2021年12月24日-26日 私、N氏、M氏
12月24日に長崎空港に到着後に東横イン長崎駅前に宿泊
12月25日にフェリーで雲仙から天草へ渡り、ビシャゴ岩周りを見る。天草民宿 竹内宿泊
12月26日にフェリーで天草から雲仙へ渡り、長崎恐竜博物館・軍艦島資料館・樺島灯台・長崎半島グリーンセンター横で蛇紋岩サンプリング後長崎空港から大阪へ帰還
長崎空港到着後、迎えのバンで陸地に向かい、レンタカーに乗り込んですぐに東横インに宿泊した。
雲仙半島?を周回しつつフェリー乗り場に向かっている最中、側溝から湯気が多数立ち上っていたり、温泉街を見つけるなどした。活火山の恩恵の側面が視覚的にわかりやすい。
雲仙と天草を繋ぐ、口之港ー鬼池のフェリーに乗り込む。
フェリーの時間は結構間隔があるので乗り損ねると結構なロスになるので注意。
のんびりしているところ。
大変天気の良い日であった。
坂本竜馬像だと喜んでいると、近づいてみたら天草四郎像だった。大変恥を掻いた。
ビシャゴ岩の藍晶石エクロジャイト相岩サンプリングや、姫浦層群の化石サンプリングを目的とした旅だが、天草半島は結構大きくて移動にはかなりの時間がかかった。
須賀無田海岸手前の駐車場に停めて、海岸に降りると予想外に狭い海岸が広がっていた。慌てて調べるとどうやら干満表を見間違えて干潮ではなく満潮の時に来てしまったようだった。それも大潮の満潮時に来てしまったので潮位は最大。
最も条件の悪い時に海岸に現れてしまった。
今回の旅程を全て組んだのは私ですが、星辰の巡りあわせが悪かったのです。すべては月の仕業なのです。
到着時点から条件の悪さに懐疑的な雰囲気になった一行だったが、希望を捨てきれずになんとかビシャゴ岩まで到達できるのではないかと進む。この日の天候は気温も低く、風がかなり強いために体力が奪われる。また、波濤も大きく波打ち際はとても危ない。
もうすでに絶望的な雰囲気になりつつも進む。ビシャゴ岩まであと1㎞
この辺りで断念した。波濤が押し寄せ、腰より高い波が行く手を阻む。何者かのせいではない。自然が悪いのだ。月が悪いのだ。
大げさに嘆く事で判断ミスをした私への非難が少しでも和らぐように演技をしています。
そのあと呆れた一同に置いて行かれました
北請稲荷神社近辺から海岸に降りるルートが無いか探す。近辺には釣り人がいると聞いたので、海岸に降りるルートがあるはずと探す。この先の崖際に非常に急峻な海岸に降りる石段があった。あまりにも風が厳しい場所だったので今回は降りる事を断念した。後述するが降りても到達できないことは判明していたので......。
北請稲荷神社の駐車場から神社への道中に見えたビシャゴ岩。
雲の切れ目から太陽の光が波濤に包まれた海岸を指し示している。
海岸は見えず、ここを進むと死ぬだろうということのみ判明したので石段を下りるのは断念した。
雲仙普賢岳が綺麗に見える。
この後天草民宿 竹内 に宿泊した。大変良い場所であった。
天草から雲仙へとフェリーで渡り、長崎恐竜博物館・軍艦島資料館・樺島灯台・長崎半島グリーンセンター横へと向かう。
あまりにも強風で室外にいると風で吹き飛んでいきそうだったので、恐竜博物館駐車場に到着するなりすぐに博物館内へ向かった。
近辺は蛇紋岩がよく産出するので蛇紋岩起源のひすい輝石があることは納得出来る。
この後サンプリングするものとは違うもの
この岩石の非常に大きい物を買って自分で磨いてみたいのだが、研磨済みのものしか一般に流通していないようで、なかなか手ごろなサイズの岩石が手に入らない。
化石は専門外なのでよくわからない
一瞬船かと思ったが、よく見ると軍艦島だった。
確かに軍艦によく似た形をしてゐる。
写真撮影は禁止で、非常に小さいブースにやっつけ仕事のようにいくつかのパネルが並べられていて、まるで政治問題化した文化遺産の役所の言い訳作りのような空間であった。一応朝鮮人を強制労働させたといった旨の記述はあったが、非常に小さく少しだけ書かれていた。この小さいブースで資料館を名乗るのは少し名前負けしていて、資料室ぐらいが適当だと思う。
同行したM氏の取材がてら灯台へと向かった。灯台をネタにした就職活動?創作活動?をするということであった。
今はもう自動化などで消えてしまった仕事の灯台守。五十年後に今ある仕事の半分ぐらいは消えてしまうのだろうか。私のやっている仕事のどれぐらいがロボットの機械化や需要の消滅などで消えてしまうか考えると恐ろしくなってしまう。
蛇紋岩を集める。大変よい蛇紋岩が沢山取れた。近辺は蛇紋岩が沢山取れる悲惨な地盤で大変崩れやすく脆いようで、最近ではこの近くの長崎亜熱帯植物園が地盤崩壊などで閉園になったそうだ。