以下の要領で、第23回フッサール研究会を開催いたします。
日時:2025年3月15日(土)、16日(日)
会場:甲南大学 岡本キャンパス 8号館2階 822講義室
参加費:1,000円(懇親会には別途参加費がかかります。)
※懇親会への参加を希望される方は、3月10日(仮)までに懇親会参加フォームからお申し込みください。
【2024.12.10】発表件数等を踏まえて、開催日程が3日間から2日間に変更となりました。
(変更前 : 2025年3月14日(金)・15日(土)・16日(日)→ 変更後 : 2025年3月15日(土)・16日(日))
会場までのアクセス情報
※大学近辺には食料品を販売している店舗がなく、土日は学内のコンビニも閉店していますので、昼食は駅の近辺で購入して持参されることをお勧めします。
3月15日(土)
10:30 受付開始
11:00-11:50 中谷 碩岐(大阪大学) ジャック・デリダによる「真の超越論的現象学」の企図とその展開 :『フッサール哲学における発生の問題』再読
11:50-13:00 昼休憩
13:00-13:30 ミーティング
13:30-14:20 竹村 叡久 形相エゴと超越論的他我 自己移入論はフッサール他者論をどのように限界づけるのか
休憩(10分)
14:30-15:20 寺前 典子(寺前診療所) 対面授業とオンライン授業における身体図式の更新をめぐる考察──音楽教育現場の演奏のレッスンを事例として
休憩(10分)
15:30-18:00 シンポジウム「基礎づけ(グラウンディング)の現象学と分析哲学」
提題:坪井祥吾(一橋大学)、葛谷潤(東京大学)、小関健太郎(東京大学)
司会:小関健太郎、特定質問者:富山豊(千葉工業大学)
18:30- 懇親会
3月16日(日)
11:00-11:50 宮田 勇生(東北大学) 時間意識の無限後退 :『ベルナウ草稿』における予持の二重の充実について
11:50-13:00 昼休憩
13:00-14:20 満原 健(奈良県立大学) フライブルク詣の発生
休憩(10分)
14:30-15:50 吉川 孝(甲南大学) フッサール哲学における自伝的なもの──『改造』論文に滲み出ているかもしれない「個人的なエートス」について──
休憩(10分)
16:00-16:50 [この時間帯に予定されていた発表は中止になりました]
「形而上学的基礎づけ」、または単に「基礎づけ(グラウンディング)」は現代哲学の重要概念のひとつである。グラウンディングとは、あるものにとって別のものが——典型的には、ある事実にとって別の事実が——より基礎的であり、それが何らかの「根拠」や「説明」を与えるような関係にある、という事象を指す。「心的事実は物理的事実に基礎づけられるのか」、「道徳的な事実は自然的な事実に基礎づけられるのか」などのように、グラウンディングという観点から論じることができる(かもしれない)問題は多岐にわたる。グラウンディング概念は特に近年の分析哲学において、因果やその他の関係とは異なる観点から世界の構造を理解する手がかりとして注目を集めている。
このようなグラウンディング概念は実のところ、フッサール現象学をはじめとする、いわゆるドイツ・オーストリア哲学にも縁が深いものである。K. マリガンに代表される研究者らによっても精力的に論じられているように、ボルツァーノ、マイノング、フッサールやライナッハといった独墺哲学の哲学者たちは、現代のグラウンディングの理論を先取りする、あるいはそれに示唆をもたらすアイディアを展開している。他方で同時に、現代のグラウンディング研究の成果が、フッサール研究をはじめとする現象学・独墺哲学の研究にどのように生かされうるのか、ということも興味深い問いである。しかしながら、これらの接点にはまだ多くの展開の余地があるように思われる。
