カムイエチカウシ山
カムイエクウチカウシ(8の沢左岸尾根から主稜線往復)
○1997年2月7日~10日
○L大山 藤川 岩本 水野 穂積(男2名女3名)
○コースタイム
7日 晴れ
19:35 中札内市街
20:20 ピョウタンの滝
21:00 コイカク沢を過ぎて林道を1.5㎞ほど入った所(CO)
8日 晴れ昼過ぎから曇って一時雪
06:00 CO
07:00 10号砂防ダム
08:25~08:45 7の沢出合
10:30~10:50 8の沢出合
13:00~13:25 Co860mスキーデポ
16:05 Co1190m(BC)
9日 弱い雪主稜線からは風を伴う
05:30 BC
07:10 Co1570m
10:00 Co1860m主稜線分岐
11:25 カムエク頂上(P1979m)
11:55 〃 発
12:45 Co1860m主稜線分岐
14:50 Co1190m(BC)
10日 尾根は曇り沢・林道は晴れ
06:20 BC
O7:40~07:55 8の沢出合
09:15 7の沢出合
10:50~11:50 CO地点
12:30~12:45 札内ヒュッテ
13:15 みずほトンネルから車に乗せてもらう
13:30 ピョウタンの滝
11日~12日 予備日
○食料計画
8日 エスニック風水餃子ごはん
9日 朝 雑煮(餅2個)
タ カレー
10日 朝 カレーラーメン
タ 豚汁ごはん
11日 朝 ごはんふりかけみそ汁
タ マーポー春雨ごはん
12日 朝 ラーメン
すべて乾燥野菜とアルファ米(1人0.8合・105g)を準備した
山頂に立ってみると、ちょっと膝がガクガクした。
あっさりと来てしまった気がするが、次の瞬間イヤイや全くそんなことはないと思い直した。
気合を入れていた正月山行がフライングに終わり、一時ふぬけ状態に陥ったが気を取り直し、1ヶ月前からカムエクのため、実験をことさら熱心に行い、流行しているインフルエンザウイルスに取りつかれないように気を使い、ボッカ山行を2度行い、日々の生活では身体を動かすように勤め........。
他のメンバーも、職場でことさら良い人になり、酒を断った者や、早めにお医者さんに行って薬をもらった者、栄養ドリンクで力をつけた者など各自万を期しての山行だった。
7日 夜、コイカク沢の出合から10分ほど車で入れるぎりぎりの林道途中まで・Mさんの知人の2人の藤田さんと、菊田さんに送っていただき泊まることが出来た。
万を期しての山行だった筈が、この夜、翌日の夕食をキツネに横取りされるという事件が起きた。油断していた隙に肉などを取られたのである。
しかし、キツネにも好き嫌いがあると見え、乾燥野菜などが食べられずに散らばっていたのでラーメンの具としてかき集めた。
この夜から翌朝出発するまで、メンバーそれぞれの「あっ!」と言う、本当は大したことのない無用の叫び声が上がるたび、一同ヒヤヒヤさせられたが、別にこれといった大事には到らなかった。
8日 朝06時にCOを出発、2時間半で7の沢に着いた。
この間5~6ヶ所ほど雪崩の跡があり注意する必要がある。
特に7の沢出合近くは帰るとき1ヶ所トレースが消えている場所があり気を付けなければならなかった。
7の沢の出合から8の沢出合までは1時間半。5~6回の徒渉は全く問題がなかった。
8の沢出合まで休みは1回だけで、リーダー0氏の半ば強引な引っ張りで、10時半には8の沢出合に着いてしまった。
多分ここでの0氏の強引な弓1っ張りとMさんの人脈がなかったら、カムエクに翌日アタックは無理だっただろう。
思いのほかの進み具合にメンバー全員気を良くし、8の沢左岸尾根に取り付く。
「気持ち右側から登るといいよ」と教えてくれた坂村さんのアドバイスどおりに取り付くがかなり手強い。
始めの1時間で標高差100m、次の1時間で同30mしか進まず、「ウォー」という叫び声が上がっていた。
取り付きから130m上がった所(Co860m)でスキーをデボし、わかんに履き替える。
わかんはスキーよりはましな気がしたが、ズボズボの腰までのラッセルで直登出来るものの思うように進まない。
16時でCo1190mに上がったところでタイムアウト、C1とした。
