77 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
菅原道真、平将門、崇徳天皇の怨霊は「三大怨霊」と呼ばれています。その非業の死の後に数々の奇怪な現象が起こったことからそう呼ばれます。
崇徳天皇(1119~1164)は第75代の天皇である。一説に鳥羽天皇の第一皇子として誕生するが、実は曾祖父である白河法皇と璋子との子といわれている。鳥羽天皇からは疎まれていた。実父鳥羽天皇は、1123年に白河法皇がわずか5歳の崇徳天皇を即位させ、鳥羽天皇は退位させられたことで恨んでいた。
白河法皇が亡くなり、鳥羽上皇が院政を開始、寵愛する藤原得子(美福門院)との間に生まれた近衛天皇を2歳で即位させると、崇徳天皇はその座を追われた。その後色々とあったが、崇徳上皇は藤原頼長と手を組み、源為義・平忠正らの武士を集めて保元の乱を起こした。しかし後白河天皇側にわずか一日で惨敗、崇徳上皇は出家を志すが、罪人として讃岐国へ流罪された。京に帰ることも許されないまま讃岐で、失意のまま悲運の生涯を終えた。
京都 祇園 崇徳天皇御廟
観光客で賑わう祇園の端に、ひっそりと御廟があります。これは寵愛を受けた阿波内侍が遺髪を請い受け、この地に一塚を築きいて慰霊したものです。
京では異変が相次ぎ、崇徳上皇の祟りと恐れられ、御影堂や粟田宮を建て慰霊されましたが今は無く、この地のみが上皇を偲ぶ御廟となっています。孝明、明治両天皇の聖慮によって、白峯神宮が創建されました。
京都 白峯神宮
明治天皇は父孝明天皇の御遺志を継承し、心願成就し、和歌・蹴鞠の公卿宗家「飛鳥井家」の邸宅地跡(京都御所北西)に奉迎鎮座しました。
和歌の公卿宗家として崇徳天皇の歌碑などがあるように、和歌の神様でもある。
蹴鞠の公卿宗家として代々守護神として「まり」の守護神として「精大明神」を祀っていたので、上の写真のようにボールが奉納されています。日本サッカー協会や色々なスポーツ選手が来てるみたいです。修学旅行も運動部の生徒の定番コースです。
また、ボールを落とさない鞠という競技から、落ちない・落とさない、勉学の神でもあります。