そこで本シンポジウムでは、分析哲学と現象学・独墺哲学の分野の壁を超えてグラウンディングの諸問題や応用可能性を、最近の研究を踏まえつつ紹介・議論するとともに、さらなる展開の可能性を探ることを目指す。
提題ではまず、主に分析哲学の立場からグラウンディング研究に取り組んでいる坪井から、現代のグラウンディング研究の背景や近年の動向、自身の研究を紹介する。その上で、特にフッサール現象学や独墺哲学に関連して、葛谷からフッサール研究におけるグラウンディング概念の応用可能性、小関から独墺哲学の価値論におけるグラウンディングの問題について話題を提供し、質疑とディスカッションに移る予定である。
提題者
坪井祥吾(一橋大学)、葛谷潤(東京大学)、小関健太郎(東京大学)
特定質問者
富山豊(千葉工業大学)
この企画は科研費特別研究員奨励費「「存在しないもの」の形而上学とその射程」(23KJ0826、研究代表者:小関健太郎)の助成を受けています。
本発表は、20世紀フランスを代表する哲学者ジャック・デリダ(1930-2004)が『フッサール哲学における発生の問題』(1953-54執筆、1990刊行、以下『発生の問題』)において提起した「真の超越論的現象学」という主題の内実を明確化するとともに、その後のデリダの仕事におけるその展開の一端を解明することを試みるものである。
『声と現象』(1967)に代表される初期ジャック・デリダの現象学解釈は、しばしば「現象学批判」として理解されてきた。他方で、デリダにおける現象学の遺産を強調する近年の研究動向においても、デリダの現象学解釈はしばしば「フッサールからの離脱」(鈴木2010)というラベリングの下において理解されてきたように思われる。したがって、デリダの仕事とフッサールの超越論的現象学というプロジェクトは、基本的に対立するものであるとみなされてきたと言ってよいだろう。
しかし、『声と現象』と同じく(あるいはそれ以上に)手厳しいフッサール批判が展開される『発生の問題』においてデリダは、実のところ「われわれはフッサールの精神に忠実であろうとしている」(PG32/38)「われわれは現象学的な意図に忠実であるだろう」(PG33/39)といった表現において、フッサールの超越論的現象学のパトスを継いでいることを隠さない。こうしたデリダの態度が最も顕著に見て取れるのは、フッサールが最期までそこに到達しなかったものとしてデリダによって提示される「真の超越論的現象学une authentique/véritable phénoménologie transcendental」(PG138, 156/137, 156)という主題であるだろう。その内実の検討は、デリダが超越論的現象学の延長上において何を展開しようとしていたのかを理解することを可能にするように思われる。
しかし同時に『発生の問題』においてこの語は概念化されておらず、デリダが明示的にこの主題を巡る議論を記述しているわけでもないため、その内実はいまだ不透明なものに留まる。そこで本発表では『発生の問題』の再読を通じてこの主題の内実を明確化するとともに、その後のデリダの仕事に照らしてこの企図がどのように展開されていくのかに関して、ひとつの道程を示すことを試みたい。
参考文献
鈴木康則「初期デリダにおける超越論的哲学の問題」『フッサール研究 第8号』、2010年.
Derrida, Jacques. Le problème de la genèse dans la philosophie de Husserl. PUF, 1990.
