平氏は日宋貿易で得た財で権力の地盤を作った。それは現在の神戸港です。源氏の挙兵で福原遷都で頓挫し、清盛の死、平家滅亡、福原の荘園や建物は鎌倉幕府に接収される。福原の名は歴史の表舞台消え去ります。
幕末に神戸が開港するとまたこの土地は注目されました。
清盛像
清盛塚 石造十三重塔
道路拡張で付近より移動したものだが、十三重塔はここにあった清盛の墓を示しているそうです。この墓のあった伽藍は戦でなくなってしまったが、塔は1286年に九代執権北条貞時が建てたものです。清盛像は私と同じくらいの年です。
「愛宕にて煙になし奉り、骨をば円実法眼頸にかけ、摂津国へくだり、経の島にぞ納めける。さしも日本一州に名をあげ、威をふるッし人なれ共、身はひとときの煙となッて都の空に立ちのぼり、屍はしばしやすらひて、浜の砂にたはぶれつつ、むなしき土とぞなり給ふ。」『平家物語』巻6
平経正(清盛の弟、経俊の長男で敦盛の兄)の墓として伝えられた古墳跡にたっていました。これも移動してきました。
能福寺には清盛の廟と大仏がいらっしゃいます。
廟には平清盛八百年忌で作られた平相国(太政大臣の唐の名)廟。清盛塚を模した十三重石塔、があります。
真光寺 清盛が勧請した弁財天とお茶を建てる時に使った井戸がありました。この地は平家の伝承だらけです。2018/12/20