バーンスタインが亡くなったのは1990年10月のある日曜日で、ボストンに住み始めて2ヶ月ぐらい経ったころだった。僕はそのことを全く知らずに、2日 後の火曜日夜、BSOのコンサートに出かけた。当日の指揮は小沢征爾で、演奏曲は1曲めがアルゲリッチ独奏でプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番、メイン がシューベルトの交響曲第9番だった。しかしながらホールに入ってもステージにピアノが見あたらない。「あれ、曲目が変更になったのかな?」と思ったが、 そのようなアナウンスは何もない。やがてオケのメンバーが入ってきて開演時間になったが、小沢の代わりに誰か他の人が出てきてスピーチを始めた。まだ物理 以外の英語にあまり慣れていなかったのでよくわからなかったけど、「Leonard Bernstein」と何度も出てきて、最後に「今からマーラーの交響曲5番よりアダジエットを演奏します。演奏が終わっても拍手はなさらないでくださ い。」みたいなことを言っていたのがわかり、「え?バーンスタイン、死んだの?!」とひたすらびっくり。すぐに小沢征爾が出てきてアダジエットを指揮し始 めた。このような場に偶然居合わせることができたのは本当に幸運だったと思う。というのも、本当はこの日はコンサートに行く予定ではなかったのが、何かの 都合で行くことになったからだ。
このとき、小沢/ BSOは前の週からシューベルトと並んでマーラーの5番を演奏会のプログラムに組んでいて、しかも火曜日のコンサートの翌日からニューヨークのカーネギー ホールで2晩、やはりマーラー5番をメインにした演奏会のプログラムを組んでいた。この曲は1楽章に「葬送行進曲」を含む曲で、その曲をもってバーンスタ インの死んだニューヨークへ、しかもバーンスタイン自身がかつて幾度となく指揮台に立ったカーネギーホールへ演奏をしに行ったというのは、偶然とはいえ不 思議な巡り合わせだと思う。もちろんこのプログラムはずっと前から決まっていたものだった。