剣山

剣山(夏尾根往復)

○1988年1月2日

○L高野 安部(男1名女1名)

○コースタイム

07:00 剣神社

10:00 1の森(Co912m)

11:00 2の森(Co1080m)

13:30 剣山頂上(P1205m)

14:00 〃 発

15:00 1の森

16:30 登山口

前日の元旦は、高野ファミリーとトマムでスキーをして、年明け早々図々しいと思いながら、その夜は高野家にお泊まりまでしてしまったこの私。

1月2日、登る前に剣神社に初詣。でも神様ゴメンナサイ、お賽銭ゼロでした。

冬の剣山は初めて。夏道を左手に見ながら冬道を歩くが、思ったより雪が少ない。笹が顔を出して高野会長も悪戦苦闘。

途中から夏道ヘコース変更。

さすがに冬、次第に雪も増え、1の森のかなり手前でスキーをデポしてつぼ足に。岩がゴツゴツして歩きにくい。

1の森に着いたのは10時、夏ならもう頂上なのにずいぶんかかるものだ。

雪に腰まで埋まり、1の森を過ぎると歩くというより、雪の海の中を泳いでいるという感じ。しかし、会長さんはすごい!ラッセルするのが嬉しくて楽しくてしかたないという様子で、一人はしゃいでいる。

私といえば、会長さんの後を“ヒッシ"でついて行くが雪が深くて思うように進まず、せっかく踏みしめた雪が私の重みで、ズボッと埋まる。

思わず叫んでしまいそうになる自分をジットこらえて2の森についた頃には、ヘロヘロになっていました。

頂上に着いたのは、出発してから6時間後。剣山でも私にとってずいぶん遠く、険しい山に思われました。

頂上ではしっかり腹ごしらえをして、元気いっぱいになりました。

日高の山々は美しく雪化粧しておりまして感激、感激。スキーをデポした所までたどり着いたのですが、「足が……。これは自分の足ではない」と、情けなくガクッとなった。

それでなくてもヘタッピーのスキーなのに思ったように進まない。

一度転ぶと、もがいて、もがいて、カメのようにようやく起きあがる。

知っている人は、私がどのようにして転んでいるか想像できるでしょう。

これを何度もやると、よけいに疲れる。しかし、もう太陽さんはいなくなってきている。

ヤバイと思う心と身体は反比例。ようやく小屋が見えお地蔵さんが静かに佇んでいる直線コ一ス。

ここだけは絶対に転びたくないと心に誓ったのですが、誓いもむなしく、一等大きなお地蔵さんの前でみごと転倒。

思わず「ゴメンナサイ!」と、小さな声で謝ってしまった自分が情けなかった。

「ワオーやっと着いた」とホットしてしまう。

でも、すごくうれしくなってしまう山行でした。私にとって冬山訓練第2弾という感じでした。

(茶房多種No.117記録・安部)

剣山(東尾根・上旭肉牛牧場往復)

○1996年1月28日

○L穂積 福嶋 三浦典 前田 水野 イラン 中澤(男5名女2名)

○コースタイム

05:10 帯広発

05:50~06:30 上旭肉牛牧場

07:00 Co460m

O8:00 Co760m

O9:50 Co1140m

10:30 山頂裏コル(スキーデポ)

11:00 剣山頂上(P1205m)

11:15 〃 発

11:50 Co1140m

14:00 車止め

“快感"山スキーを求めて東尾根から剣山へ。

前日の土曜日を久々に無為に過ごして、鋭気を養ったはずなのに、気合いの方は相変わらずのようで、目覚めれば既に4時半。

事務所集合の5時には到底間に合わない、遅刻じゃ!。

地理不案内でよくわからない上旭肉牛牧場にほとんど奇跡のように辿り着き、無事お日様待ちをしていた皆と一緒にスタートできる。

助かった。牧草地を横切り、小沢を渡って正面右に見える尾根に取り付くが、好天続きで雪は乗ってもようやくひびが入る程度の超硬め表面クラスト。

これでは“快感"山スキーなんてとんでもないかもしれない。滑りに全てを賭けていたM2の落胆は激しくrもう帰りましょう」と叫んでいる。

「まあまああの尾根の頭までとにかく…」となだめつつ進む。

義務を果たして、スキー場もしくは日勝北斜面等への転進を考えているのか怒涛のペースで、標高差450mを一時間半で登る。

夏山じゃないんだぞ。Co460mで協議。

既にM2、M1、Fの間ではビールが回されている。

しかしHリーダーは強かった。一言r登ります!」との断固たる決定で前進が決まる。

相変わらずクラストは堅く、全く潜らない尾根を進む。

次の登りにさしかかる辺りから少しスキーが沈むようになり、期待が出てきたぞ。20~30cmぐらいの重い重い潜りだが、内地の山を考えれば良い雪だ。

北海道人は極めて贅沢だと私なんか思う。

Co800mを越える辺りから稜線上は大きな露岩が続くようになり、15m程下の南東側の山腹を巻くように進んでいく。左から合わさる小尾根を大きく回り込むようにして1本。

