ペテガリ岳

(コイカク沢~主稜線~ペテガリ東尾根)

○1988年7月13日~16日

○L沼田 大山 安部(縦走本隊)(男1名女2名)

L館山 一戸 西内(サポート隊)(男3名)

○コースタイム

13日

20:30 帯広

22:00 札内ヒュッテ

14日

04:10 札内ヒュッテ

06:05 上二股(Co640m)

10:40 夏尾根頭(Co1719m)

11:00 コイカク頂上(P1721m)

15:10 ヤオロマップ頂上(P1794m)

16:10 Co1650m(C1)

15日

04:10 C1

08:20 1599峰頂上(P1600m)

12:20 ルベツネ岳頂上(P1727m)

15:45 ベテガリ岳頂上(P1736m) C2

16日

04:10 C2

10:00 早大尾根分岐(Co1518m)

13:50 ポンヤオ頂上(P1406m)

18:10 東尾根登山口

○食料計画

14日タ カツ丼

15日夕 ご飯 味噌汁 マッシュポテトサラダ

13日 20時に事務所に集合し荷分けをする。

ザックの重さに体力の不安を感じながら札内ヒュッテに着き、明日からの山行の

成功を祈って乾杯。シュラフに潜る。

14日 3時30分起床、天気はgood!こんな天気がずっと続けばよいのだが。

札内ヒュッテから車で5分も走らないうちに車止め。ダラダラとした沢歩きになる。

途中滑るところが出てきたので早々にワラジをつける。

上二股で朝食をとる。日高の山々の緑の稜線がまぶしい。ここで荷揚げ隊の,

々に水4Lを持ってもらう。

実に重そうここから本番、辛いと言う尾根歩きの始まりである。

歩き始めるが道が途中でわからなくなりみんなで探す。ヤブ漕ぎをしながらようやく道にたどり着き急坂をぐんん登っていく。

「ウワァ~きつう~」という言葉が思わず飛び出す。「水をしよってもらってこの位だから、しょってもらわらわなかったら大変だったなあ」と、しみじみいう。

いい加減疲れたところでようやく草付きに着く。ここら辺からパーと視界が広る。

11時、コイカク頂上着。

ここで荷揚げ隊から水を受け取る。よろけるほど重い。

よいよ3人で出発だ。別れた荷揚げ隊をふり返りつつだんだん心細くなった。

ゆっりしたペースでやっとヤオロの窓を越えヤオロに着いた頃は疲労が激しかった。

翌日のことを考えさらに歩を進めるが、ほどなくダウン。狭いが平らな場所になんとかC1。

大山さんはお腹の調子が悪く、半分も食事が通らない。病院の胃薬を渡して早々に横になってもらう。

夕食後、山本さんと高野さんと交信、安堵感を授けてもらった。

15日 昨日の暑さが嘘のように今日は朝から霧雨。

今日はこの山行のハイライトと言うべきペテガリアタックが控えている。

だけど、大山の体調はよろしくない。

前の晩、夕食がほとんど喉を通らず空腹のままだ。

レーズンパンをくわえながらハイマツとカンバの稜線へ。

1599峰からCカールまで、ブッシュをこぎわけ、ため息8時間。

ハイマツとすっかり仲良くなってしまった。

いっこうに霧は晴れないが、15時45分、3人とも初めてのペテガリピークに立つ。

計画を立て始めてから50日。歩き始めて丸2日。本当に遥かなるペテガリだ。

途中何度飲んでしまおうかと思ったビールで乾杯。深い日高の中で、この夜、ペテガリは僕ら3人のものだった。

16日 相変わらず霧雨の中、東尾根を下山ルートにとる。

噂の通りとんでもない代物で、剣山を5つか6つあるいはそれ以上の長さだ。歩け!歩け!頂上を発ってから14時間。やっと、大沢さん、半谷さんが待つ登山口に無事到着。

みなさんの力でやっと大名山行が終わった。

(茶房多種No.123記録・安部大山)