2023年8月17日-18日 私、N氏、M氏 N氏の自動車に拾ってもらい朝早くに出発 大島のモホロビチッチ不連続面と年縞博物館あといか丼や白山手取川ジオパークの見学、翌日は富山県の黒部川で十字石や、ジオパークスポットを探した。帰りは東海北陸自動車道(恐怖の道路)を初めて通り、白川郷にも寄った。M氏は予定の都合上福井県でお別れとなった。 白川郷に行く用事がなければ北陸自動車道から帰ったほうが快適だ。
地殻とマントルの境界。よく見てみるとはんれい岩とかんらん岩が互層状になって、それが数百m続いている。
モホロビチッチ不連続「面」というよりモホロビチッチ不連続「帯」という表現のほうが合っているかもしれないが、地質学的な尺度で考えるなら数百mは誤差かな。
もう一回露頭のはぎ取りしないとちょっと見づらいかな
かろうじて白っぽい部分と黒っぽい部分が互層になってるような気もする程度
論文にあった場所を確認したくて、遊歩道沿いのルートが残っていないか調査に向かう
崩壊しとるやんけ
赤グリ崎を見に行く
赤い
三回目の年縞博物館。何回来てもいいとこだよここは
今回はついでなので隣の縄文博物館?とのペアチケットを買う
映像は投影されます
ここ思っていたより展示品のクオリティや展示の仕方が品位高く、今までスルーしてたのが悔やまれる。
建築物の構造もかなりお金かかっている
顕微鏡で花粉を観察できるコーナーがあった。これは年縞博物館に説明があったものと同じものかと思われる。コラボイベントらしい。こちらにこないと顕微鏡写真は見られないので大変良かった。思っていたよりきちんと立体構造が保存されていることが一目でわかる。
コンクリート柱で太古の縄文の森を模したかのような作りになっている。こりゃすごい
レインボーライン?を登るとこんなによい
は行かなかった。ロープウェーの値段があまりにも高すぎる。
山頂のテラスでお昼ご飯食べたかったけど、急に貧乏なことを思い出して取りやめる。
あんな高いロープウェーのるとかリッチな人は多いな...
このあと手取川に掛けて、手取り少ない12万円川とか訳のわからないネタを思い付いたがあまり理解は得られなかった。手取り12万じゃなぁ...
で兼ねてから先生に聞いていた「いか丼」を食べたかったが、大入り満員で大混雑していたので撤退。近くのごはん処で類似品を食べることにした。
美味しかったのでここでいいやとなった
ジオスポット
ジオスポットからの眺めは確かに綺麗だけど、普通の土手だしベンチも無かった。
このあたりのジオスポットはあまりきちんと整備されていない印象だ。
手取川の河川礫が表示してあった。全部取ります。
礫全部取れませんでした。
このあと金沢駅?でM氏と解散。忙しい中ありがとう
しかし我々は手取りが少ない族だ。
富山駅近傍に宿泊し、富山駅の反対側で食いもんやでも探すかと地下通路を通るとスラム化していた。誰か住んでるみたいだった。
まさか上はあんなにも煌びやかなのに家の無い人が居る町だったとは...
地下通路に恐れをなして戻ってきた。
富山駅には路面電車も乗り入れていて、新幹線もあるので面白い場所だ。
路面電車が通るので信号機がある。大変面白い
晩御飯
おなかがいたくなったので役所のトイレを借りる。
私は敬虔な納税者なので借りてもいいよね...?
確かに十字だった。
ジオスポットの展示があったので、とりあえず手近なCとIは見ることとした。
どこだよ
本地域には超大陸パンゲア形成にかかわる北中国(中朝)地塊と南中国(揚子)地塊との関係を考える上で鍵となる素材が豊富にあり、研究者の注目を集めている。中でも宇奈月地域の花崗岩から発見された約 38 億年前のジルコンという鉱物からなる日本最古の砂粒は超大陸ロディニア起源の北中国地塊と関連が深いことを明らかにした。北中国地塊で卓越する約 18 億年前の砕屑性ジルコンが恐竜で知られる手取層群や新生代新第三紀中新世の楡原層と岩稲層から発見され、北中国地塊が後背地として存在していたことが明らかとなった。約 18 億年前にはヌナ超大陸が存在し、北中国地塊はカナダ北東部またはカナダ北方にあったと されている。以上のことから飛騨帯は北中国地塊に帰属すると考えられている。約3億5000万年から4億年前の北中国地塊はゴンドワナ超大陸のアフリカと南米大陸の北西方に位置していたと考えられている。約2億5000万年前に北中国地塊と南中国地塊が衝突し、衝突型の飛騨変成作用を被りパンゲア超大陸の一部となった。 写真10 38億年前のジルコンが含まれている宇奈月花崗岩 いた 宇奈月変成帯は、流紋岩や風化の進んだ泥質岩など大陸分裂時に形成されるリフト帯堆積物を原岩とし、その結晶質石灰岩からは古生代石炭紀後期(約3億年前)のコケムシの化石が発見されている。したがって、北中国地塊がゴンドワナ超大陸から分裂する時に飛騨帯を基盤として堆積したものであり、衝突型の飛騨変成作用により、泥質岩が十字石片岩になっている。
chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.city.kurobe.toyama.jp/attach/EDIT/010/010688.pdf
あと展示もキャプションも看板も無かった。このジオサイトはかなり見つけるのが難しいと思う。福井県も富山県もジオサイトあんまり整備されてない印象が強まった。
特に研究者向けのオタクっぽいジオサイトは路傍の石のように捨て置かれている。
きちんとした場所なのでサンプリング出来ないのが残念
転石探し
ないよ
熱くて熱中症になりそうだった。なかった。
ついでに白川郷も見に行く事とした。PA
自動車は路上まではみ出て大混雑していた。インバウンドまみれなのだ
夏でもいいよ
黒部川誰も居なかったのにこっちは人まみれ
世界遺産の中で食べる飯は、うまい。
元村長の家はでかい
昔は上で蚕してたらしい
特別なデザイン
撮影し損ねたが、帰りのトンネルのサイドに確か45/58のような表示を見つけた。
次のトンネルだと44/58になっていた。つまりそれだけトンネルのあるハードなコースだった。まだ全てのトンネルが開通していないので、北に行けばいくほど厳しい片側一車線コース。中央ラインはプラスチックのふにゃふにゃ棒が聳えてるだけで、対面は相対速度200km近い。7~10kmクラスの長大なトンネルもずっと片側一車線のままなので、きちんと全線開通するまで通らない方が良い。危ない。