35 橋本八百二・花子の墓 彦部字暮坪 長徳寺境内


橋本八百二は、洋画家。明治36年(1903)、紫波町日詰生れ。盛岡農学校を経て東京美術学校卒。翌昭和5年(1930)帝展に300号の「交代時間」で特選。以後連続の特選、推薦で無監査。戦時中に日詰に疎開、戦後は政界入りし県議会議長を務める。昭和34年(1959)、画家に復帰。画業の傍ら紫波町日詰に美術館を建て、更に盛岡の岩山に盛岡橋本美術館を完成。自身と友人たちの作品、バビルゾン派作品、民具、陶磁器、鉄器等を展示した。昭和54年(1979)死去、平成初期に同美術館が廃業となり、所蔵作品は、現在盛岡市民文化ホールに所蔵されている。

養鶏業で有名な橋本善太は長兄であり、3代前の方は、彦部の屋号北庵から出た方という。

なお、花子夫人は青森出身でやはり洋画家であった。御墓は長徳寺本堂真後ろを登った墓地の最も高い所にある。

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