53 達麿堂跡 大巻字小玉根


古杉2,3本と石の小祠が存在している。昔この地に黒石山達磨寺があったという。「大巻古来記」に「うんけいの作だるま有る所だるま堂といえり」とある。達磨堂はその創建年代は詳らかでないが、宝永年間(17041710)盛岡城下北山の恩流寺5世無量善應和尚が発願して堂宇の大破を再興した時の棟札が高金寺に現存している。

元禄11年(1698)に、高金寺が現在の位置に移転するとき、達磨堂が廃頽したため1体を高金寺に、1体を長徳寺に遷座したと伝えられる。

その達磨像は高金寺本堂内に安置されている。木造で座高3尺、運慶の作と伝え、玉眼入りで彫刻の技神に入り威容厳然崇高稀大の像で幼童は怖れて近付かない。

明治23年(1890)、長徳寺が火災に遭い、その像は失われたという。同寺檀家の有志は太子講を組織し、日を定めて信者が集合して崇拝する講があった。

伝説にある時この2体の達磨様は地位上の争いから喧嘩をして、一方の達磨様は指を折られ(一説では、両手の拇指を折り損じ、とある)、一方の達磨様は舌をとられた(一説では耳を捥ぎ取られた、とある)。よって高金寺と長徳寺に分けたと伝えられるが、達磨堂が腐朽して修理が困難となったので両方に遷したのではないかと思料される。

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