86 百沢神社 小野文碩碑 星山字柏森 百沢神社境内


小野文碩は星山の人。屋号行人橋(後に小野さん)といい、周庵の子に生れ、祖父を真庵と称した。先生医を業とし、嘉永2年(1849)正月より日詰新田渡辺芳庵につき安政5年(1858)12月まで、611か月間漢方法医学を修め、安政5年(1858)12月より星山村において漢方内科医術を開業し、傍ら自宅において嘉永5年(1852)の頃より家塾を起こして地方の子弟を教育して、明治維新に至った。

明治6年(1873)、官命により家塾を廃して各村に小学校を設置せねばならぬこととなったが、星山村はその運びに至らないので、明治6年(1873)8月、官の許を得て、家塾を継続した。その教育を受けた子弟は数多く、子弟のうちには学の術にたけ名立たる教職につかれた人もあった。門人等協力し、明治31年(1898)7月、星山村の百沢神社境内に碑を建て、その徳を頌した。厨川武貞撰 層剛散人山口士剛書

NO86.小野文碩碑.mp3