神奈川文学館 特別展「中島敦展――魅せられた旅人の短い生涯」
中島敦は23歳から8年間、横浜高等女学校(現横浜学園高等学校 磯子にあります)で教諭として勤務していました。この文学館の建つ港が見える丘周辺は、馴染みの場所。同僚と撮った写真も残っています。横浜高等女学校はこの近くにありました。2019/11/20
生誕110年です。実は夏に行った「太宰治の青森」も太宰治110年(2019年)のイベントが行われていました。同じ年に生まれ、こんなに差があるのですね。生前から流行作家、たくさんの女性と恋をし、酒が好きで派手に遊ぶ。そんな太宰に対して、中島は無名でやっと認められて雑誌に載り始めたところで病気で亡くなってしまいます。31年という短い生涯のなかで遺した作品はたった20数編、著書2冊。1942年2月に文壇デビューを果たすも、12月に亡くなりました。1949年に検定教科書が選定され、1951年に早くも『山月記』が掲載されました。検定教科書の歴史とともに、現在も高校一年の教材になっています。日本国民は『山月記』で育っています。
今回の展覧会では、奥さんへの熱烈なラブレターやパラオから家族への絵葉書などが印象に残りました。結婚式で初めて顔を見るような時代に、待ち伏せして告白なんて、素晴らしい。
外人墓地
この門で文豪ストレイドックスの中島敦が佇んでいる絵がありますね。この中に中島敦の歌碑があります。今度公開しているときにきてみます。
ロビーには着ぐるみ? なぜこのキャラクターがとおもったら、、、、
日本にはアニメのヒットメーカーがたくさんいますね。細田守監督は『バケモノの子』のころ、中島敦と答えていたそうです。実は『バケモノの子』は中島敦の『悟浄歎異―沙門悟浄の手記―』『悟浄出世』に影響を受けているのですね。その横には文豪ストレイドックスの中島敦の等身大? のパネルも。さすが。教科書の威力もあるのか、中島敦は生き続けています。すごい。