29 愛宕神社 彦部字暮坪


愛宕神社は、彦部地区の東北部に位置する愛宕山頂に鎮座し、訶遇突智神を祀った神社であり、当社は元愛宕権現と称しその創建詳らかでないが、伝えに桓武天皇の頃東夷騒擾し征討しばしばであり、征夷大将軍坂上田村麻呂は命により下向、延暦22年(803)志波城を築き蝦夷を鎮圧し、また本村に支城を築いて一族の士をここにおいた。この支城鎮守の神として城州(京都府)の愛宕の神を勧請して錦旗を奉納したと伝わる。

建武年中当城主彦部新左衛門尉秀光は斯波城主の斯波氏と共に家勢最も盛んなころで、当社の社殿を修造し、すこぶる壮大を極めたが、後兵乱の世となり社殿廃頽して、ただ形跡を止めるのみとなった。天正年中本郡が南部信直の封内に属し、当村は中野吉兵衛の領となり、定内屋敷に居を構えることになり、享保4年(1719)8月朔日、中野氏より永代社領として別当行岸寺に社領6石が寄進された。

明治3年(1870)4月、愛宕神社と改め、同4年(1871)10月、村社に列し、明治40年(1907)412日、神饌幣帛供進神社に指定された。(この制度並びに社  格の制度は終戦後廃止となった)

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