17 彦部氏墓碑 彦部字川前正養寺境内


彦部家は、飛鳥時代の第40代天武天皇の長子「高市親王」が氏祖であり、第21代光朝が彦部氏の初代。(『彦部家の歴史』)建武年中(13341336)に、斯波氏が紫波に来郡、高水寺城に居城。従ってきたその臣彦部氏は、彦部郷の機織館(彦部館)に定住。郷土史料に、彦部新左衛門尉秀光、彦部六郎、彦部喜内の名が見られる。『彦部家の歴史』によれば、彦部新左衛門尉秀光は中央において活躍している。

天正16(1588)8月、南部信直の攻撃により、斯波氏は山王海から秋田方面に逃亡。その際彦部氏も従ったものと思われる。

群馬県桐生市に武家屋敷を構えている彦部氏は、本流であり、当地の彦部氏はいつの頃にか、この本流から分れてこの地を治めた一族なのであろう。

このお墓は、元は、彦部字後庵、屋号檀古の南側にあったが、昭和47年(1972)頃、区画整理の際にこの正養寺に移転した。以上は彦部氏顕彰会が平成22年(2010)8月建立した碑面の記述である。

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