42 白旗(八竜)八幡宮  大巻字白旗


当社は、屋号白旗の西側の後にあったという。今は跡地に「白旗八幡宮跡」の石柱が栗林の中に建っている。屋号柳下で管理しており、昭和20年代まで(19451954)、年末に御年越し祭が行われ、集落の人々が集まって拝んだものである。帰りには赤飯が配られた。参拝はほぼ子供の役目であったように思う。赤川館葛原伯耆守の屋敷内に位置していることから、同家の守り神であった事が推測される。

明治29年(1896)、屋号八龍の宅地内に移転、現在は同家の氏神である。現存の棟札に「奉再興白旗八幡宮一宇大樹公三十八世代源利済公御武運長久」等の文字がある。

因みに「三十八世代源利済公」とは、南部家第38代、盛岡藩第12代南部利済公、信濃守、堂子彦、静勝軒舞鶴亭。幼名源太丸、謹明、修礼、信親。治国23年。安政2年(1855)414日、江戸麻布邸で薨去。享年59歳。「霊承院殿」、墓所盛岡聖寿寺。

以上のことから、前述した赤川館葛原伯耆守の守り神説とは齟齬をきたす。斯波氏と南部氏の関係はどうかとても疑問である。

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