいすがとても良い声でまだ鳴いていた。
下界に帰ってくると、指揮者のシノーポリが死んだというニュースが流れていた。「アイーダ」を指揮している最中に指揮台の上で心臓発作を起こしてそのまま だったらしい。54才という若さで亡くなったのはもちろん気の毒だが、指揮者にとってこれ以上の死に方はないという気もする。結局シノーポリのコンサート を聴いたのは一度だけだった。
2001/4/16
ごく最近出た金属Ceの光学特性と、Fe2VAlの電子状態に関する論文で、自分の論文が引用されていた。喜んだのもつかの間、Fe2VAl の方のアブストに「赤外も測った」とあり、しかも著者にはSieversが名を連ねている。Sieversは赤外物性の世界では神様に等しい。慌てて本文 を見ると、データもほぼ同じだし、自分が仮定した構造でのフォノンモードの群論解析結果も同じだし、データから求めたキャリヤ数も同じだった。ほっと安心 したらどっと疲れた。
2001/4/7
妻と「人間たまごっち」が我が家に帰ってきて数日。寝不足の日々が続く。しかし産婦人科にしばらく出入りしたのは貴重な体験でした。地元でも評判のこの病 院は自宅から徒歩5分の駅前。おかげで朝夕の病院通いも楽だった。明るい院内、廊下やロビーに飾られた花は、毎日の様に新しく代えられている。家族がくつ ろげるコーヒールーム、花がいっぱいの中庭。そして食事は本当に美味しく、パンも自家製(妻の食べ残しをありがたく頂いた)。妊婦は病人ではないから、食 事の質は重要事項なのだろう。先生方も熱心で、新生児室はいつも満員。少子化の世の中で、産婦人科病院も生き残るためにはあそこまでやるんだ、と感心。
2001/4/3
授業開始が1週間後に迫ったので新年度の学生実験の準備開始。今年難波研に人気があったのは 「光スペクトルの学生実験が良かった」と言ってくれた学生がいた。時間のかかる地道な営業努力が報われたのだが、さらなる充実を目指して内容を大幅改定。 水素ランプの発光スペクトルからRydberg定数を求める実験を導入。また色ガラスフィルターに加えてダイクロイック・フィルターも購入した。何人かの 学生のレポートに「簡単すぎた」というコメントが有ったのもフィードバックしての改訂。
2001/3/31
白川英樹氏の講演に出かける。うーん、さすが講演慣れしておられる。専門的すぎず、丁度良い レベルでした。作ったポリマーの評価に赤外分析をフル活用されており、身近に感じた。しかし白川氏に先立つ某大学の某先生のあいさつは、長い、くだらな い、はしゃぎすぎ、3拍子揃っていて最悪。神戸大の化学系教官にはノーベル賞なんて取れるはずがないと自らが思い込んでいた、と公言するかのような事も 言った。(そう思うのは勝手だが、ああいう場でそんな事は普通言わんやろ) 化学系の教官は頭に来たに違いない。
2001/3/26
長男誕生。予定日より2週間早くて小さめだけど、いたって元気。物理学会はパスしておいて正解だった。
2001/3/19
例の室温超伝導だが、3/9の所に示したサイトからは削除されている。何でも、ものすごい数 のアクセスが殺到したため、リンクを張った当事者も反響の大きさに慌てたらしい。日経 Design & Manufacturingのサイトに記事が載っていたが、電総研でも金材技研でも追試したが再現しなかった。(東大では今週結果が出るらしい)この論文 を書いたグループは、10年ぐらい前にも「200 K超伝導」を同じ物質系で発表しているが、再現せず相手にされなかった前科があるらしく、世間では今回も「U.S.O.」だと思われているようだ。
2001/3/9-10
UVSOR出張(BL7B建設グループ会合)。
最近、MgB2でTc=39 Kの超伝導発見のニュースが有ったが、こんどは室温超伝導の噂が 走り回っている。確かにデータはいかにもそれらしい。まだスーパーでない相も混ざってるだろうから、電気抵抗が1段できれいに落ちないのも、マイスナーが だらだらと立ち上がるのもそんなにおかしな事ではない。アメリカでも必死で追試しているが再現しないという。本当ならすごい発見だけど、まあ今後の展開を 見守りましょう。
2001/3/6
日帰りでSPring-8出張。低温DAC講習会と言うことだったが、DACの方は時間切れで途中までしか出られなかった。むしろ午前中にやったパルスレーザーの調整が成果。ずいぶん安定になり、パワーも前のマシンタイムの時より1割ぐらい増えた。
