日勝峠~芽室岳
日勝峠~芽室岳
(日勝北斜面~主稜線~芽室夏尾根)
○1994年1月1日~4日
○L辻野治 岩本 道辻 穂積(女4名)
○コースタイム
1日
07:00 日勝峠トンネトル駐車場
11:00 ペケレベッ岳頂上(P1532m)
14:05 Co1458m
15:15 Co1350m(C1)
14:30 C1
2日
11:10ウエンザル岳頂上(P1576m)
14:05ポロナイ分岐(Co1654m)
15:15Co1450m(C2)
3日
07:30C2
12:05芽室西峰頂上(P1746m)
12:55Co1690m分岐
15:00Co1100m(C3)
4日
08:05 C3
10:10 芽室小屋
12:25 円山牧場ゲート
12:45 最終人家
12月31日は治子さんの家で、十勝岳(三峰山)での雪崩ニュースを見ながら年越そばを食べ早々に寝る。
遭難のニュースを見ても、これから行く山行について全く不安はなかった。
徹底的に軽量化を追求した食糧計画に始まり、三段山、久山岳、芽室岳での山スキー&ボッカ訓練、雌阿寒岳でのアイゼン・ピッケルワーク&ボッカ訓練。
思えば実に長い道のりであった。
元旦、タクシーの運転手さんに悪いなと思いつつ、日勝峠まで送ってもらい、山スキーで登り始める。まあまあ良い天気で、初日の出も見えた。
しばらくすると、後から男3人パーティーが追いついてきた。
私たちは女性4人パーティーで、とてもか弱く見えたのだろう。いろいろ親切にアドバイスしてくれた。道辻さんは「ギャルと思ったんじゃない?」と、その夜、おいしいお雑煮を食べながら言っていた。
2日 はっきり言って、この正月山行を通して晴れたのはこの日の午後だけであった。
左手には大きく大きく広がっている十勝平野を下界に見、右手には伏美~ピパイロあたり、北日高の素晴らしい山なみが、暮れかかった午後の日ざしを浴びて輝いていた。
3日 今回の山行の中で最も大変な日だった。
始めから天気は悪かったが、特に芽室西崎の登りはものすごい強風で、視界は全くきかず、スキーで登りながらもコテッ、コテッと、か弱い感じに倒されてしまう。「地図を見なきゃ!」と思いつつもどうしても出せず、治子さんだけが頼りだった。
西峰からの下りは途中でとうとうスキーを脱ぎ、しばらくは手に持って歩いた。芽室分岐(Co1690m)で前方を見るとこれから登る予定の芽室岳が、忽然と跡形もなく消えてしまっている。「なくなってしまった山には登れない」ということでそのまま下山。
Co1100m位の所でテントを張った。
C2から芽室分岐までの稜線には、テン場はないといってもいいと思う。
C3では「あとは下山のみ」と思い本当にほっとした。
今回の山行の間、ずっと無線連絡の中継地点になってくれた士幌の原尾さんにみんなで声を合わせて御礼をいう。「かわいい声でありがとう」と返事をもらって喜んでいた。
しかし、あとで彼が別の局との交信で「メス熊が吠えていた」と語っていたのである。
4日昨日の下りでは、芽室分岐の直下あたりは雪崩そうで怖かったが、今日は快適?に下れた。
雪の状態も良く芽室小屋に着くまでには、全員シールを外し、山スキーを楽しんだ?と思う。
天候が悪くて本当に大変なお正月山行だったけれど、背伸ぴをせずに行くことができ、本当に本当に良い経験になりました。
みなさんありがとう。
(茶房多種No.188記録・穂積)
日勝峠~芽室西峰(日勝北斜面~主稜線~芽室夏尾根)
○1995年4月27日
○L大山菅原(男2名)
○コースタイム
03:00 帯広(畜大生に送ってもらう)
04:12 日勝峠トンネル駐車場
08:05 Co1337m
10:55 ポロナイ分岐(Co1654m)
13:45 芽室西峰(Co1746m)
14:55 芽室分岐(Co1690m)
16:45 芽室小屋
17:30 芽室林道(岩本さんに迎えにきてもらう)
○装備
日帰りツアー一式
○天気は、小雪で昼前から晴。風は昼頃まで強かった。稜線は太くブッシュなし。
(茶房多種No.203記録・大山)