関東地方にも万葉の歌の地はたくさんあります。今回は東京都狛江市の多摩川に行ってきました。といっても仕事のついでですが。
ここを訪れたのは10年ぶりです。季節と雨上がりの空ために、どんよりしていますが。川の向こう岸は、左小田急線登戸付近。右南武線中野島駅付近です。この辺りで布をさらしていたのでしょうか。 2017/3/16
多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき
『万葉集』 巻十四・三三七三・東歌
訳 多摩川にさらさらと手作りの布を水にさらして作っている。さらにどうしてこの娘がこんなにかわいいのだろう。
「悲しき」は現代語で「愛しい」という意味です。素朴な素朴な恋の歌に見えます。こんな田舎、関東地方の誰のものかわからない歌なのに、万葉仮名で最古の歌集に載せられている。この布が奈良の都に税として納められた。歴史の教科書の裏にある人々の生活がうかがえますね。中学3年の国語の教科書に載っている時がありますよ。
歌碑は現在多摩川から約100メートルほど住宅地に入った場所にありした。歌碑には万葉仮名で上記の歌が彫られていますが、実はこの碑には歴史があります。
多麻河泊爾左良須弖豆久利左良左良爾奈仁曽許能児能己許太可奈之
江戸の文化文政の時代に天下は穏やかに収まり、文人墨客は多摩川を行楽地として訪れていました。多摩川ほとりの名主の家にいた藩士が、松平定信に文字を依頼して、1805年に立派な歌碑を建てました。堤防の上に建てられ、富士山や丹沢の山々、多摩丘陵を背にゆったりと流れる穏やかで豊かな光景が想像できます。しかし1829年の文政の洪水で流され、今も見つかっていません。どこかに埋もれているはずです。見たいですね。この碑は1923(大正12)年に再建されました。これも流れた歌碑や拓本を探し、金銭的支援先を探したりといった困難の中、人々の思い出作られました。
どんな娘をイメージしましたか。
私は力強く日焼けしてたくましく微笑む女性でした。
写真の像は「乙女の像」狛江駅前にあります。碑文に多摩川の歌が書かれていて、「奈良時代、多摩川で布をさらしている姿と、その乙女を愛する人の情景が浮かんできます。」とあります。東京芸術大学の山本正道教授の作です。平成8年。
鎌倉の 見越の崎の 岩くえの 君が悔ゆべき 心は持たじ
巻十四・三三六五・東歌
甘縄神明社
鎌倉長谷駅から長谷寺方面に歩き、長谷寺へ曲がる角を右に少し行くと、川端康成旧邸の近くにこの神社があります。左の写真階段下左の手水舎の後方にあります。写真は2016/10/04 鎌倉の校外学習の時のものです。鎌倉には他にも二つの万葉歌碑があるようです。次回コンプリートします。
訳 鎌倉にある見越の崎にある崩れやすい岩のように、あなたが悔やむような心を私はもちません (今となっては随分と遠廻しな例えですが、心変わりをしない誠実を歌っていますね。)
久々の鎌倉。鎌倉文学館の歌碑と、大正時代にたったという由比ヶ浜の「稲瀬川」という石碑を紹介します。おそらくこれで鎌倉の万葉集コンプリート。2017/7/9
鎌倉文学館の歌碑は上記甘縄神明社と同じ歌です。
海岸沿いの道にある石碑にある歌は、
麻可奈思美 佐祢尓和波由久 可麻久良能 美奈能瀬河泊尓 思保美都奈武賀
ま愛(かな)しみさ寝に我は行く鎌倉の水無瀬川に潮満つなむか(巻14・3366)
とても愛おしい愛おしい、共に夜を過ごそう。鎌倉の水無瀬川(みなのせがわ)には潮が満ちてはいないだろうか。(川は愛する2人を妨げるものとして登場します。素朴で強い古人の恋の想いを感じます。今の川は、、、)