69 大巻学校跡


大巻小学校跡 

明治5年(1872)4月、学制発布、明治6年(1873)1月、彦部村、大巻村を1学区とし、彦部字川前の正養寺内に第7大学区第18中学区公立彦部小学校を創設。

明治10年(1877)8月、同校より分離して大巻村に公立大巻小学校を設置、大巻村字八竜、屋号八龍佐藤惣八宅をもって充てた。

明治20年(1887)4月、彦部小学校・大巻小学校を合併し、彦部尋常小学校を設置。彦部字暮坪の長徳寺本堂を校舎とした。明治23年(1890)1月18日、長徳寺本堂が火災により焼失。

明治23年(1890)123日、彦部字久保、屋号彦部大橋、佐藤八十吉宅を校舎に充て、授業を継続。

明治28年(1875)5月、位置を彦部字定内に校舎を新築移転した。

大正2年(1913)11月、位置を変更し彦部字暮坪に校舎を増築移転した。

昭和2年(1927)11月、校舎の位置を、現在の地に変更し、校舎を新築し、現在に至る。

彦部村役場跡

明治22年(1889)4月、町村制実施までは星山外6か村組合役場と称して星山字上谷地にあったが、町村制の実施の結果村の区域は、彦部、大巻、星山、犬吠森の一部の4か村を以て、1か村を組織することになり、その役場は大巻46番戸屋号八龍、佐藤惣八宅に設置した。

「郡達」明治21年(1888)37日告示第15号 町村制実施に当り村役場は大字大巻に指定せられ字八龍46番戸(佐藤倉治宅)を以て庁舎に充つ。とある。

阿部惣助村長時代の、明治23(1890)12月、大巻第十地割字梅木91番地(現在屋号権現の屋敷)に庁舎を建築して移転した。

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