81 赤金山跡  星山字柏森赤坂


『彦部村誌』に次のような記載がある。

鑛區一欄(試掘権) (大正7年(1918)7月現在 仙台鑛務署調)

本村地区内には古来仙北沢赤坂等の鉱山ありて藤原時代の採掘なりしと伝うあり。

仙北沢(仙北檀ともいう)とは、大字星山地内にして幕を張りて採掘したる故に一名幕の内といい、現時地名を幕の内というといい伝う。

坑内に臥牛の如き金塊ありしを坑夫等これを引き出さんと鬨声を挙げたるに坑口崩壊して数百人の坑夫埋まりて遂に死せりと、今山の頂に1基の碑あり、坑夫等の霊を祭りしところなりという。

『紫波郡誌』(大正15年発行)に、今各所に旧坑があり。最近その2,3を採掘したものがある、とある。

明治42年(1909)の頃、星山字字柏森赤坂に鉱業権を得たるもの数十間を掘鑿せしに廃鉱坑を発見したりと今にその坑口は藤原時代の廃鉱ならんか。

また、『彦部村郷土誌』には、「星山地内の鉱山跡」として、星山地内県道大槌線を東に向い「柏木立」という家の前で右に折れ山裾を行くと谷間があって1寸登ると「赤坂」といっている坂がある。その左側の山は赤沢との境まで徳田の昆氏(前田という)の所有で、大正初期に彦部村有林であった。「赤坂」を登って1寸降った所の道路のすぐ左側に、その昔金を採った坑道跡だと伝えられていたが崩れてしまってはっきりしないようになった。通称「赤坂金山」とか「赤坂鉱山」といっていたが、何時、誰が採掘したものかはっきりしない、とある。

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