中村草田男
表参道から少し入った住宅街に青南小学校があります。明治34年父の赴任地清国の日本領事館で生まれ、帰国後青南小学校に通いました。現代短歌のページの斎藤茂吉の病院もあり子供達も通ったようです。学生の草田男が、小学校を訪問した際に詠みんだ句です。雪の降る中、外套を着た草田男は、子供たちを見て時代の流れを痛感したのです。草田男は、着物に下駄履きで通学していました。
降る雪や明治は遠くなりにけり
中村汀女
世田谷の梅ヶ丘駅からすぐ、梅の名所羽根木公園に行きました。丁度梅まつりが行われていました。商店街の出店の焼きそばや豚汁、わたあめ、バンバン風船などが売られ、つきたてのお餅が振舞われていました。餅つきの実演を見ながら40分待ちましたが、妙に美味しかったです。この公園は中村汀女の晩年の住居に近く、よく散策し、春を先駆ける梅を楽しんでいたそうです。熊本生まれ18歳で詠んだ句が絶賛され、『ホトトギス』同人として活躍しました。長年女流俳人の第一人者として活躍しました。 2018/02/25
外にも出よ ふるるばかりに 春の月 ※外の読みは(と)
今ならスーパームーンという言い方もされますが、ある日大きく見える美しい月ってありますよね。まるで触れられそうに。誰かにメールでもして、知らせたいですよね。天気は曇り。寒い日でしたが、梅はだいぶ咲いていました。
高浜虚子は実子の星野立子と並んで汀女を特別に指導し、女流俳人の育成に力を注ぎました。汀女は星野、橋本多佳子、三橋鷹女とともに4Tと呼ばれ、昭和を代表する女流俳人として活躍します。4Tって、今っぽいですよね。「私たちは、折に触れ、ものに触れ、何かを言いたいのです。美しいものを見つけたら、ことばに出して讃嘆し、人にも告げたくなります。季節にしたがう日常の暮らしの中で、心に響くものを柔らかく、つつましやかな気持で十七文字に表すのが俳句です」台所俳人などと揶揄された汀女は女性の職場とも言える台所で句を読んで何が悪いのかと反論しました。「悲しいことも、辛いことも、十七文字に詠むことによって、不思議に自分から離れてしまいます。思いを文字につづるということは、ほんとうに不思議な強い力を持っています。そして十七文字に表現するために自分を見つめる、つつましい自分がそこに生まれるのを覚えます」創作者の苦悩や感覚、発見、感慨、深いですね。