リチャード・ファインマン(1918-1988、物理学者)
レナード・バーンスタイン(1918-1990、指揮者、作曲家、ピアニスト)
この2人は同じ年に生まれたアメリカ人で、それぞれの分野で従来の形式にとらわれない革新的な業績を上げました。また後進の若手の指導や、物理や音楽が専門でない一般の人々に対する啓蒙活動にも熱心で、多くの人に愛され、比較的若くして亡くなったという共通点があります。2人とも、単に物理学者、音楽家という枠に収まらない人でした。この2人が比較されるのは見たことないし、私が物理と音楽の両方に関わっていなければ思いつかなかったでしょう。しかし私の中ではいつも、物理におけるファインマンと音楽におけるバー ンスタインに、とてもよく似たイメージを抱き続けてきました。各々の分野で、第2次大戦以前のヨーロッパ主流から、戦後アメリカの台頭への流れの中で重要な役割を担ったと思います。彼らが同時代に同じ国に生まれたことも、単なる偶然ではないような気がします。
<ファインマンに関するリンクとエピソード>
Richard Feynman Online ファインマンに関する情報サイト。
"Richard Feynman - No Ordinary Genius" 英BBCが製作したファインマンに関するドキュメンタリー。(インタビューも豊富)
"The Character of Physical Law" ファインマンが1964年にコーネル大学で行った7つの講義の映像。(インタラクティブに英語テキストも表示できますが、相当重いです。映像だけならYouTubeにもアップされています。)
"There's plenty of room at the bottom" 今でいう「ナノテク」に関する、ファインマンの講演(1959年。ただし映像はなく原稿のみ)。僕が特に好きなものです。半世紀前にここまで先を見越していたのは、すごいと思います。この講演で彼は、本1ページ分の文章を1/25000のスケールで、電子顕微鏡でちゃんと読めるように記録した最初の人物に$1000を支払うという賞を提案しています。これは1985年にスタンフォード大で達成され、ファインマンは実際に$1000支払ったそうです。
「ご冗談でしょう、ファインマンさん」("Surely You're Joking, My. Feynman!") 物理を学ぶ学生にはぜひ読んで欲しい本。訳本は上下に分かれて倍も値段がするし、ぜひ洋書で。英語は簡単です。(元々、ファインマンとの会話を友人のRalph Leightonが編集して本にしたものなので)
亡くなる直前、昏睡から一時的に意識を取り戻したファインマンが残したlast wordsは、"I'd hate to die twice. It's so boring"だったそうです。(このページ末尾で紹介する本より) 自らの死を前にして「死ぬのは一度でたくさんだ。退屈で仕方ないよ。」とは、彼のユニークな性格を良く表していると思います。
<バーンスタインに関するリンクとエピソード>
Leonard Bernstein Official Web Site バーンスタインの公式サイト。
I want it! : バーンスタインの業績の中でも特にすごいと思うYoung People's Concertsから、私が好きな場面です。チャイコフスキーの交響曲4番、1楽章の途中に"I want it"と歌詞を付けて、音楽に込められた情熱や感情を子ども達に説明している。
Bernstein on Beethoven: ベートーヴェンの「運命」に関して、ベートーヴェンが残したスケッチより、ボツになった様々なフレーズを実際にピアノやオーケストラで演奏して比較してい る。(Part 1の6:00辺りからPart2が特におもしろい。) 1950年代のテレビ番組「Omnibus」より。
Bernstein on Mahler 9: バーンスタインとウィーンフィルのリハーサルとコンサートの模様。バーンスタインによるこの曲へのコメントもある。ただしリハはドイツ語なので、残念ながら何を言っているのかわからない。
バーンスタインの最後のコンサート ・亡くなった時のこと ・お墓参り
"I don't care who he (Bernstein) sleeps with, how he dresses or how he talks. When he gets up on the podium, he makes me remember why I wanted to become a musician." [バーンスタインの指導を受けたある学生のコメント。podiumは指揮台。 "The Maestro Myth" (Norman Lebrecht著、1991年)より引用] バーンスタインは彼以前の指揮者のイメージとは異なり、Gパ ンにTシャツのような砕けた格好でリハーサルをしたり、話し方もフランクで、ホモセクシュアルであることも知られていました。しかしそんなことはどうでもいい、彼が一度指揮台に立てば、なぜ自分は音楽家になりたかったのか、音楽のすばらしさを思い出させてくれる、というコメントで、バーンスタインの魅力を良く表しています。(これは一部の人から嫌われる理由にもなったようですが)
音楽家、教育者としてのバーンスタインを大変尊敬していますが、彼の録音なら何でもというマニアではありません。優れた録音を多く残したバーンスタインですが晩年はテンポが遅くなりがちで、ついて行けない場合もあった。(例えばNYフィルと入れたチャイコフスキーの「悲愴」は極端だった)。私が特に好きなのはマーラーの一連の交響曲の録音に加えて、シューベルトの交響曲8,9番(コンセルトヘボウ・オケ)、彼自身の「ウェストサイド・ストーリー」の音楽に基づく「シンフォニック・ダンス」(LAフィル)、モーツァルトの40番(ウィーン・フィル)、ショスタコービッチの交響曲5番(NYフィルとの日本でのライブ。映像も出ている。1番フルートのジュリアス・ベーカーが吹くソロが本当に素晴らしい)などです。
自分は結局、、バーンスタインのコンサートを生で聴くことはできなかった。残念無念。
(2006/12/6追記) 2人にはユダヤ系であるという共通点もあります。バーンスタインはイスラエル建国当初からイスラエル・フィルに何度も客演する などユダヤ人としての強い自覚、連帯感を持っていたと考えられます。一方のファインマンに関して、ファインマン生前の手紙を娘ミシェルが編集した本が出版されました("Perfectly reasonable deviations from the beaten track")。この本のp234からp236に掲載されている手紙でファインマンは、「ユダヤ系のノーベル賞受賞者」という本を執筆中のジャーナリストが協力を求めてきたこ とに対して、自分は13歳以降ユダヤ教の教えを信仰しておらず、ユダヤ系の家庭に生まれたことと自分の人格や能力とは全く無関係であると否定して います。その後も協力を求める相手に対して、"Please ... understand why I do not wish to cooperate with you, in your new adventure in prejudice."と強く拒否しており、この点はバーンスタインとは全く異なっていたようです。ですからファインマンを語るのにユダヤ系だという点は意味がないようです。
(2007/4/11追記) 上の本に載っている手紙によるとファインマンの祖父母はミンスクからやってきた移民でした。バーンスタインはロシア移民の子だったから、これも共通点です。(ミンスクはベラルーシの都市だけど、ロシアとは隣り合わせ)