札内岳

札内岳(戸蔦別川ガケノ沢~エサオマン沢)

○1988年9月10日~11日

○L館山 一戸 大山(男3名)

○コースタイム

10日

05:30 車止め

07:30 Co1064m

10:30 札内岳(P1896m)

14:30 札内分岐(Co1869m)C1

11日

05:15~06:30 エサオマン往復

08:10 札内分岐(Co1869m)

08:50 北東カール

15:30 車止め

昨夜の酒(登山教室の反省会)が、3人共抜けきらずヒュッテでの「力水」は慎ましくく静かな向い洒となった。

明日に備えて早めに潜りこんだシエラフの中は、暑くてTシャツとパンツ1枚でやっと眠りについた。

翌朝、快晴だがちょっと肌薄い。

広いエサオマンの本流からガケノ沢へ。2年前に一度入ったことがあるが、あまり覚えがない。

雨の日が続いた為、水量が多く岩がぬるぬるしている。

お陰で3度も転び、おまけにナメ滝を3mも滑落してしまった。

登りについては難しい所も無く快適に進めるが、頂上直下までせり上がる沢の為、高度感がかなりあり、ここを下りてくる気はしない。

待望の札内ピークは主稜線を一望のもとに見渡せたが、あっという間に西から真っ黒い雲がどんどん近づき、まもなくいい降りになってしまった。

それに加えて札内分岐への稜線はハイマツとカンバが生い茂る踏み跡程度の日高道。

延々4時間濡れねずみの行進となる。やっとたどり着いた分岐(テント地)では濡れたものを乾かし、あったかいおでんで体を暖め、20時には眠りについた。

しかし、雨はやがて小降りになり夜半には満天の星空に変わっていた。

乾ききらない疲れた体にシュラフカバー1枚だけではとても耐えうる寒さではなく、ストーブをたき膝を抱えこんで、日が昇るまでの5時間余り、長一い長い冬山より寒い夜だった。

翌朝、エサオマンヘは館山さんと2人でアタック。

一戸さんはコケモモ採取に励む。このとき履いた濡れた地下足袋は親指がちぎれるほど冷たく裸足で歩きたいほどだった。

途中、7月に来てあえなく敗退した北東カールの中央ルンゼを上から覗きこみ、あきらめて良かったとあらためて思う。

今年に入って日高15番目のピークとなるエサオマンでは、今度の冬は絶対ここに立とうと思った。

下りは誰もいない北東カールで緑の壁を満喫し、途中イワナを釣りながら15時30分無事車止め着。

初めて組んだ3人のパーティーの力量には丁度良い沢と稜線歩き、そして暑くて寒く、いろんな思いをさせてもらった縦走でした。

(茶房多種No.127記録・大山)

札内岳(ピリカペタヌ沢~エサオマン沢)

○1995年7月22日~23日

○L岩本 佐々木富 中澤 三浦明(男1名女3名)

○コースタイム

22日 晴→曇→雨

07:05 ピリカペタン沢林道終点

14:35 札内岳頂上(P1896m)

