大阪と川端康成と住吉大社
航海守護の神 住吉大社 今日は大阪三大夏祭り「住吉まつり」渡御祭があります。朝一の訪問でしたが、昨日の祭りの跡がすごかった。神様もお疲れさま。2018/8/1
「反橋は上るよりもおりる方がこはいものです。私は母に抱かれておりました。」という、川端康成の作品『反橋』の一節の文学碑です。
川端康成は、大阪天満宮の南向かいの料亭の一角の生家で3歳まで過ごしました。その後、両親と相次いで死別します。茨木市宿久庄町の祖父母の家で育てられますが、続けて祖母、姉を亡くし、16歳まで祖父と二人暮らしでした。以降は上京し、数々の名作を発表します。故郷の大阪を舞台にした作品は、昭和23年(1948)の『反橋』や翌24年(1949)の『住吉』くらいだそうです。
五つの私は母に手をひかれて住吉へ参りました。手をひかれてといふのが決して形容では なく、私は手をひかれなければおもてに出られないやうな子供でありました。私と私の母と は反橋の前に長いこと立ってるたやうに思ひます。私には反橋がおそろしく高くまたその反りがくうつとふくらんで迫って来たやうにおぼえてゐます。母はいつもよりもっとやさしく私をいたはりながら、行平も強くなったからこの橋が渡れるでせうと言ひました。私は泣き さうなのをこらへてうなづきました。母はじっと私の顔を見てゐました。
「この橋を渡れたら、いいお話を聞かせてあげるわね。」
「どんなお話?」
「大事な大事なお話。」
「可愛想なお話?」
「ええ、可愛想な、悲しい悲しいお話。」
そのころ大人は可哀想で悲しいお話を好んで、子供に聞かせたものであったやうです。 反橋はのぼってみると案外こわくありませんでした。
《『反橋』より 母の面影と反橋》