2020年8月17日-19日 私、N氏、O先生、B先生
またか、と言われたらまたなのですがまた東赤石山へ。B先生は体力の関係で8/18のみ別行動。
8/16にN氏宅に前泊し、8/17にO先生、B先生と合流後銅山川・国領川を回る。8/18に東赤石山の山頂へ登山し、8/19にマイントピア別子・別子銅山記念館・東平等を見て大阪へ帰る。
確か大阪が37.4度とかやばい気温だった。愛媛県も特に変わらずやばい級の暑さで既に死にかけている。
恐らく既に日射があまりにも強く、目が痛くなるくらいだ。
少し活動しただけなのに暑くてやってられない。翌日の登山が心配になりつつ。
第六回国際エクロジャイト会議の石碑
当日の彼らの装備
思ってたより頼りない半分朽ちた木の橋が連続する。
あまり体重を乗せたくない。そして暑い。
森を抜けてまばらになる灌木の隙間から絶対絶滅人類抹殺光線が降り注ぎ始める。
へろへろになった我々の前には、にわかに景色が開けて岩山が見え始める。これほんとに登れるの?
ここ営業してたら大枚はたいていくらでも水をめぐんでもらいたかった。
3人で5L程持って登って行ったがこの後あたりに尽きた。渇きの地獄
赤石山荘付近から等高線沿いに東側へ進み、保線路を通り、床鍋谷の登山口へ移動する予定になっていた。その行程に東赤石山山頂を加えるべきかどうか3人で議論する。恐らく山頂へ向かう工程を加えると40分ほどのタイムロス+絶対絶滅人類抹殺光線に焼かれ続ける事になる。
東赤石山山頂制覇。山頂の気温はわからないが、大変な暑さであった。
ここ数年で最も暑い年の、最も暑い時間に我々はなぜか登山を行った。
ここから稜線歩きをしていくと、とうなるへ至る。登山の醍醐味は稜線歩きなのにあんまり稜線を歩いていない。
一旦赤石山荘跡方面に下り、その後等高線沿いに東側へ向かう。
この時皆手持ちの水分が消えてしまったので、何故か持っていたN氏のチェリオ清涼飲料水を分けて3人で飲んだ。その清涼感と体内に染みわたる糖分が身体に効いた。今まで生きてきた中であんなに美味しかった飲料は無かったのだった。
そしておそらくこの場所は数十年か数百年かわからないけれど、大昔に山肌から巨礫がなだれ落ちた跡のようだった。こんな大岩の雪崩に巻き込まれたら生き残る事は不可能だと畏れながら進んでいく。
途中とんでもない岩雪崩跡などを越えていく。
保線路のルートを諦め、通常の登山ルートから向かう。峠から保線路へ向かうルートは夏場は大変草が生い茂っており、崖がよくわからなくなっていたので大変危ない。そして体力が尽きてしまった。
瀬場と違って金属製の橋がかけてあった。谷川で十分に水分を補給し、元気になった。こちらは登山には良いルートかと思う。
アイス買いまくり
マイントピア別子。B先生とも合流した。
マイントピア別子からバスを予約していく。昔の鉱夫は男性が45kg,女性が30kgの銅鉱石をふもとまで担いでいったそうだ。我々は重すぎて30kgすら厳しかった。
関川の河口西側のはず
色の濃い部分に細かい鉄盤柘榴石が濃集している。
B先生は海岸砂等、砂の専門家なので色々と教えて頂いた。