28 行岸寺跡・経塚跡 彦部字暮坪


行岸寺愛宕山 天台宗盛岡大勝寺末寺。天正年中(15731591)、紫波郡が南部信直の封内に属し、彦部村は中野吉兵衛の領となり、定内屋敷に居を構えるに及び享保4年(1719)8月朔日、中野氏より永代社領として別当行岸寺に社領6石を寄進された。

   社領証文

  一 六石

  右は貴僧持ち高直に愛宕神社へ寄進され候、永く祭礼相勤めらるべきもの也

    享保四年八月朔日    対 馬  印 (対馬守中野氏)

      行岸寺

 『彦部村郷土誌』(佐川盛造編著)に

彦部浄海坊と屋号四ツ家の間に昔行岸寺というお寺があったらしい。その境内に小石を沢山積んだところがあり、経塚であろうといわれていた。経塚とは「仏教を後世に伝える為経筒に入れて埋めた塚」といわれるが、経筒を埋めることなく、経文の一字または数字を石に書き、その石を1か所に積みあげて納めたものもあった。この塚はこれに類するものである。なお、この塚より筆者(佐川盛造)が発見した小石に「願世尊敷演斯事」その右に「四衆或皆百」を、一面には「総得如是力無畏」その右には「父乃説是法口」左に「徒五読」と読まれるものがあった。

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