結局この日まともな休みは3回しかなった。テン場に着いてから、ドラえもんポケットと別名があるF氏のザックからビールが出てきて一同感謝して飲む。
Co1190mのC1は大変微妙な地点で、Mさんと1さんが中央労山の記録を基に何度も時間の計算をし、明日Co1570mに08時までに着けば山頂まで行けるという結論を出した。明々後日の天気が崩れるため、帰りの林道で雪崩が発生する可能性を考えると早めに登っておいたほうが良いということで、翌日空身でアタックと言うことに決まった。その夜、強力パワー全開ラッセルマンF氏のカゼがちょっと心配だった。
9日 全員気合いが入っていて、03時に素早く起きる。
今回の山行は寒さで震えることは無かったが、とにかくテントが狭く、寝るとお互い身動きがとれず寝苦しかった。
05時半BC出発。ヘットランプをつけながらただひたすら登り始める。
行きは早朝ということもあって、昨日よりは雪も締まって心持ち楽だ。
特に0氏、F氏の強力パワー全開ラッセルのおかげで、Co1570mに目標より1時間早い07時過ぎに着いた。
そして、左岸尾根の頭Co1850mに08時半着。ここでアイゼンに履き替えた。中央労山の記録によるとここから1時間半で山頂である。
すぐ調子に乗る私は「ここから見えるあれがカムエクピークじゃないですか?」などと、後から考えると大笑いなことを言っていた。
実際には3時間かかり、11時25分にカムエクピークに立った。
途中Co1903mからの岩稜帯トラバースは、アイゼンにスキーストックを使ったが、今から考えると結構不安定な所もありピッケルを使えば良かったと思っている。
それほど悪い天気とは言えないけれど、かなりの風でホワイトアウトしていて方向を見失いがちだった。山頂から空を見上げたら、すごい勢いで雲が流れていて、時々うっすらと白い太陽が見えていた。
ただ山頂には風が無かった。
下りの稜線で振り返ると、たまにカムエクがボッーと現れた。
そして、稜線からは素早い雲の切れ間から時々白い谷が見えた。
登るときはわからなかったけれど、Co1300m~Co1570mまでは広々としたかなり急な素晴らしいゲレンデになっている。
こんな所までスキー目的でくる人はまずいないと思うけどスキーで降りた最高だろう。
適度な樹林がちらばり向かいの山が雪につつまれて、その日の中で一番美しい景色だった。
一歩毎にどんどん標高が下がる。よくもまあこんな所を登ったもんだ。もったいない、もったいないと言いながら下りた。
下りる途中で、Mさんが「Fさん、まさかビールないよね」と聞いたら、「ある」とおっしゃった。
一同びっくり、テン場に着いたち冷えたビールが待っていた。
一同感謝して飲んだ。10日昨日のアタック日とはうってかわり、一同緊張感のない朝を迎える。
ああ、後は下りと長い長い林道歩きか。
口には出さずとも皆そう思っていたに違いない。
8の沢出合まではあっと言う間に着いた。
しかし、ここで思わぬアクシデントが………。F氏が豪快に転んでメガネが雪中深くに沈んでしまったのだ。
仕方なくMさんの予備の縁なしメガネを借りてかけたのだが(Mさんはコンタクトだが用意周到に予備のメガネを持参していた)、これがまたアカデミックな感じでとってもよく似合っていて、あまりの格好良さに私はF氏を見ながらついだらしなくニヤニヤ笑ってしまった。
う一ん、メガネーつでこれほどイメージが違うものか。
F氏は「これからはコンタクトですかねエ」と言っていたが、メガネにするなら絶対縁なしが良いと思う。8の沢の出合から振り返ると、BCにしたと思われる尾根がすぐ近くに見えた。
あんな所からカムエクまで行ったのか、と感慨ひとしお。
帰りの沢は行きのトレースを使い、渡渉も問題なかった。
7の沢出合からの林道は雪が降っていず、固く締まって問題はなさそうだった。
7の沢出合では1ヶ所雪崩て行きのトレースがなくなっていた。「行きにこんなに下ったっけ」と思うほどに登りばっかりの林道をひたすら歩く。それでも行きにがかった時間より早く1時間ちよっとでCOのテン場に着いた。
なんとそこにはエンジンのかかったトラックと車があり、おじ様2人が作業しているではないか!
