クマネシリ山
(3の沢川林道~西クマからの尾根往復)
このページの図説はピリベツ岳~西クマネシリと共通です
○1990年3月18日~19日
○L高野 一戸 大沼 鷲見(男4名)
○コースタイム
18日
15:00 3の沢川林道除雪終了点(Co86Dmの林道分 岐点)
15:30 造林小屋跡(C1)
19日
07:00 C1
10:00 西クマネシリ頂上(P1635m)
12:00 クマネシリ岳頂上(P1586m)
14:00 西クマネシリ頂上(P1635m)
16:00 林道車止め
○装備 ザイ ル6㎜の10m×2本
全道的に季節はずれの温暖な気候となり、やや雪崩を心配しながら大きく予定時刻に遅れて帯広を出発した。
林道の2、3時間を考えると最後は暗闇の中を歩くことになりそうだった。しかし、予想に反して幸いにも十勝三股の国道ゲートは開いているし、林道入り口の ゲートも開いていた。除雪も完壁だった。
ウィークエンドの家族だんらんを捨てて来たことを後悔しながら林道をしばらく進むとピリベツ登 頂を終えて帰る館山氏に会い先発の露営地が貯木場の休憩小屋と聞かされる。
林道はCo860mで大きく左に曲がりシンノスケ3の沢川から離れて いるのでここを車止めとし露営地に向かった。地形と雪質から判断してシールは付けずに進んだ。
衰えた体力をカバーするにはずるく行かねば…。 30分もしない内に露営地に着いた。交信での情報どおり高野氏は暇を持て余して翌日の為の偵察で不在。
一戸氏はピリベツの疲れか、既に 入った酒の為か泥睡(泥酔?)してた。廃屋のようなかなり傾いた休憩小屋の中にテントを張り少量のアルコールを開けて夢の中へ…。
翌 朝、5時起床。やや多すぎる朝食の後、当日合流予定の大沼氏と交信した。
我々の出発が遅れているせいもあり、まもなく合流できそうであった。ひ とまず出発しのんびり歩いて彼の合流を待った。
Co1200mあたりで合流し、夏道の尾根に上がったが、ほどなく薮と風倒木で進みづら く再び沢沿いの斜面に降りてブル道を進んだ。
Co1400mあたりで主稜線から西に延びる稜線に取り付いた。アイスバーンになっていてスキーで の登りが難しかったが、稜線までいくらもないのでアイゼンを着けず、西クマ下の岩場まで行ってスキーをデボした。
この岩場は中央のルン ゼ状になっているところをピッケルをうまく使って行けば難しくない。稜線上は歩きやすい。
西クマの頂上でぐるつと回りを見渡してからす ぐに最終目的のクマネシリをめざして出発。大沼氏持参の缶ビールはここにデポした。
まもなく稜線は痩せて切れたった北側に雪庇を作って いる。南側はややなだらかではあるが安心は出来ない傾斜である。
この辺まで来ると陽も高くなり雪がゆるんできて足を取られる。
稜線だけを進めばいいのだが中間ぐらいに岩稜があり南斜面をトラバッた結果、腰まで雪に埋まり思わぬアルバイトをしてしまった。ここは出来るだけ稜線に近 いところを進むのがBestだ。
クマネシリの最後の上りに岩場が待ち受けているがここも岩に付いた雪を利用して行けばそれほど問題がな かった。この岩場を息をとぎらせて上がると目の前にピークが見える。
「あれが目指す頂上!」とはりきって上がりきると、大きな落ち込み の向こうに、同じようなピークが鎮座している。
ここでやっと地形図を思い出しクマネシリのてっぺんがふたこぶ山になっていたことに気が 付き、一同がっくりとくる。
しかしここまできたら行くしかないと、そろそろバテぎみの一戸氏も奮起して頂上へ。
天気も良く眺 めは最高であった。昨日ビリペツに登ってきた2人は、その山を眺めながら早くも思い出話に興じてる。年はとりたくないものだ。
クマネシリの先は 地形図でもわかるように真っ平らな尾根が続いている。
ここは「飛行場」と呼ばれているそうだ。
帰路の西クマの頂上で缶ビール を分けあって呑んだ。予定では帰りのスキーは快適に行けるはずだったが、重い重い雪になっていてEnjoyするどころではなかった。
全身を使っ てやっと曲がる程度だった。自分のスキー技術の無さを痛感させられた。
しかし、今回の山行はアプローチがたやすく普段どおり三股でゲートが締 まっていても、土曜午後と日曜で十分アタックが可能である。
そして、気分は日高の稜線を行くがごとくである。
(茶房多種No.144記録・鷲見)