明治5
年(1872
)4
月、学制発布、明治6
年(1873
)1
月、彦部村、大巻村を1
学区とし、彦部字川前の正養寺内に第7
大学区第18
中学区公立彦部小学校を創設。
明治10
年(1877
)8
月、同校より分離して大巻村に公立大巻小学校を設置、大巻村字八竜、屋号八龍佐藤惣八宅をもって充てた。
明治20
年(1887
)4
月、彦部小学校・大巻小学校を合併し、彦部尋常小学校を設置。彦部字暮坪の長徳寺本堂を校舎とした。明治23年(1890
)1月18日、長徳寺本堂が火災により焼失。
明治23
年(1890
)1
月23
日、彦部字久保、屋号彦部大橋、佐藤八十吉宅を校舎に充て、授業を継続。
明治28
年(1875
)5
月、位置を彦部字定内に校舎を新築移転した。
大正2
年(1913
)11
月、位置を変更し彦部字暮坪に校舎を増築移転した。
昭和2
年(1927
)11
月、校舎の位置を、現在の地に変更し、校舎を新築し、現在に至る。
明治22
年(1889
)4
月、町村制実施までは星山外6
か村組合役場と称して星山字上谷地にあったが、町村制の実施の結果村の区域は、彦部、大巻、星山、犬吠森の一部の4
か村を以て、1
か村を組織することになり、その役場は大巻46
番戸屋号八龍、佐藤惣八宅に設置した。
「郡達」明治21
年(1888
)3
月7
日告示第15
号 町村制実施に当り村役場は大字大巻に指定せられ字八龍46
番戸(佐藤倉治宅)を以て庁舎に充つ。とある。
阿部惣助村長時代の、明治23
(1890
)12
月、大巻第十地割字梅木91
番地(現在屋号権現の屋敷)に庁舎を建築して移転した。
NO69.大巻小学校跡・彦部村跡.mp3