0氏と私はもう勝ったも同様、喜びいさんで「帰り乗せてって下さい」と頼みにいったが、世の中そんなに甘くない。
あちらはお仕事こちらは単なる遊び。
「14時位まで仕事があるからスキーで行ったほうが早いぺや。ビョウタンの滝ならすぐそこだあ」と言われた。
絶対そんなはずはないと思いつつ、それでも「帰り道をフラフラ歩いていたら拾って下さいね」と頼んでおいた。
これから続く長い林道に備え、まずは腹ごしらえと、COのデン場でラーメンを作った。
なんとここでF氏のドラえもんザックからは冷えたワインが瓶ごと出てくるではないか! 一同感激と喜びの歓声を上げる。ここでチーズも出て、フランス風のランチタイムとなった。
最後は結局仕事が早く片づいたおじ様2人の車に拾ってもらってビョウタンの滝に13時半に着いた。ここで拾ってもらわなかったら、いくつもある長い長いトンネルをすべてスキーをかついでテクテク歩かなければならなかった。
軟弱者と言われようと車に乗って大助かりだった。
こうして大学1年の時からひそかに憧れていた「冬のカムエクに行く」は終わった。
とっても充実感のある山行で協力して下さった、中札内の2人の藤田さん、坂村さん、Mさんの同僚の菊田さん、そして他のメンバーに感謝します。ありがとうございました。
(茶房多種No.224記録・穂積)
カムイエクウチカウシ(ガケ尾根から主稜線往復)
○1993年12月30日~1月4日
○L辻野健 河田 藤川(男3名)
○コースタイム
30日
07:00 芽室
08:20 ピョウタンの滝車止め
09:47 車に乗せてもらう
10:00 札内ヒュッテ
11:00 夫恋覆道
13:05 清見橋
14:40 7の沢出合(C1)
31日
07:15 Cl
10:00 Co810m
16:05 Co1227m
16:25 Co1180mコル(C2)
1日
07:25 C2
09:10 Co1297mを越えたコル
13:00 Co1660m
13:45 Co1640mコル(C3)
2日
07:00 C3
07:40 ガケ尾根頭(Co1807m)
08:55 ピラミッド頂上(P1853m)
10:35 カムエク頂上(P1979m)
13:10 ガケ尾根頭(Co1807n)
13:55 C3のテント地(C4)
3日
07:30 C4
09:00 Co1297m
11:46 Co1227皿
13:55 7の沢出合
15:45 天狗橋(C5)
4日
07:50 C5
09:10 札内ヒュッテ
12:10 ピョウタンの滝
この十勝にいるうちに日高山脈の主稜線に登って見ようと思い、カムエクに行ってきた。
29日 芽室の私の所に夜集まり最後のパッキングをする。
30日 8時にピョウタンの滝のゲートに着く。
工事現場は28日から正月休みに入っていて、予想通りゲートは閉まっていた。
除雪してある道路をスキーを引っ張りながら行くと、ダム現場の手前で見回りの間組の入に札内ヒュッテまで乗せてもらえた。
除雪は標高518mの夫恋覆道までしてあり、2日位前のトレースがあった。
15時前に7の沢出合に着く、30㎏近い重荷にかなりこたえた。
31日 風も当たらない静かな川原を7時過ぎに出る。
すぐ7の沢左岸尾根に入っている小沢の左側より登り始める。通称ガケ尾根だ。
すぐ30度以上ある急傾料の200mの登りに3時間以上かかってしまった。
ラッセルはスキーでひざ切りと結構ある。
そこから上は少々傾斜も緩くなり・Co1227mを越えた尾根の上にテントを張る。
ペースが上がらなく16時過ぎまで歩いたためヘッドランプを点けてテントを張る。
