104 犬吠森館跡  犬吠森字沼端 館森神社


犬吠森館、一名東館の称あり。岩手県管轄誌に曰く「天正の頃斯波孫三郎詮直の叔父東民部の居所という」蓋し斯波城の東に当るをもって斯くは名付けたものか、文政9年(1826)、道筋御尋御答書によると「志和御所舎弟居城の由」とあるのみにて、これを更に旧記に求むることはできない。しかし次に掲げるところによるも、斯波氏の一族の居を構えたこと明らかなりとす。

「奥南盛風記」斯波氏没落の条 かくて信直公高水寺の城に御入り有りて、四民を撫育し、背者をば戒め、降者には本領その儘宛て行かれけるは太田、小屋舗を始め彦部、大巻、川村、星山、赤沢、手代森、升沢、煙山、越田、黒森その他追々降人に出紫波六十六郷悉く御手に入りける。

なお、この館につき諸家系譜に「犬吠森弥三郎公詮直ノ時犬吠森ヲ領シテ其館ニ居、女高田吉兵エ元康妻」なる記事があり斯波氏の一族であったことを掲げている。

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