江戸時代初期(1644年)に伊賀上野で生まれる。
芭蕉が29歳(1675年)の時に伊賀上野から江戸へ来て初めに住んだ場所が現在の日本橋 室町といわれています。
日本橋 室町 [江戸日本橋の桃青]
老舗の佃煮屋「日本橋 鮒佐」の店先に松尾芭蕉の句碑があります。芭蕉が29歳(1672年)の時に伊賀上野から江戸へ来て初めに住んだ場所です。2019/3/14
発句なり松尾桃青宿の春
発句は連歌の初めの句、この草庵にも春がきた。松尾芭蕉、桃青として、江戸で俳句でスタートを切るぞ!!
芭蕉は近くに住んではいましたが、次々と芭蕉の句碑が。続きは後日。次回は「なぜ新潟の地名が浅草に?」ですよ。徐々にアップします。
関口芭蕉庵 [神田川の分水工事に携わった時]
芭蕉31歳(1677年)
江戸川駅から神田上水沿いに歩いてみれば、そこには江戸の工事の記憶と上水施設の遺構がありました。関口芭蕉庵と呼ばれる、芭蕉ゆかりの地に来ました。2018/5/16
関口という地名のここで上水は取水され、水戸藩上屋敷(後楽園一帯)へ向かい、樋で神田、日本橋方面に給水されました。
上水沿いの横にある門に入って椿山荘へ。そこには平安歌人、伝説の多い小野篁ゆかりの広島、篁山竹林寺から移設した三重塔があります。広大な美しい庭園の、緑に囲まれた中に筆塚。これは「筆に明け筆に生涯を送る私達の伴侶を芭蕉ゆかりの地に祀り筆塚とす」と説明のある、出版美術家連盟が建てた筆供養の碑でした。いよいよ近づいた。もっと立派な門は関口芭蕉庵。塀沿いに進んで現在の入り口に。芭蕉2度目の江戸入りの後、33歳の1677年から3年間この地に住んだ。これは、使えていた藤堂家が神田上水の改修工事を行っていて、芭蕉はこれにたずさわり、工事現場か水番屋に住んだといわれています。まさにここはうってつけ。俳人芭蕉以前の住処です。池がありました。そこで句碑は「古池や〜」。
ここにも芭蕉の墓がありました。墓は短冊を埋めるというもの。そういうものもあるんですね。後世の多くの人の思いから、この場所が芭蕉ゆかりの地として育てられたという気がします。
浅草の芭蕉
校外学習で両国と浅草に行きました。雷門の提灯が上がっている。そう、今日は三社祭の神輿が通る準備ですね。すごい人です。さて、浅草と芭蕉といえば? 2017/5/19
「観音のいらか見やりつ花の雲」
有名な句碑です。約220年前の建立。
浅草寺の鐘楼と芭蕉といえば「花の雲鐘は上野か浅草か」があります。寛永寺なのか浅草寺なのか。ですよね。「花」桜ですよ。さてみんなはどっち? この歌の句碑は次の写真 。次も浅草寺 三匠句碑 尊敬する宗因、芭蕉、弟子の其角の句碑です。 江戸時代前期を代表する俳人たちです。2017/5/19
ながむとて花にもいたし頚の骨 宗因
花の雲鐘は上野か浅草か 芭蕉
ゆく水や何にとどまるのりの味 其角
浅草の象潟(きさかた)?
マニアな世界では旧町名の宝庫と言えば文京区と台東区だそうです。2年前にタモリ倶楽部という番組でタモリさんが旧地名ハンターをしていました。その地名が「象潟」。江戸時代にこの地に屋敷を構えたのが六郷氏でしたが、藩主であった羽後本荘藩の旧領羽後本庄に象潟の名勝があったことからその名を取ったようです。つまり秋田と浅草に同じ地名があります。校外学習の解散後に浅草寺の奥の街にやってきました。かなり迷いましたが、着きました。2017/5/19
現在の浅草3〜5丁目が象潟1〜3丁目でした。昭和41年に住居表示変更されました。象潟町と浅草の町会との交流から姉妹地と成っています。俳句は
象潟や 雨に西施が ねぶの花
象潟はおくのほそ道にも出てくる景勝地。その縁で芭蕉の句碑が建てられました。面白いですね。
花本社(富岡八幡宮)
学校と同じ江東区に、芭蕉のゆかりはいくつもあります。ここ門前仲町の富岡八幡宮の境内にもありました。昨年末にこの八幡宮の諸問題から立ち入ることができずに文学散歩を断念しました。ちょっとお食事前に寄って見ました。2018/4/3
縁起によれば、寛政年間(1789~1800年)に当時の俳人有志により建立されたもので、天保14年(1843年)芭蕉の150年忌に二条家から「花本大明神」の称号が贈られたものだそうです。
「花本」は、西行の「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ」にちなんだ説があります。
渋谷の芭蕉 金王八幡 御嶽神社
しばらくは 花のうえなる 月夜かな
1092年この地に渋谷城を築き、渋谷氏の祖となった河崎基家(渋谷重家)の創建。
本殿と社務所の間に句碑があります。
江戸時代から有名だった金王桜は天然記念物です。桜は時期外れです。すいません。
眼にかかる 時や殊更 さ月不二
宮益坂は昔、富士見坂と呼ばれ展望が良かった。今は後ろは高層マンション、横はビルでした。
箱根の関を越え、諦めていた富士が見えてたいへん嬉しく思いました。という意味のようです。ここにあるのは富士繋がり?
2019/2/27
新宿の芭蕉 花園神社
江戸開府以前から新宿の総鎮守、花園神社は、新宿駅から伊勢丹と歌舞伎町の間の方角に約10分歩いたところにあります。境内を移動したようですが、現在は成徳稲荷神社の側面に少し間隔をあけて並んでいます。ちなみに芭蕉と新宿は繋がりがないみたいです。2019/3/11
春なれや 名もなき山の 朝かすみ はせを
伊賀から奈良へ向かう『野ざらし紀行』の旅の途中で詠んだ句です。旅をする時間や様子がうかがわれます。
蓬莱に きかばや伊勢の 初たより はせを
芭蕉51歳(1694年)元旦の朝、蓬莱飾り(関西で、新年の祝儀の飾り物)に向かっていると 伊勢からの初たよりを聞きたいと思った気持ちを詠んだものです。伊勢を思い出しました。
鎌倉の芭蕉 鎌倉文学館
鎌倉を生きて出にけむ初松魚(はつがつお)
初鰹は江戸っ子に珍重されました。デジタル大辞泉では、「初夏のころとれる走りのカツオ。江戸時代には黒潮に乗ってきたものが鎌倉・小田原あたりでとれ、珍重された。」とあり、続いて《季 夏》「目には青葉山ほととぎす―/素堂」と俳句が紹介されている。初夏の五月、目に、耳に、口に、と風物を羅列しただけ句ですが、音の並びと初句の字余りがいいですよね。
話を戻して、戦後も鎌倉の腰越では遠洋でのカツオ漁が盛んで、ここから江戸に運ばれました。江戸っ子ですから、お金に糸目をつけず、借金してでも食べたのですよ。
芭蕉の句碑です。またまたまた鎌倉文学館。2017/7/9