1日 晴れ。主稜線が見える。
Co1297mコルにスキーをデボする。
他のパーティーのスキー3台もあった。
ここから350mの木の少ない急傾斜をワカンでラッセルして登る。腰切りのラッセルである。
急登が終わるとまたブッシュだらけの細い尾根となる。
Co1660mのコルは予想に反して風の通り道であった。先行パーティーは、イグルーを作っていた。
我々も時間が少々早かったので雪洞を掘った。そしてその中にテントを張った。
ところが天井を削り過ぎて私が踏み抜いてしまい、
1xlm程度の穴を空けてしまった。止むをえずフライシートで蓋をした。この作業に20時までかかり、へとへととなり食事も21時にやっと終えた。
2日 前夜あまり風が入るので入口をツェルトで覆ったら、
完全に雪で埋まってしまった。0.5m以上埋まっており掘り出すのに苦労した。
外は風も弱く視界もまあまあ利くので行ける所までと出発しようとした時、今度は藤川さんが雪洞の天井を完全に踏み抜いてしまった。
止むえずテントをしまって出発した。
ガケ尾根の頭に着いたとき、先行パーティーの北大山岳部の3名がいた。
彼らは1823峰に行くと言っていた。
彼らは前日カムエクを往復しておりその情報も得た。
ピラミッドまでは嫌らしい雪庇が出ていたが小さく、日高側のハイマツの上をバリズボで行く。
ピラミッドからの下りで岩が2ヵ所あるが問題はない。
耐風姿勢をとる程の風では無いが結構強い。
最後の登りは膝切りラッセルが結構あった。
雪庇も張り出しが小さくその上も歩けた。頂上の三角点の石標は出ていた。
その時、雲が切れまわりが見えた。
写真を撮りまくる。ガケ尾根を下っていると雲が切れ・カムエク、1823峰、春別岳と見えた。
下りは一度枝尾根に少し下って50m程トラバースして元の尾根に戻った。
テント場に着いて雪洞に大きくあいた穴にテントを張り修理する。
3日 下山を始める。
1日に登った350mの急登はかなりの重労働。
最後の7の沢の700mあまりの下りは語り尽くせないスキー滑降となる。
トレースのなくなった林道を天狗橋まで歩きテントを張る。
4日 山の上は雲の中、下は晴。
前日夕刻に下っていった北大パーティーのトレースを使い札内ヒュッテヘ。
ダム現場からは除雪してあり勾配が緩くスキーを引っ張って歩いた。
(茶房多種No.187記録・辻野健)
カムイエクウチカウシ(札内川7と8の中間沢~8の沢)
○1995年7月8日~9日
○L福嶋 藤川(男2名)
○コースタイム
8日
04:50 7の沢出合の車止め
06:00 7.5の沢出合(Co637m)
13:10 ガケ尾根頭(Co1807m)
14:05 ピラミッド頂上(P1853m)
15:05 8の沢カール(C1)
9日
04:05 C1
05:15 カムエク頂上(P1979m)
05:40 〃 発
09:00 Co999m
10:45 7の沢出合
札内川の右岸、8の沢と7の沢の間に沢が一本あって、ガケ尾根のCo1660mに突き上げている。
名前を知らないのでとりあえず「7.5の沢」と呼んでおく。
この沢の記録は当会にはない。
地形図から見て沢には滝マークが2つあり、ガケマークも結構あって難しそうであった。
一方、トレーニング不足の中年登山者でも何とか一日でこなせそうな短いルートである。
さらにこれをカムエク登頂と結びつけることで醸し出される「クラシックな雰囲気」というか「いぶし銀のような渋味」の山行というか、とにかく未知であることが大いなる魅力であった。