2001/3/5
4年生配属説明会が終了。その後配属レースがスタート。あれあれ、今年の難波研は清水選手顔負けのロケットスタートで第1希望が既に7名。が、まだゴールまで後1週間ある。このままゴールできることを祈ろう。
2001/3/3
昨年中いろんなレシートをこまめに保管し、初めて確定申告を出してみた。すると意外なことに、「夫婦で美味しいものが外食できるぐらいの金額」が戻ってきた。ラッキー。汗をかきながら一生懸命説明する(ごまかそうとする?)周りの人たちを眺めるのはとても面白かった。(こっちはサラリーマンだし、ごまかしようがないので気楽)
2001/3/1
強相関系国際会議 (今年の8月ミシガンで開催)のアブストをやっと提出。早めに出そうと思っていたの に、結局締め切り日に出した。(アブスト提出は完全にWeb化されていて便利。)ミシガン大学のあるAnn Arborは前から一度行ってみたかったので、とても楽しみ。はるばる出かけるのだから、とアブストは3つ出した。(Yb系、Ce系、Mn系各1)アクセ プトされますように。
2001/2/28
Bruker FT-IRのMylar 23μmビームスプリッター更新。といっても、新品ではなくBrukerの持っていた「新古品」を新品と同じ値段で入れてもらう代わりに、まだ使える現有23μmではなく、使わなくなった50μmと交換してもらった。結果は・・・内部検出器で見る限り、肝心の150 cm-1以下の信号強度はほとんど同じ。が、その状態での測距用レーザー振幅が4 V以上ある。(現有のは1.2Vぐらいでギリギリ動作できる状態)まあ、これでずいぶん使いやすくなるでしょう。
2001/2/25
先日やってた「どっちの料理ショー」でのタンシチューがあまりにも美味しそうだったので、妻とタンシチューを食べに出かけた。行ったのはハーバーランド・ モザイク1Fの「明治屋 神戸中央亭」。料理のウンチクは分からないが、とても美味しかった。「美味しいけど満腹にならないもの」もたまにはいい。(明治屋さんのメニューと割引クーポン)
そう言えば、阪急三宮駅北側にアメリカのサンドイッチチェーン店「SUBWAY」が最近 オープンしたので、これも先日行ってみた。ボストンのSUBWAYもよく行ったけど、こっちのSUBWAYの方が断然美味しい。入れる野菜や調味料が自由 に選べるのと、細長いsubmarineパンを使うところは同じ。具たっぷりのサンドイッチとスープで500円(だったと思う)のセットがおすすめ。ちゃ んとした禁煙席があるのもうれしい。(なんか、N野氏のHPみたいになってきた・・。)
2001/2/23
卒研・修論発表が終わったと思ったら、締め切り過ぎた英文報告書の催促がまた一つ。強相関系国際会議のアブスト締め切りも迫ってきた。その次の大行事は新4年生のガイダンス&リクルート。情報収集の結果、今年の3年生は各研究室の研究内容よりも「誰が、どこの研究室に行くか」が、最大の関心事らしい。こういうとき、研究内容をいくら熱く語っても効果はなかろう。さて、どうしようか・・・。
2001/2/15
卒研&修論、試験準備で忙しいさなか、「英文報告書を直ちに提出して下さい」というメールが2つも舞い込む。無視したいが、旅費をもらった以上、そうも行 かない。泣きっ面に蜂とはこのこと。(まあ、締め切りを忘れていたこっちが悪いんだけど。)明日の土曜も出勤モード。いつになったら落ち着くことや ら・・・。
2001/2/13
電磁気演習最終回の問題返却&解説を行う。磁性体の話をしていて、ふと「エナメル線を釘に巻いて電池につなぎ、電磁石を作ったことのある人?」と聞いてみると・・・ なんと7-8人中1人だけ! 鉛筆よりも釘に巻いた方が強い磁場が出来ることを説明しようとしたのだが・・・。ショックを受けたので、「釘同士はそのまま ではくっつかないが、磁石でこすって磁化するとくっつくのを実際にやってみたことのある人?」と聞くと、な、なんとまた一人! 自分が小学生の頃はこんな 事はしょっちゅうやっていたのだが・・・。物理学科に来るような学生の多くはやったことがある遊びだと思っていたが、甘かったようだ。ファミコン・携帯電 話と共に育った世代にはこういう遊びは無縁なのだろうか。来年度の演習では釘と磁石を持っていこう。(大学物理学科の学生実験にこんな小学校レベルの実験 を入れなければならない?)
