2013年にたまたま新入部員の一回生3人が集まって、先輩もほぼ居ない中始まった地学研究会での初めての本格的な野外遠征
よくわからないがとりあえずフィールドワークと博物館巡りをすれば良いこと、お金が無いので大学の宿泊施設(遠見山の家)を使うという目的を立てた。
当時は素泊まりで夏季1泊600円、冬季1泊800円という破格の代金で宿泊できるうえに、大学のネットワークシステムも整備されていて非常に良い施設であった。
参加者は私、N氏、Y氏。3泊4日で初日と最終日は青春18きっぷを使ってほぼ移動になる。
お金が無いので青春18切符で在来線の旅。意外と大阪からのアクセスが悪い長野県であった。部員のN氏がほとんどの旅程を立ててくれた。
ネットワークを使う術を知らなかったこと、現地にスーパーは無かったがコンビニは有ったことも把握できていなかったため、現地3人で2か分の保存食や過大な荷物を収める為に巨大なスーツケースになってしまった。旅は出来るだけ荷物を少なくするべきという鉄則をわかっていなかった。加えて大学で運用していた望遠鏡ED80sf鏡筒屈折望遠鏡+経緯台も持ってきていた為、大変な労働になってしまった。大学で集荷してもらって、到着日に郵便が届くように指定すればよかったのだろう。
当時は誰もスマホを持っていなかったので遠見山の家の場所がわからずしばらくさまよったあとに到着。保存食ばかり購入していたので結構悲惨な食事になってしまった。
大教unipaなどに接続出来るパソコンを見つけ、明日の行動を確認しているところ。
出発。旅慣れていなかったので結構分刻みの旅程になってしまい、この日の行動は終始余裕のないまま分刻みで行動することになった。この辺りは自動車で訪れたほうが余裕のある巡検になると思われる。
途中単線の電車で一両編成 大阪の電車しか乗った事が無かったので単線かつ一両なことに驚く。
前々から興味のあったフォッサマグナミュージアムにまず訪れる。かなりアクセスの悪い所にあり、荷物多めの我々にとってはかなりつらい場所だった。駅から徒歩であった。
フォッサマグナミュージアムで眼を慣らしてからひすいを探しに行こうとしていた。
フォッサマグナ
フォッサマグナミュージアムからひたすら歩いて海岸へ
大量に転がる砂利に絶望する部員。ひすいがわからない。
こののち大糸線にて帰還する
大糸線の途中で降りてスーパーで必要な物品を購入した...のだったのだろうか。
帰りの電車がこの後本当にギリギリ到着したので間に合った。
残っている保存食を始末しているところ。
私は体力が限界に達したので、遠見山の家に残ることに。残りの部員は南方へ蛇紋岩を採取に。
洗濯機と乾燥機もある。一通りそろっている
玄関には地下への入り口がある。地下もしけったものを干すブースがある。
玄関
大糸線より帰還。荷物はこの日か前日かにゆうパックで自宅へ送った。
重量のあった望遠鏡や旅行鞄がなくなって大変な解放感があった。
当時はゆうパックもだいぶ安かった。この時から重量物をゆうパックで送るという技法を覚えた。
さようなら長野県。雪の積もった中、夕暮れの大糸線がひたすら赤光の中を走るさまは感慨深かった。写真は撮っていなかった。