天気は落ち着いて風も弱く、春山スキーの雰囲気。後ろにまわり、落胆から厭世的に最後尾を行くM2を慰める。r厳冬期剣スキー登山は初めてだと思えばいいでしょう」とフォローするが、そうすると「秋雨天地下足袋登山」とか「夏期濃霧重登山靴登山」と限りがなくなって、そのうち7月24日晴れ時々曇り竹馬単独登山(これはこれできっとスゴイ)」なんてのも出てくるかもしれない。

ヒマな想像は果てしなく続いた。我に返って見ればIは一人遥か前方をとてつもないパワーで切り開いている。

おお、ここだけは快適スキーができるかも一・というCo1140mへの尾根を登りきったところで1が待っている。

ここからは頂部が露岩のコブを2つ、その先に山頂が見える。

スキーで稜線づたいは考えようもなく、南面20m種下をからんでいく。細い潅木が多くなって下りが大変そうだ。

2つめの山頂基部へ続くコブはさらに尾根がやせ、薮も濃くなり登りに非常に苦労する。

時々潅木にからまって罵声が飛び交う。

フラストレーションのたまる道だ。苦悶30分ほどでようやく山頂(大きな露岩)の裏側につく。

スキーはここまで。反対側の夏道へ岩場の基部を回り込んで梯子を伝う。山頂には足跡一つなかった。

冬場でもけっこう登山者が来るところだと聞いていたし、この天気なら誰かに会うだろうと思っていたのに静かな気持ちの良い山頂を過ごす。

下界は遥か海まで見通せる素晴らしい視界である。

芽室、伏美、勝ボロなどのなつかしい山々も良い。7人も座るところがないほどの岩峰の上、鎖の中は絶好の休憩ポイントなのだが、祟りを恐れて皆遠慮。

なんとなく落ち着かない。写真を取り合ってデポへ戻る。

さあ2コブ分の薮下りだ。それでもやはり下りは楽で早い。

いくらもせずにCo1140mに到着し、シールをはずす。

M2が待ちきれずに一足先に試し滑り。登り返してきて「なかなかいいよ」よし!気合いを入れよう。

あとは結局下まで歓声と矯声と悲鳴も少々。

朝のクラストもだいたい重い軟雪程度になってまあまあの状態と思う。

北海道人でない私は評価がかなり甘い。私自身は十分に楽しんだ。大きなターンは重くて難しく、一見シュプールがかっこいいひよいひよい滑りをH、M3に皆で伝授。とはいっても極意は下だけ向いてぴょんぴょん跳ねていれば良いというだけのものだからすぐそれなりに何かを掴んだようだ。近々労山にもひよいひよい部隊が出現するに違いない。

下部ではM1流モナカクラスト対応強力ジャンプターン、

一流テレマーク強力ハイジャンプターンも存分に威力を発揮。

ただし、これは強靭なパワーと足腰が必要で誰にもまねできる代物ではない。私のようなロートルには到底困難。若い皆さんにおまかせしよう。

約2時間のお楽しみ、登りの失望感に比べて予想以上に滑りを楽しんで車まで。滑降ルートとしては芽室にはかなわないという感想だが、面の広さ、傾斜、滑降距離、アプローチの林道がない(これは素晴らしい)、ことなど考えれば、気軽に行くには良いコースだ。これでもう少し雪が良かったら、きっとお勧めルートとして記録されただろう。

スキーのお好きな皆さん、降雪後すぐに行かれることをお勧めします。

(茶房多種No.211記録・中澤)

剣山(2の森岩)

○1991年11月30日~12月1日

○L辻野 健辻 野治 工藤(釧路労山) 岩本 佐藤(男3名女2名)