8日 札内川本流を遡り、岩屑が多量に押し出されている「7.5の沢」出合には6時に到着した。
晴れているが陽光が当たらず風が冷たい。200mくらい歩くと早速2~3m程度の小滝が現れる。
小手調べには淋しい滝である。
崩れた雪渓の名残りも現れる。
ここからしばらくは小滝と岩屑のガレ場のルートである。
両岸がガケ状になった核心部と思われる地帯は、大半が雪渓で埋め尽くされ、難なく通り過ぎてしまう。
雪渓の崩れた隙間やシュルンドから暗い沢の底の一部が覗ける程度である。
地形図上の滝マークの滝も雪渓の下で見え隠れしていた・核心部の最後はスラブ状の岩壁に囲まれた40~50m程度の滑滝である。
藤川さんをトップに立てて、左岸の濡れた草付きのスラブを樹木の生え際に沿ってトラバースして落ち口に立つ。
傾斜は緩いが比較的高度感があり緊張する箇所であった。
ここを抜けると、後は普通の荒れた沢歩きとなる。二股のガレの左(南側のガケ尾根に近い方)を選んで進むと、最後は緩いルンゼ状になって藪の斜面に変わる。
暫くは、木の枝を掴んでのターザンクライミングや藪漕ぎを行いつつ登っているうちに、いつの間にかガケ尾根上にいた。
藪漕ぎに嫌気がさす頃、ようやくCo1660mに着く。
その頃、霧に囲まれていたが、左側の7の沢の急峻な斜面やピラミッド峰を垣間見ることかできた。
結局、ロープや岩登りの3つ道具は全く使わなかった。
13時過ぎに国境稜線に出て、15時には8の沢カールの天場に到着することができた。
この日はかなりゆったりしたペースであったし、休みも多く取った割には意外に楽に早く進むことができた。
9日 久しぶりにシュラフカバーだけでのツェルト泊まりだったので、あまりよく寝ることができず、起床時間の午前3時が待ちどおしかった。
さて、快晴の中、カールを出発し、カムエクの頂上には5時過ぎに到着する。
初めての頂上、初めての8の沢カールに立ち、やはり感激してしまった。
我々のパーティー以外は誰もいない。
よく目を凝らして四方を見たがヒグマを見ることは出来ず、これだけが残念であった。
6時前に頂上を後にして8の沢を下る。
8の沢は指導標はないものの、既に一般登山道と変わらない程度の踏み跡が出来ており、聞いた話と比べれば容易なコースに思われた。
11時前に林道終点に到着。
ほとんど計画通りのタイムで初期の目的を完遂できた。これも藤川さんの力に負うところが大きいと考えている。
(茶房多種No.205記録・福嶋)
カムイエクウチカウシ(札内川9の沢往復)
○1996年7月20日~21日
○L中澤 西本(男1名女1名)
○コースタイム
20日 晴れ夜半から雨
05:50 7の沢出合の車止め
08:10 8の沢出合(Co670皿)
08:45 9の沢出合(Co770m)
10;35 ゴルジュ下(Co900m)左岸高巻き偵察
15:00 ゴルジュ下(C1)
21日
05:30 C1
07:00 ゴルジュ抜ける
09:25 カール
10:05 Co1903m手前のコブ
10:40 〃 発
15:05 C1
16:40 8の沢出合(Co670m)
17:55 7の沢出合
札内川9の沢からカールへ上がり、北面からのズゴゴゴゴのカムエク(北面からのカムエクはズゴゴゴゴなのだそうである)を眺めて8の沢へと1泊山行を組む。
大きく雄大なカムエクを眺める目的は果たせたものの9の沢のゴルジュの高巻きに莫大な時間と労力を取られ、
結局9の沢の往復となってしまった。9の沢のゴルジュ入口まで7の沢出合の渡渉は膝程度と通常。坦々とした河原を3回の渡渉で8の沢へ。
