京都府山崎(乙訓大山崎町と大阪府島本町) 宗鑑と芭蕉 俳諧のルーツ
山崎宗鑑 室町後期の連歌師・俳人。近江出身。俳諧撰集「犬筑波集」。江戸時代初期の談林俳諧に影響を与えた。出家して山城国山崎に閑居した。宗鑑はこの付近にあったとされる冷泉庵で連歌の会を開いたり、俳句の指導をしていたとされています。山崎宗鑑の「山崎」はここ京都の山崎という地名からきています。2017/5/12
うずききてねぶとに鳴や郭公
「連歌」とは
鎌倉時代ごろ生まれ、南北朝時代から室町時代にかけて大成されました。日本の伝統的な詩形の一種です。多数での連作形式を取りながら、厳格なルール(式目)を基にした全体的な構造を持つ。 和歌の強い影響のもとに成立し、後に俳諧の連歌や発句(俳句)がここから派生した。
西国街道沿いに芭蕉の足跡が残っています。
宗鑑没後には偲んで山崎を訪れる人が多く、松尾芭蕉も立ち寄り句を詠みました。禁門の変の焼け残りの門(旧家石上の表門)が残っておりそこに芭蕉の句碑があります。
ありがたき姿すがたおがまむ 杜若(かきつばた)
愛知県 知立市の芭蕉
池鯉鮒蕉門の俳人井村祖風が、寛政五年(1793)この句がつくられて百年目に当ったのを記念し、に働きかけて建立されたようです。場所は知立神社。井村祖風の句碑は無量寿寺にありました。
不断たつ池鯉鮒の宿の木綿市
池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)は、東海道五十三次の39番目の宿場です。2018/5/4
「芭蕉連句碑」無量寿寺
杜若われに發句の思ひあり 芭蕉
麦穂なみよるうるほひの末 知足
愛知県岡崎市 岡崎城址の芭蕉
岡崎城址の芭蕉句碑。
木のもとに汁も鱠(なます)もさくら哉 はせを
この句は元禄三年(1690)、「奥の細道」の旅を終えたあと、故郷の伊賀上野小川風麦亭において 風麦、土芳立と歌仙を開いた時の八吟四十句の発句です。ここに句碑があるのは、さくら繋がり? 2018/5/3
「汁も膾も」という表現は、何から何まで、何もかもという意味の慣用句です。
桜の花見をしていると、饗宴の汁物にも、ナマズの料理にも、何から何まで桜の花びらが散り覆ってしまう。
「はせを」は芭蕉の俳名の一つ。
兵庫県明石市 明石市立天文科学館 芭蕉句碑
明石市立天文科学館の下方敷地に「蛸壺〜」、上方すぐ横に柿本神社があります。
蛸壺や
はかなき夢を
夏の月
ほととぎす
きえいくかたや
ほしひとつ
「ほととぎす〜」の句碑は柿本神社門前にあります。
芭蕉44歳、1688年に尼崎を船出し兵庫に夜泊、神戸・明石を巡った記録があります。
奈良県天理市櫟本 大和の芭蕉
櫟本 在原神社 『伊勢物語』の「筒井筒」の舞台想定地です。知立といい、さすが芭蕉。業平さんも巡っていますかね。
うぐひすを魂にねむるか矯楊(たをやなぎ)
『伊勢物語』「筒井筒」の伝承地「業平神社」 左井戸 右社殿
奈良県桜井市初瀬 長谷寺の芭蕉
春の夜や 籠り人床し 堂のすみ
芭蕉が長谷寺でよんだ句です。
青森市「善知鳥(うとう)神社」の芭蕉
名月や 鶴脛(はぎ)高き 遠干潟
かつてこの場所には善知鳥村がありました。青森市発祥の歴史を秘めた神社で、宗像三女神が祀られているために海や航海安全の神として崇拝されています。鶴のように服をめくって脛を出し、干潟からこの神宮が望めたのでしょうか。今は街中です。
弘前市
舎利ひろふ 津軽の秋の 汐ひがた