大宮公園
歴史ある武蔵国一宮、氷川神社に来ました。現在の本殿や拝殿、舞殿、楼門などは、70年ほど前に京都の賀茂神社を模して作られました。2018/5/26
現在の大宮公園の名は、元々氷川公園と言う名前でした。大宮駅を実現するために人々が利用する場所が必要でした。それが公園観光と神社参拝でした。東京近郊で一泊か日帰りの観光がのできる場所に桜並木や池を作りました。名物の「鯉こく」や「うずら」料理を出す旅館ができました。氷川神社と大宮公園は正岡子規や夏目漱石(『墨汁一滴』に子規が漱石を大宮に呼ぶ記述があります。)、樋口一葉、森鴎外(小説『青年』には、主人公が上野から汽車に乗って大宮を訪ね、大宮公園から氷 川神社境内を散策する様子が描かれている。)といった文人が訪れたことでも有名です。太宰治が『人間失格』の第三の手記後半を書き 上げたのもこの地。
「明治二十四年の学年試験が始まつたが段々頭脳が悪くなつて堪たへられぬやうになつたから遂ついに試験を残して六月の末帰国した。九月には出京して残る試験を受けなくてはならぬので準備をしようと思ふても書生のむらがつて居るやかましい処ではとても出来さうもないから今度は国から特別養生費を支出してもらふて大宮の公園へ出掛けた。万松楼ばんしょうろうといふ宿屋へ往てここに泊つて見たが松林の中にあつて静かな涼しい処で意外に善い。それにうまいものは食べるし丁度萩の盛りといふのだから愉快で愉快でたまらない。松林を徘徊はいかいしたり野逕のみちを逍遥しょうようしたり、くたびれると帰つて来て頻りに発句を考へる。試験の準備などは手もつけない有様だ。この愉快を一人で貪るのは惜しい事だと思ふて手紙で竹村黄塔を呼びにやつた。黄塔も来て一、二泊して去つた。それから夏目漱石を呼びにやつた。漱石も来て一、二泊して余も共に帰京した。大宮に居た間が十日ばかりで試験の準備は少しも出来なかつたが頭の保養には非常に効験こうけんがあつた。しかしこの時の試験もごまかして済んだ。」正岡子規『墨汁一滴』
三時過ぎに大宮に着いた。駅員に切符を半分折り取らせて、停車場を出るとき、大村がさも楽々したという調子で云った。
「ああ苦しかった」
「なぜです」
「馬鹿げているけれどね、僕は或る種類の人間には、なるべく自己を観察して貰いたくないのだ」
「その種類の人間に詠子さんが属しているのですか」
大村は笑った。「まあ、そうだね」
「一体どういう種類なのでしょう」
「そうさね。一寸説明に窮するね。要するに自己を誤解せられる虞のある人には、自己を観察して貰いたくないとでも云ったら好いのでしょう」純一は目を※(みは)っている。「これでは余り抽象的かねえ。所謂教育界の人物なんぞがそれだね」
「あ。分かりました。つまりhypocrites(イポクリイト)だと云うのでしょう」
大村は又笑った。「そりゃあ、あんまり酷だよ。僕だってそれ程教育家を悪く思っていやしないが、人を鋳型に(は)めて拵えようとしているのが癖になっていて、誰をでもその鋳型に(は)めて見ようとするからね」
こんな事を話しながら、二人は公園の門を這入った。常磐木の間に、葉の黄ばんだ雑木の交っている茂みを見込む、二本柱の門に、大宮公園と大字で書いた木札の、稍古びたのが掛かっているのである。
落葉の散らばっている、幅の広い道に、人の影も見えない。なる程大村の散歩に来そうな処だと、純一は思った。只どこからか微かに三味線の音がする。純一が云った。
森鴎外『青年』