途中畜大の山岳部の3人パーティーと出会うが、訓練なのだろう沢の中を走っていた。
○8の沢出合からは河原の少ない川筋を進んでいく。
ホンの一足で現れる1:2ぐらいの豊富な水量の明るいゴーロの沢が9の沢。
次第に河原がなくなり大岩を越える沢筋となって左股に入る。
右手の壁が高くなってきたなと思うとゴルジュの入口に着く。
ここまで滝らしいものには一切出会わない。
○ゴルジュを右往左往する入口の滝は真ん中に巨大な大岩(家一軒分ぐらい)を据えた2条の滝(10m弱)から。
この沢は古くからのカムエクヘの登路と聞いていたし、下降もできるとあったので立派な巻道が明瞭についていると信じ込んでここまで来た。
ところがそれらしいものもない。当てがはずれて首をかしげる。
それでもまだ立派な巻道を探す気でいた。
“大きく巻くと聞いた"とのことで滝手前の左の泥ルンゼを登る。
入口から見る限りでは左岸は高い岩壁で、右岸が順当に見える。
20m程のずるずるしたいやな登りから右手の薮へ。薮の中は右上方へ延びる岩ひだの細い段差が続く。
潅木を掴んで沢を覗くと“うわ一オ!"。
ドンドンドーンと10mクラスの迫力ある連漫帯が眼下に広がる。なかなかである。
しかしながらどうみてもここは立派な巻道にはほど遠い。
迷ったが他にあてもない以上進むしかない。岩盤に薄く土の乗ったいやな細い段差をズルズル滑りながら次第に追い上げられていく。緊張……。
おじさんが一人後を付いて来た。「ガイドには巻道は左岸とあったが、2人が見えたから来てみた」と言う。
“ナニ…左岸!"と思うがもう遅い。「行けるかどうか判りませんよ」と答えてさらに上方へ。
次の岩ひだから前方を覗く。右岸は途中から少し奥まった形で高い岩壁となっている。 “これはダメだ。どこまで登らされるか見当がつかない"と諦める。
おじさんはズルズルしながらも細引きを使って降りていったが、そんなまねはいやだ。
薮を斜めに懸垂する。
出がけにハーネスをどうするか相談したのだが、“たいしたことないでしょ"と決定。
念のため一組だけ持ってきたのに救われる。さて、再び滝下へ戻って思案。
だいぶ後戻りしてそれらしい入口を当たってみるが判らない。
左岸はどう見ても高い岩壁帯なのである。おじさんは諦めたのか少し手前でラーメンをすすっている。
“少しは探せよな"と思いつつ“そんなに遠くにあるわけがない"とのことで思い切って1つ目の滝を越える。
さきほどの高巻きの途中に見た2つ目の滝は10m程で恐ろしいほど深そうな釜を持っている。
釜の前で見ほれる。“飛び込んでみたいがぐちゃぐちゃにもまれて上がってこれないな"そんな感じだ。右脇にクラックの入った斜上する岩があり、さらに斜上して薮に向かって草を分けた跡らしいものが見える。
“思い切って行ってみよう"と相談。空身で偵察に出る。確かに踏んだ跡がある。途中まで行くと潅木にシュリンゲがかかっており、“やはりこれが巻道?"と思わざるを得ない。
よほど「立派な巻道」というのが先入観になってしまっていたのだろう。
もう少しもう少しと辿って行くが、かすかな痕跡はずっと続いている。
結局2時間も偵察してしまった本日はここまで。少し下流に幕を張る。焚き火が盛大になったところで雨に降られて早寝となる。
寝不足と緊張が続いたせいもあり夜間爆睡。5時発。
今日は軽装で9の沢往復とするいよいよ取り付きだ。(図の番号を参照)
①大岩の滝は右手の草付きを小さく巻くすぐ滝上に降りられる。
②2番目の滝の釜の縁から右手の岩に昂り付く。クラックに沿って8mほど斜上して(上に 残置有)、そのまま草付きを直登