本発表は、『デカルト的省察』第五省察およびその草稿において展開される他者論について、自己移入によって他我が構成されると考える議論に、どのような問題があるのかを捉え直すことを目的とする。
フッサールの他者論に対する批判は多岐に渡るが、よく挙げられる論点として「主題的エポケーを経た自己移入によって他我構成がなされると考えては、他者の他者性を捉え損なってしまうのではないか」というものがある。こうした批判は、超越論的他我を超越論的自我の形相的変様と捉えることの是非に関する問題に結びつくものである。
この問題に関して、本発表では、この問題に関連するいくつかの論点に向けられた批判的研究も踏まえつつ、主に『デカルト的省察』第五省察および『間主観性の現象学』でのフッサールの議論を参照し、そこで自己移入により目の前の(身体となる)物体に移入されるのが何だと考えられているかについて整理する。これにより、自己移入論を採用することで他者論に課される限界がどのようなものであるかについて、少しでも明確にすることを試みる。
本発表は以下のように行う。まず第一に、批判的研究としてシュッツやケルン、ヘルト、ザハヴィの議論を紹介し、これら先行研究でなされた他者経験の分析と超越論的他我の分析の混乱に関する指摘を肯定的に引き継ぐ。次にLee(2002)が指摘した第五省察における「原初的(primordial)」という語の多義性を参照し、第五省察の議論が他者および客観的世界の低次の意味の構成と高次の意味の構成が分けて描かれており、それぞれの議論において移入されるものが異なることを整理する。これらを踏まえ、あらゆる他我を超越論的な我一般の一事例と考えるとはどのようなことで、またどんな問題がありうるのかについて考えてみたい。
音楽教育現場の演奏のレッスンは、従来対面形式で行われてきた。しかし、2020 年の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行以降、オンライン形式でもレッスンがなされるようになった。その後COVID-19が一旦終息し、2023年5月8日以降に5類感染症に移行してからは、授業は徐々に対面形式に戻り、オンライン形式のレッスンは補助的なものとなった。オンライン上には、その頃に作成された様々なレッスンサイトがあり、今も視聴することができる。しかし、当時、教師は、単位を与えるためのやむを得ない手段として、オンライン形式のレッスンを試行錯誤で開始し、受講者もまた目標(進級・卒業)のためにオンラインレッスンを受講したというのが実際のところではないだろうか。では、音楽教育現場の教師や受講者たちは、オンライン形式のレッスンで満足したのだろうか。また、参加者たちは、こうしたレッスンを受講する場合、どのようにして成果を上げてきたのだろうか。
本報告は、事例として主に大学の保育者・児童教育者養成課程のピアノ演奏の対面レッスンとオンラインレッスンを取り上げ、A・シュッツの現象学的社会学やM・メルロ=ポンティの身体論そして中村雄二郎の共通感覚論の知見により各レッスンを検討する。
対面レッスンは本番同様の状況で学習でき、リアルタイムのオンラインレッスンでは言葉と絵で演奏手法の説明が受けられ、オンデマンド型は予習復習が容易である。各形式のレッスンの併用により、受講者は学習の成果を発揮し、演奏技術や知識の習得すなわち「身体図式の更新」がなされることがここで明瞭になる。本研究は、各形式のレッスンの併用で学習の成果を発揮しうることを論じる点で教育現場に貢献する。また、コミュニケーションにかんする議論を喚起する点で、社会学にも意義がある。そして、今後は、現象学的な視点から、身体感覚にかんする議論を深化させたいと考えている。
本発表の主題は、予持の充実というプロセスに注目して『ベルナウ草稿』の時間論の特徴を明らかにすることである。フッサールの中期時間論を代表する『ベルナウ草稿』の議論を、初期時間論である『内的時間意識の現象学』と比較するとき、もっとも際立った相違の一つは「予持」への注目である。つまり、過去志向と現在志向である「把持」と「原印象」が考察の主題となる初期時間論から進んで、『ベルナウ草稿』においては未来志向である「予持」が問題となる。それに伴って、現在は以前の予持によって捉えられていたものが出現し、予持が「充実」される場とみなされるようになる。