○コースタイム

30日 23:50~ 1の森近くでビバーク訓練

1日 08~16時 2の森岩でフリークライム

正月山行に向けての耐寒経験のため、剣山でビバークして、翌日2の森岩を登った。

30日23時近く剣神社に着く。

小屋では帯広山岳会が宴会中で酔っぱらいが社の前で踊っていた。

雪は日陰に所々にある程度で道は凍っている。

1時間程歩いて、1の森手前の急登半ばの休み場でツェルトをはる。

ツェルトは会から借りたもので、とても古いタイプで底が無い。やむをえずシートを敷くがサイズが合わず寒い。

1回お茶を沸かしただけ何とか朝を迎えた。

1日03時頃、畜大自然探査会が登ってきた。

我々は08時頃、2の森に向かったが岩本・佐藤は下山した。

2の森ではチムニー(Ⅲ級20m)、デコボコ(Ⅲ級25m)、三本指(IV級25m)を辻野健トップで登る。

壁には雪がまったくなく、陽もあたり風もないのでとても暖かい。

三本指はフリクションを使うルートなのでかなり苦労した。Ao3~4ポイントでぬける。下山は凍った道を滑りながら暗くなる寸前に神社に着く。

(茶房多種No.165記録・辻野国)

【2の森岩ルート紹介】

○白い蝶2 PIV+ 30m

ポストのあるコルの対面しているフェース右下5mにあるクラックを登る。

一段上がるとバンドに出る、白樺の木でビレーiom。正面の外開きチムニーを登る。

チムニーの中程で右に出てフェースを登る、クラック沿いに登ると頭に出る 20m。

○デコボコ~三本指 2PIV+ 60m

ポストのあるコルを10m程下り、左側の広いバンドに移ると、「白い蝶」の一段下に着く。

バンドの一番奥にある木を使い25m懸垂する。

そこが取りつきでボルトあり。クラックをつなげて登り、スプーンカット凹角に出る、左上するとガバがある。

バンドに出て木でビレー。ここまでが「デコボコ」。ここからが「三本指」。

V字形の凹角を一段上がりハングの下を左にトラバースし、ブッシュの左腕を直登する。

ブッシュの終わりあたりから右のハングの下にトラバースし、ハングのコーナーフラッグを使い滝口状を越える。

このほかに人工ラインのフリー化が2~3本あり、帯広畜産大山岳部で現在ルート開拓中のものもある。

壁の東端にいくと高さが低くなるが、傾斜50~60。の完全なスラブで結晶を拾う世界となる。

今後の開拓が待たれるところである。

【「ジュンジ」開拓記】

これは、故工藤潤二(元釧路労山会員、1994年・中国ミニヤコンカにて行方不明)と一緒に開いたラインです。

1991年10月6日工藤潤二と学園大山岳部OB和田理世とで、以前から狙っていたフィンガークラックの掃除に向かう。

ワイヤーデッキブラシ等で泥や岩苔を削る。

潤二には初めての開拓なので、何をやっても面白がっていて、泥紛れになってニコニコしていた。

この日は掃除だけに終わってしまった。その後、潤二は名古屋に転職し、私は2の森には行くがラインを眺めるだけだった。

ところが私が士別に転勤した1994年、あの事故が起こった。

そして、1995年潤二のメモリアルラインを作ろうと、剣山に向かった。

1995年9月30日こんなつまらないルート開拓に付き合ってくれる貴重な人・藤川朗(帯広労山)と2の森に向かう。

ルートを掃除し、ボルトを埋める。

1995年10月10日今回は藤川朗と辻野治子とで向かう、ボルト7本を埋め、「白い蝶」の終了点迄のルートが完成した。

私のフリーの実力がなく、1ポイントA1を使ってしまった。

フリーで行けそうなのに、情けない。

岩場に個人的な感情でルートを作り、個人名のルートを作ることは、基本的には山の私物化になりうるかも…

でもこの道東で力いっぱい山に登り、でも登り切れなくて、道外に飛んでいって、いなくなってしまった。

あまりにも短い間だったが、確実に次の時代を彼に託せたのにと思う。

そんな彼を忘れずにいたい。

そして、自分がどれだけ頑張れるかそれを再確認するためにも。

そして多くの人にこのルートを登って頂き彼を思い出してほしい。

○ジュンジ 1PV一・ A1 40m

ポストのあるコルを10m程下る。左側の広いバンドに移ると、「白い蝶」の一段下に着く。

ルートはバンドの中間にある左斜上するフィンガークラヅクを登る。

登りきると、「白い蝶」2Pのバンドに出る。

そこよりハングした右斜上クラックをワンポイントA1で越え、フェースを「白い蝶」の終了点に向け左上気味に登る。

(札幌登攀倶楽部会報『尺取虫』No.44記録・辻野健)