③10m程で壁に当たる。
壁はハング気味で登れず右へ10m程薮を漕いでいくと岩場に張り出した樺の木にシュリンゲ有り。
樟を掴んで岩上へ上がる。
④再び薮を左にトラバースしてゴルジュ脇へ戻る。
倒れた樺の木が覆いかぶさるギ場の段を辿って突き当たりの泥壁を潅木乗りに10m登る。
足場の土はぼろぼろで注意
⑤上がった所から沢身に沿ってトラバースしょうとするが追い返される。4mのかぶり気味の岩場を越えるが、
下が見えて恐ろしい。
上にある樺の木にシュリン~を引っかけて右寄りに上がる。ザイル使用
⑥樺の根元から沢に沿ってさらに10mキ斜上していく。岩に当たるところがらほ1水平にトラバース(15mぐらいか)。
⑦大岩の滝から4つ目の滝の真上ぐらいに出たところがら泥斜面を5m程下降する。
下降したハンノキに白いテープ有り。脇の岩に残置が1本あり、ダブルザイルならばここから滝上に下降も可能と思われる。
我々は岩場を回り込んでさらに横へ進む。
⑧岩場を回り込んで一段降りると少し傾斜が落ちた潅木帯となり、一息つける。
ここから泥斜面を慎重に斜降して一番上の滝の落口まで薮くぐり、木登り、トラバースと重装備では非常に苦労する高巻きとなりそうである。
さらに通過者が非常に少ないのであろう。踏み跡は非常に微かで所々迷う。下りは⑧~⑥まで逆に辿り、⑥~⑤、⑤~③、③~①と懸垂下降。
懸垂は立派な立木支点があって薮はうるさいが安心して降りられる。
③~①は20mぎりぎり一杯である。
○稜線まで1時間半の高巻きでゴルジュを抜ける。
あとは大岩をひたすら乗り越える作業を続けると、春別岳方面への沢を分け、ポロポロの雪渓が出始める。
幸い片側がみんな落ちており、スノーブリッジの恐怖だけは避けることができた。
最後は緩やかな雪渓となってカールヘ。
広々とした緩やかなカールも花にはまだ少し早く、雪渓と岩を伝って稜線へ。
コルに立つとCo1903mの隣に大きなカムエクが見えた。
もう少しもう少しと上に上がってCo19O3m手前のコブで“手を打とう"ということになる。
目の前にはニペソツによく似たどっしりとした巨大な山がデンと座っている。
昼近い順光線のためか“ズゴゴゴゴッ"というよりは“ズッシリ"という感じだが8の沢側とは全く違う大きな山容を眺められた。
残念だがもう時間がない。走るように沢を下ってゴルジュを懸垂し、天幕へ戻る。
荷を詰め込んでガシガシと沢を下った。
明瞭な巻道があるに違いない!という先入観が今回の山行の最大の失敗だった。
そう思わなければ、巻道探しなどせずに滝を登っていってすぐに2番目の滝脇の踏み跡を見つけただろうし、苦労しつつもなんとか巻いていったと思う。
楽をしょうとしすぎたばちが当たったようである。
“策に溺れる"“依存心の高い"計画はうまくいかないものである。
それからもう一つ。知らない沢には万全の準備をせよということ。
今回もギリギリまで迷いながら最後には中澤の“大丈夫なんじゃない"の一言でハーネスを一組減らしてしまった。
結果として三浦さんの教えてくれた応急ハーネスを実地で経験する良いチャンスとなったし、半マストでの懸垂を初体験できることになったが、危なっかしいことだったのも聞違いない。深く反省します。
三浦さんの教えてくれた簡易ハーネスだが、中澤のテープシュリンゲは4mで長すぎた。
そこで余分の部分を肩掛け紐としてみたら、ずり落ちずに非常に使いやすかった。
懸垂の時も安定感バッチリ。この方式もなかなか良いと思うのですが…。
(茶房多種No.217記録・中澤)