また予持は、『内的時間意識の現象学』において論じられた「把持の二重性」と類比的な構造を持つものと捉えられる。初期時間論における把持の二重性とは、把持は対象へ向かうのみならず、当の意識それ自体へも同時に向かっているという構造である。だがそれは無限後退に脅かされており、フッサールはこの二つの把持を、一つの作用の不可分な二側面と解釈することで無限後退の危険を退けた。『ベルナウ草稿』においては、予持もまたこの構造を備え、「二重の充実」を被るということが指摘される。つまり、予持は現在の対象へ向かうと同時に、現在の意識へも向かっており、充実はその二つの充実として生起するのである。
こうした構造について、本発表が検討するのは、予持の二重の充実が無限後退を引き起こすのか否か、また引き起こすとすればどのような無限後退なのかという問題である。とくに本発表では、『ベルナウ草稿』においては初期時間論とは異なる種類の無限後退が提示され、それが新たな充実(化)の概念に深く関わっているということを示す。そこで注目するのは、フッサールが『ベルナウ草稿』において、以前の『論理学研究』で論じた充実とは異なるプロセスを提示していることである。つまり、後者では空虚な作用と直観的な作用が、第三の作用によって統合されることであると論じられた充実が、前者では一つの予持が被る一連のプロセスとみなされるようになる。それゆえ、『論理学研究』の充実解釈では無限後退が避けられず、新たな充実概念ではこれを解消できることを示すのが本発表の目標である。
高橋里美はフッサールのもとへ留学した時期のことを回想した随筆で、フライブルクに留学した日本人として田辺元や小山鞆絵ら10人以上の名を挙げている 。『フッサール年代記』にも1920年代にフッサールの講義・演習に参加した日本人留学生として伊藤吉之助、田辺元、宮本和吉ら10名以上の名前が記されているほか 、1927年には九鬼周造、1930年からは尾高朝雄らと個人的な交流を持ったとの記述がある 。1920年から1930年初頭にかけて、フライブルクには相当な数の日本人が留学していたことになる。
フライブルクは当時の日本の哲学者にとって哲学の聖地のような位置づけをされていたこと、フライブルクへの留学が非常に流行していたことから、「詣でる」という日本語と流行を意味するドイツ語の「Mode」を掛け合わせて、この現象は「フライブルク詣」と呼ばれる 。このフライブルク詣組のなかから、いわゆる京都学派の一員として独自の思索を形成した者が複数誕生したほか、現象学の日本への紹介に努めた者、後進の日本人現象学者の育成に寄与した者も生まれている。そのため、このフライブルク詣が日本における現象学の受容と発展にとって重要な出来事であったことは間違いない。
しかし、その実態については研究が進んでおらず、判明していないことが多い。そもそも、誰がどの期間にフライブルクに滞在したのか、全体像はわかっていない。なぜフライブルクに行ったのか、そこでどのような影響を受け、日本の現象学にどのような変化をもたらしたのか、ということも分かっているのは一部にすぎない。
このような問題意識のもと、本発表ではフライブルク詣という出来事を引き起こした要因に焦点をあてる。フッサール現象学に対する評価が確立している現代から見れば、1920年代にフッサールのもとへ留学生が集まるのは当然のことのように思える。しかし1910年代に最も日本の哲学者の関心を惹いていたのは、フッサールではなく新カント派の哲学だった。それにもかかわらずフッサールのもとへの留学が流行しはじめた理由を明らかにすることで、日本の現象学の歴史の一端を解明するのが本発表の目的である。
哲学の学術研究が、哲学のテキストから何らかの問題や論理の展開や語句の意味などを読み取り、論証を再構成することに主眼をおくとき、哲学者の個人的なエピソードは脇に置かれやすい。しかし、哲学史には、アウグスティヌス『告白』、デカルト『方法序説』『省察』などの自伝のスタイルで書かれた著作もある。現象学の方法が自分の経験を記述するものであれば、それはどこまで自伝的であるのか、自伝的なものとして読まれうるのか。