2001/2/10
土曜の朝からCeRhAsの遠赤外反射測定。今回は更新したマイラー6μmでの測定で、室温 でもフォノンがちゃんと見えた。残念ながら、帯磁率、電気抵抗に飛びが見られる温度では特に異常は見られなかった。最後に低温での「その場蒸着」をやって みると、見事に大失敗。「ダマダマ」になってしまい、全く鏡面にならない。これ、その業界では当たり前のことなのだろうか・・・。光電子の人たちは温度を 上げてから蒸着するのだろうか?
2001/1/28-1/31
SPring-8 BL43IRマシンタイム。分子研からSP8へ直行するつもりが、SP8行きのバスに乗れないことが新幹線の中で判明。やむなく帰宅し、日曜の朝に再出発。レーザー誘起の赤外信号は検出できなかったが、検出限界は16 cm-1の分解能、1時間積算で0.05%程度に。今後の目標はもう一桁改善すること。特に遠赤外でこのレベルに達すれば、いろんな現象がみえるはず。(IRASもそれぐらいじゃないと測れないだろうし)
2001/1/26-27
分子研研究会真空紫外線・軟X線パルスの利用と将来展望参加。目的は時間分解実験のネタ収集。パルスレーザーの高調波で金属をたたき、発生する軟X線で光電子・吸収分光、レーザー発振などをするという話が多かった。また、表面研究の話も多かった。赤外の話は無かったけど、結構ためになった。
2001/1/12-14
日本放射光学会年会参加。広島大は結構な山の中にあり、折からの冷え込みで雪が積もった。と にかく寒かった。それにしても、今回泊まったホテルは、これまでに泊まったことのあるどんなホテルよりもひどかった。入口ドアは自動ドアだけど手で開け る。部屋の電球が切れてるから、机の上に置いといた新しいのに自分で代えてくれと言い渡される。部屋の机にはほこりが積もり、シャワーのカーテン内側には 真っ黒くカビが生えてヌメっている。あれではいくら1泊5000円でも高い。とどめは、チェックアウト時に夕方まで荷物を預かってくれと言うと「300円 頂きます」。あきれた。(荷物はもちろん駅のコインロッカーへ)
2001/1/11
今年は少し早めに新4年生募集のページを研究室HPに上げた。まだ去年のままだけど、徐々に更新していく予定。
2001/1/5-7
科研費特定領域「軌道の秩序と揺らぎ」研究会参加。4日夜から5日朝にかけて仙台市中心部に も10-15cmぐらい積雪があり、飛行機は何とか時間通り到着したが、仙台市街地に向かう交通はマヒ状態。空港から東北大学(山の上)まで1時間30分 かかる。仙台では友人宅に泊めてもらうが、昨年から持ち越した風邪がひどくなって、迷惑をかけてしまった。帰った翌日(8日)にまた大量の積雪があって、 空港は閉鎖されたらしい。あぶないところだった。