19:1G 札内分岐(Co1869m)C1

23日 霧→晴

08:30 C1

14:25 ガケの沢との二股

15:00 エサオマン沢の林道終点

22日 岩本号のパンクやら、登り口を探したりで、1時間遅れて歩き出す。この沢は2度目ですが、以前と終点の様子が変わってた。難しい所はないけれど、とにかく長い。

沢の終点間際「もう終わりかな?」が何度も出てきてガッカリさせられる。

水がなくなってからは傾斜があり、ピーク手前は胸を突く登りで、かなりペースダウン。

なんとか頂上に到着。風があり寒い。

「さあ札内分岐めざして、はりきって行こうか!」の意気込みも、見事に打ち砕かれた。

ヤブこぎの始まりである。4時間半、私たちはやブの中……。行けども行けどもヤブであった。

疲れた足に追い討ちをかけるように、黒の糞が何度も出てきて精神的にも疲れてしまった。

やはり日高の山であった。大声を出しながら歩き続け、幸い熊とご対面することもなく分岐に到着。長いヤブこぎでかなりヘトヘト。

夜は、富子さんのおいしいトン汁とすし太郎、ビール、よもやま話で就寝。

外は雨風がかなり強い。

翌朝、外は真っ白、回りは何もみえずがッカリ。中澤さんと富子さんはすこぶる元気でエサオマンに向かう。

岩本さんと私は留守番を決め込み、のんびり過ごす。あっという間に2人が戻り、エサオマンの沢下りに出発。

札内岳の方へ戻りながら少し下ると、沢へ降りるはっきりとした踏み跡があり、カールの雪渓まで続いていた。しかし、かなり急で浮き石が多く落石に要注意。

雪はだくさんあり沢靴に軽アイゼンをつけ慎重に歩く。軽アイゼンにもゴムバンドはついているが、沢靴にかかとがないこともありずれやすいので、他にベルトまたはひもで締めておいた方が安心だ。

しだいに天気も良くなり、暑くなってくる。水底に緑のジュータンでも敷いてあるのかしら?!と思わせるような美しい沢に感動しながら下る。途中、ちょっとしたプールで泳ぎを楽しむ。

しかし、水の冷たさに思わず身が縮んでしまった。富子さん作成のあらびきソーセージ入り塩ラーメンで身体を暖め、再び美しい沢を「キレイ。魚だ!」などと歓声をあげながら下り、無事林道へ。

今回は、ヤブこぎ、雪渓、黒フンなど、いろいろ経験して、とても思い出深い山行となりました。エサオマン沢を今度はぜひ下から歩いてみたい。

(茶房多種No.206記録・三浦明)

札内岳(ピカペタヌ北東尾根往復)

○1994年3月19日~21日

○L吉岡 大山 國枝(男3名)

○コースタイム

19日

05:55 日高小屋(車止め)

09:45 ピリカペタヌ林道終点(Co623m)

15:10 Co1400m(BC)

20日

07:30 BC

11:30 Co1634m敗退

13:50 BC

21日

09:50 BC

15:10 日高小屋

またしても敗北。札内岳は遠かったのか。

林道は正月とは違って、春の兆しが見えはじめていた。林道終点まではラッセルも

なく快適に歩く。偵察しておいた造材道を登るのも予定通り。天気は快晴。全て順調。

しかし、ここから地獄の苦しみが始まったのである。

道が途切れてからのこの尾根は、ひたすらヤブ。しかも狭い、急だ、濃い、と3拍子揃って登るものを阻んでいる。

尾根を避けて斜面に逃げると更に急傾斜になり、雪崩の危険性もある。

造材道の終点がCo1000m、その日の泊まりがCo1400m、この距離L5Kmほどを4時間半かかって歩いたのだからその程度が知れよう。この日は小さなコブの裏に辛うじて1張りのスペースを見つけてテントを張る。

芽室岳が良く見える。

翌日、稜線までは急ながらも広い尾根であるが、Co1590mに出たとたんにまたもやヤブが始まる。雪庇を避けながら行くので時間がかかる。

標高1655のピークは右手の斜面を行くが、まさしく「薮の中」。ようやっとコルに出るも、まだ遠い。この尾根は地図で見るよりはずっと痩せていて、そのためヤブの処理に手間取ってしまう。

天気も雪がしんしんと降るようになり、ついにヤブに埋もれて撤退。

4時間の苦闘の末に得たものは、僅かに2Kmの獲得であった。

なお、この日リーダーは疲れていて何もしなかった。ひたすらヤブを眺めておった。

その夜はキャンプ地でも20cm程の積雪であった。

翌日、悔しいので稜線まで登り返す。ちょうど雲海となっていて、札内岳をはじめ、北日高の山脈が青のカンバスに描かれていた。この景色が見られたことで、少し心が軽くなる。

それにしても、この尾根から登るにはひたすらの忍耐力を要する。

(茶房多種No.189記録・吉岡)