この問いを立てたときに、『改造』論文は特別な意味を持っている。第一に、第三論文「個人倫理学の問題としての革新」は、個人の生き方を主題にしており、そこにフッサールの人生の出来事や困難や希望などが反映されている可能性がある。このテキストで真理の探究を使命とする学者の生について、また同時期の草稿で子供を愛する(母)親について語られるとき、フッサールの人生(真理の探究に邁進する哲学者であり、大戦で愛する息子を失った父親でもある)が反映されていると考えたくなる。第二に、『改造』論文は、当時のヨーロッパの時代状況を受け止めて、日本の読者に向けて個人や社会の「革新」という課題を語っている。このような叙述は、著者が生きた時代や地域の制約を受けており、著者が自分の人生や自分たちの社会について、その継承者になるかもしれない読者に向けて語っている。とりわけ、第五論文「人間集団の発展における文化の形式的諸類型」では、ヨーロッパの哲学とキリスト教というフッサール自身が属している文化の歴史が主題になっている。
『論研』や『イデーンI』などの主要著作の厳密で即物的な論述が、実のところ1890年代の強烈な宗教的経験に根をもつ「個人的なエートス」によって支えられていると、ある書簡でフッサール自身が漏らしている(1919年9月4日のA.メッツガー宛)。本発表はこの論点を重視しつつ、『改造』論文にも滲み出ているかもしれない「個人的なエートス」を読みとろうとする。フッサール哲学の核心には、著者自身が世界の何らかのあり方を見てしまい、人生を方向づける声を聴いてしまった経験がある。そうした個人的な経験(宗教的経験)は、厳密学の装いのもとで覆い隠されたり、その方法の間隙をついて漏れ出たりしている。この自伝的テキストの著者は、読者にも同じ世界を見て、同じ声を聴いてもらうことを切に願っているのかもしれない。
【2024.12.10】発表件数等を踏まえて、開催日程が3日間から2日間に変更となりました。
(変更前 : 2025年3月14日(金)・15日(土)・16日(日)→ 変更後 : 2025年3月15日(土)・16日(日))
2025年3月15日(土)・16日(日)、甲南大学・岡本キャンパスにて開催予定の第23回フッサール研究会について、以下の要領にて研究発表を募集いたします。
【個人研究発表の募集】
★募集期間:2024年10月1日~末日
★応募要領:発表を希望される方は下記のフォームにご記入の上、送信をお願いします。
個人発表応募フォーム:https://forms.gle/bMgy9QjZ6mU2NKg8A
個人研究発表は2025年3月15日(土)もしくは16日(日)にご発表いただく予定です。
なお応募が多数となった場合は、お送りいただいた要旨とこれまでのご発表実績等に基づいて、発表者を調整させていただきます。あらかじめお含みおきください。
補足1. 発表形式・内容について
a) 50分(発表25分、質疑応答25分)
b) 80分(発表40分、質疑応答40分)
第20回研究会から、発表時間(質疑応答を含む。時間配分は目安です)については80分と50分の2つを用意しております。
発表のテーマは、狭義のフッサール研究に限りません。フッサールや現象学研究、現象学に何らかのかたちで関連し、フッサールや現象学に関心を持つ人が共有できる多様なテーマを広く募集いたします。
補足2. 雑誌『フッサール研究』との関係について
第20回より『フッサール研究』への投稿は発表者の希望によるものとしています。例えば「完結した論文として仕上げる過程にあるアイディアを発表し、コメントや質問をもらう」、「文献調査や情報整理の共有をするとともに、参加者と意見交換をする」など、比較的自由な研究上のコミュニケーションの場として利用できます。もちろん、これまでと同様、完結した論考として次年度の『フッサール研究』に投稿することもできます。
過去の研究会のページから、これまでどのような発表や企画がなされてきたかを確認できますので、一例としてご参照ください。
【持ち込み企画の募集】
★募集期間: 2024年10月1日~末日
★宛先:フッサール研究会連絡係・佐藤(husserlkenkyukai@gmail.com)
★応募要領:上記宛先まで、次の四点をお知らせください。
(1) テーマ(2) 企画の形態(ワークショップなど)(3) オーガナイザーの氏名・所属・連絡先(4) 企画の趣旨、登壇予定者(1000~2000字程度)
なお応募が多数となった場合は、お送りいただいた要旨等に基づいて、採用の可否を決定させていただきます。あらかじめお含みおきください。