芽室岳~チロロ岳

(芽室夏尾根~美生川8の沢尾根)

○1990年5月3日~5日

○L金 大沼 館山 吉岡 宮下(男4名女1名)

○コースタイム

3日

05:12 芽室小屋

09:00 芽室岳頂上(P1754m)

13:15 Co1660m(C1)

4日

05:55 C1

07:23 ルベシペ分岐(Co1620m)

08:05 ルベシペ山頂上(P1740m)

10:40 チロロ岳頂上(P1880m)

13:10 ルベシベ山頂上

16:35 Co580m林道二股(C2)

5日

05:45 C2

06:50 清流橋

07:30 富良牛橋手前の車止め

3日 前日、富良牛橋手前、伏美との分岐に車1台を置く。

5時過ぎ登山口発。大沼、宮下、館山の3人は早いペースで登り、吉岡、金はマイペース。

雲に覆われているが山は青空、雪はしまっていて案外歩きやすいがCo1690m分岐への登りはきつかった。

ここでの体力消耗が後にその日の行動に響いてしまった。

何度も登った芽室岳なのに、この日はどことなく違っていた。いつもは日帰り山行だったが、今回は芽室岳から南に足が延ばせる。

それだけでうれしい。「初日に芽室岳からどこまで行けるか」というのが今回のキーポイント。

風もなく穏やかな芽室岳頂上での皆の言葉はrCo1726mは越えられるだろ」「ルベシベ分岐までは行きたいネ」「大丈夫、行けるさ」だった。

ビカビカの天気の割には雪の腐り方もそうひどくはなかった。私は一度もトップを歩かなかったので、先頭を歩いた人は何言ってんだと怒るかもしれないが……。

しかし、だらだらした稜線は、歩いても歩いても振り向けば芽室岳がすぐ近くに見え、わざと遠回りをしているルベシベ分岐までの稜線歩きで、徐々に気力も体力も無くなってきた。

早めに行動中止にして雪洞を掘るか、歩けるだけ歩いてテントを張るか?13時過ぎ、少々早すぎる気もするが、体力的なことを考え、Co1726mを少し下ったところに雪庇を見つけ、雪洞を掘ることに決定。

春の雪は硬く、5人用の雪洞掘りに要した時間は2時間半。どっかり座りこみ、両足でスコップをけり上げて雪洞を掘っている吉岡氏の姿は、山のキャリアを感じさせた。

外で天気図をとっている青年宮下を囲み、明日も良い天気であることを願い、ビールで乾杯!雪洞の中に入ってしまうのが惜しいくらい、いい天気だった。

4日 4時起床。朝飯はラーメンだったが、湯をわかすのに時間がかかり、出発を遅れさせてしまった。昨晩、水を作っておくべきであった。

6時前発。昨日苦労して作った洞を捨ててしまうのはもったいないと思いつつ歩き始める。

しばらくして、借り物のアイゼンを履いた。天気は快晴である。

「山はしろがね~」昨日は久しぶりに山に来たもので、足がつりそうになってえらくしんどい思いをして歩いたが、今日は調子がいい。

ルベシベ分岐に到着、テン場に都合の良い平らなところがあった。

天気の崩れが懸念されるので、伏美までの縦走を変更してチ口口をピストンして、今日中にルベシベ分岐から美生川8の沢まで下りることになった。

30分かかってルベシベ山に到着。このピークを踏む人は少ないだろう。ルベシベの西側の稜線はヤセ尾根になっていて、私は非常に怖かった。

私は、雪と岩とブッシュの混ざった稜線は苦手である。ペテガリの東尾根を思い出してしまった。

さて、それからは広い尾根になり、チロロの手前で「新人に最初にピークを踏ませてやる」との大沼さんのありがたい計らいでトップをまかされ、やっとの思いでチロロ岳に到着。

ルベシベから2時間半かかった。それにしても天気がいい。ビールもうまい。サイコーだ!

復路のことを考えると頭が痛いが2時間でルペシベに戻る。

調子の悪い吉岡さんは、ここで昼寝をしていたそうだ。

しかし、空を見上げるといかにもこれから天気が崩れることを告げるような雲におおわれつつあった。

ルベシベ分岐からの尾根を借り物のワカンを履いて、どんどん下る。

これで借りてきた物すぺてに活躍してもらったことになる。

途中でサングラスを外すが、日焼け対策に抜かりの無い金さんと地黒の大沼さんを除く3人は見事に逆パンダ焼けとなっていた。

ColO70mからルートを左にずれてしまったようであるが、私なんぞには全く気がつかなかった。

沢に出たところでポツリと来始める。

この日は美生川林道の二股になっている所にテン張る。晩飯のカレーはうまかった。

やがて本降りとなった。

5日 テントをたたみ、林道をとぼとぼ歩き始める。

エゾノリュウキンカなどが咲いており春を感じた。

しかし、私は靴ズレでしんどかった。なお、この林道はダムを造る関係で、かなり変更されているので注意を要する。

デボしておいた大沼さんの車で山を後にする。

この山行での日焼けは、職場で「山やの宮下」をアピールするのに役立ちました。

(茶房多種No.145記録・金 宮下)