60 堤嶋神社  大巻字金矢


当社は、古来俗に弁天様と称し柿杵姫命即ち弁財天を祀り、大巻字花立に鎮座し、大巻部落における氏神様として崇敬される神社である。

大正3年(1914)4月、無格社大峯神社(大巻大峯の薬師様)を合祀したので大穴牟遅命、少名彦命をも祭神となっている。当大巻の地は、古来水源乏しいので田地の灌漑水に窮することがしばしばであった。よって、盛岡藩の事業で、寛文3年(1660)溜池を築造した。然るにこの溜池は、しばしば破壊したので、藩主に願い出て改修工事が行われ、波消しの島を3つ築いた。その折溜池の島に弁財天の御宮を建て御百姓永々信仰することは然るべき旨藩から仰せ出された。当部落ではお堂を建築して信仰仕りたいと大巻玉根治兵エ及び村中百姓一同から藩に願い出たところ、南部家30代・第4代盛岡藩主信濃守行信公、この溜池の大島に鎮守の神として相州江ノ島の弁財天の御分霊を勧請したことから、弁天の堤と称するようになったのである。その後藩主の崇敬篤く、当時藩主の息尼光源院様(大巻を領知)から御影像の外数々の品々が奉納された。

なお、藩から社がは寄進せられ明治の初年まで継続された。またお堂の大島に通ずる舟も奉納があり、次いで祭祀料として御神米一駄片馬、御懸銭五百匁づつ御下賜になったのであった。

明治2年(1869)7月、堤嶋神社と改称し、同4年(1871)10月村社に列せられ、昭和2年(1927)には村から神饌幣帛料供進すべき資格ある神社に指定せられたが、終戦後この制度が廃止となり、同時に村社という社格もなくなったのである。

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